二章 魔法使い (3)

「ルシルはどうした!!」

 屋敷に戻った執事を主人は強い口調で責め立てた。レイヴンは内心で悪態を吐きながら事情を説明する。

「別でもう雇われているだと?」

 ニゼア氏の目が血走った。レイヴンは心の中で「うわあ」と呟いた。

「ド田舎屋敷に、ルシルはもったいない!! 馬鹿なことを! 可哀かわいそうに!」

 ニゼア氏はげきこうしながら部屋の中を行ったり来たりした。そしてそこにレイヴンがまだ居ることに気が付き、「出ていけ! 能無し!」と罵った。

 言われた通り部屋を出たレイヴンは大き目の舌打ちをかます。どうせ、中の人間には聞こえてはいない。

「こうなったら私が直接迎えに行ってやらなくては。執事如きでは駄目だったんだ……しかし離婚の調停が……ああ、待っていなさい、ルシル……」

 ニゼア氏の独り言は部屋の中で続いた。今まで気分が優れないとき、決まってルシルが気付けの酒か温かい飲み物を用意してくれた。そんなルシルの当たり前の気遣いが恋しく、元雇い主はますますいらった。


   ◇◇◇


「お、ルシル! 元気にしているか?」

「テオさん」

 街の書店で本棚を物色していると、久し振りな人に出会った。宿の主人をしているテオさんは今日もチェック柄のシャツ。いい感じのカントリー感だ。

「おかげさまで。大変良い職場です。手放したくありません」

「な、何か必死だな」

 私が力を込めて言うと、テオさんはかえって心配になったらしく「何かあったのか?」と聞いてくれた。

「いい本がないか探しているのですが、見つからなくて。私の今後に関わるのに……」

 必死さが伝わったのか、テオさんは本棚を覗きどんな本かと尋ねてきた。

「しつこいストーカーを撃退する方法が載っている本です」

「ッ!?」

「シッ!」

 何か言おうとしたテオさんに向かって「静かに!」という合図をする。あまり大声で話したくない。

「どいつだ! 自警団に言いなさい!」

 声を低くしてテオさんが追及してくる。私たちはコソコソと奥の棚の方へと移動した。

「遠くにいる人なんです。でもまた来るかも」

「元彼か?」

 深刻そうに聞いてきたテオさんに、「そんな仮想生物はいません」と真顔で返す。テオさんは固い顔のまま「そうか。悪かった」と謝ってきた。

「何とか自力でも撃退できる方法はないかと思って、本を探しに来てみたのですが」

「先生には言ったか?」

「言える訳ないじゃないですか! そんな面倒事持ち帰ったら即解雇ですよ!」

「悪かった」

 テオさんも私の考えには賛同のようで、「どうするかな」と呟きながら一緒に考えてくれる。相変わらずいい人で泣けてくる。

 私が諦め悪く本棚を眺めていると、テオさんは突然「あ!」と大きい声を上げた。

「いいやつがいる」

 テオさんは目を輝かせて私に頷いた。

 得意顔のテオさんに連れられてやってきたのは、開店時間前のバーだった。テオさんは遠慮なく「閉店」の看板が掛かっている店のドアを開けた。

「ちょっと、まだ開店前……なんだ、テオじゃない」

「良かった、リリア。ちょっと相談に乗ってくれないか」

 テオさんがリリアと呼んだのは、たっぷりとした黒髪の妖艶な女性だった。白い肌に泣き黒子ぼくろがセクシー過ぎる。

 リリアさんは私を見つけると、きょとんとした。

「だあれこの子? 見ない顔だね」

「最近引っ越してきたんだ。先生のとこで家政婦してる」

 テオさんの紹介にリリアさんは目をかっぴらいた。宝石のような青い目が私を凝視した。

「ルシル・オニバスと言います。よろしくお願いいたします」

 ぺこりと頭を下げると、リリアさんは「ええー」と心配そうに眉を寄せた。

「大丈夫なの? 務まるの? こんな優しそうな子に」

「あの、はい。今のところ」

 私は手をグッと握って無事を伝える。リリアさんの反応から察するに、何かあったのだろう。

「確かにすごい先生だけどね。それとは別だからね。辛かったら辞めちゃってもいいのよ?」

 真剣なリリアさんに、苦笑いを返す。聞いて知ったような口ぶりだ。

「善意で食べ物の趣味に口出ししたり、夜更かしを心配したりしても無駄だからね!!」

 つまり、過去にそういうことをした人がいるということだろうか。私の先輩にあたる人が。私は現在勤務する者として、同じてつを踏んだ結果どうなるかを想像しながら「はい」と小さく返事をした。

「リリア。相談があるのは別の話なんだ」

 横で聞いていたテオさんが話の脱線を見かねて本来の用事を切り出した。

「ああ、そうなの? 初対面のアタシに聞きたいことって?」

「お前、よく客に付きまとわれているだろう? どうやって対処してるか教えてもらえないか?」

 リリアさんの目が再び大きく開かれる。すいーっと私に焦点が定められ、さっきよりも哀れんだ目が向けられた。

「誰? ヘルマン? メッソ? ゼルネア?」

「いやそれはお前に付きまとってた」

「いいわ。嫌がる女に付きまとうクズ野郎にはね、諦めさせるしかないのよ」

「どんな手を使っても」とリリアさんは付け加えた。まばたきひとつしなかった。彼女自身、大変な目に遭っているんだな、と思った。

 そうして私はリリアさんの辛い体験談を聞きながら、いざというときの撃退方法を聴取することに成功したのだった。隣で聞いていたテオさんが「成程なあ」といたく感心していたのが気になって仕方なかった。

 せっかくの貴重なお話。忘れないように重要なポイントはメモをとった。店の備品のメモ用紙を貰ったので、『Lillie』という店名が印字されていた。

「またお店にも来てね!」

 長居した後、店を出た私に向かって、ちゅ、と投げキスをして手を振るリリアさん。率直な感想を述べると、可愛過ぎてうっかりれそうだった。

「ああいうことをするから皆夢中になってしまうのでは」

「……」

 テオさんは何も言わなかった。


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