一章 不名誉な解雇と再就職 (2)

「おや、いらっしゃい」

 中に入るとすぐに木のカウンターがあり、その向こうにはゆったりと座っている壮年の男性が居た。宿の主人だろうか。チェック柄のシャツに優し気な顔立ち。外の植木鉢同様、素朴で可愛らしい感じがした。

「部屋は空いていますか」

「勿論。ええと、宿帳宿帳」

 主人は細い金縁の丸い眼鏡をかけ、年季の入った帳面を開いた。

「名前と連絡先と宿泊日数を書いてくれるかい」

 ルシル・オニバス。差し出された宿帳に自分の名を書き、私は手を止める。

「あの、実は移住目的でして、連絡先はどうしたら。あと何泊するかも分からなくて」

 宿の主人は私の言葉に目を丸くした。

「へええ、そうかい! いや珍しいな。お嬢さん、ルシルさん一人で?」

 主人の目から「こいつ、訳ありだぞ」という心の声が読み取れる。私は努めて堂々とうなずいた。

「兄弟が十七人も居るものですから。各々自力で頑張って生きていくようにと」

「十七!?」

 主人の目が更に大きく見開かれた。私は落ち着いて「ええ」と返す。うそではない。ちなみに私は下から二番目だ。物心ついたときには既に上の方の兄や姉たちは自立していた。

「そりゃあ何て言うか……大変だねえ……」

 先程の疑わしいものを見る目つきは消え、しみじみとねぎらいの言葉が向けられる。

(そ、それよりも宿を……)

「それで、あの宿帳は」

「ああ、いいよ連絡先は。泊数もいいや。そうしたら、部屋は」

 私は「一番安い部屋で」と即答した。何せ、私の頭には例の二文字が光り続けている。

 宿の主人は「どの部屋もれいにはしているから」と言いながら、カウンターから出てきて私のトランクを持ってくれる。階段を上がり、三階の一番日当たりの悪い部屋、と案内されたのが私の泊まる部屋となった。

(何だ、全然悪くない)

 階段を上がりながら主人がアレコレと一番安い所以ゆえんを説明するので、どんな酷い部屋かと相当な覚悟をしたけれど、私にとっては全く問題なかった。

 昨日までネズミの足音の煩い屋根裏部屋に居たのだ。お金を払って客を入れる部屋は使用人部屋とは一線を画している。確かに部屋の調度品は古い感じがしたが、部屋自体は清潔だったし、窓から見える街の通りの眺めも良かった。大都市ではもっと高くて酷い宿がごまんとあるのだから、むしろ上等と言えよう。

 部屋を見た私の明るい反応に、主人はホッとした様子だった。主人は朗らかに「じゃあこれで」と言って出ていこうとしたが、私は声をかけて主人を留まらせた。極めて重要な質問が残っている。

「仕事をあっせんしてくれるところはありますか」

「ああ、成程。それだったら、あっちの通りの赤い屋根の建物に行くといいよ。コルテスという男がそういうの得意だから」

 主人は窓の外を指し、いかにも地元の人らしい説明をした。言い方からしてれっきとした『職業斡旋所』というものではなさそうだと察する。

「ありがとうございます。早速行ってみます」

「ん。いい仕事あるといいね。あ、夕食は十八時だから」

 私は「分かりました」と返事をし、宿の主人が部屋から出ていくのを見送った。この短い間でも、彼がとてもいい人であることがうかがえ、私は心からあんした。外の者に優しいというのはありがたいことである。前の街、グリュワーズはその点かなりビジネスライクで、冷たいと言えば冷たかった。

「じゃあ、用意をして。行きますか」

 一晩汽車に揺られ、疲れはかなりピークに来ている。すぐにでも目の前のベッドに埋まりたい願望に駆られるも、一日でも早く職が欲しい。私は自分に喝とむちを入れ、部屋に備え付けの小さなドレッサーの前に座り、身を整えた。


(赤い屋根、コルテスさん、赤い屋根、コルテスさん)

 重要ワードを頭の中で復唱しながら私は街を注意深く歩いた。派手な格好をしている人は居ないし、切羽詰まったように早足で歩く人も居ない。街は静かで、木やレンガなど、素材の風合いが綺麗な建物が並ぶ。

(このカントリー感。地元を思い出す)

 どこか懐かしい感じに郷愁めいたものが湧き上がる。そうして歩いていると、目的の赤い屋根の建物に着いた。ドアには手作り感あふれる看板が掛かっている。

『コートデュー商工会』

 商工会。私はその響きに一抹の不安を覚える。私が希望するのはこれまで同様住み込みの家政婦かメイドだ。果たして商工会にそんなパイプがあるだろうか。

(この際、住み込みでなくてもいい)

 私は祈るような気持ちでドアをノックし、返事を待った。

「はいはいはい~」

(軽い)

 大層気軽な感じで出てきたのは若い男性だった。その青年は私を見て、見知らぬ人間が来たぞという顔をしたが、人懐こい笑顔で私を中に迎え入れた。

「お姉さん、他所よその人? 何か御用ですか? あ、もしかしてうちの名産の新規契約のご依頼とか?」

 私は慌てて青年の良く回る口にストップを要請した。

「あ、あの、コルテスさんにお会いしたくて」

「あ、はい! 俺です! 商工会の会長やってます!」

「……」

 思わず黙ってしまった。会長と言うからにはもっと年配の、もの知り顔な人がなるものという私のイメージにひびが入る。まさか自分と同じかそれより下にも見える青年が会長とは。思ったことが顔に出てしまったのだろうか、コルテスさんは困ったように笑った。

「あー。始めたの最近なんですよ。この街、そういうのなくって。そろそろまとめる何かがあった方がいいかと」

 見た目よりもしっかりしているのかもしれない。ともあれ、この人物が宿の主人が言うコルテスさんであるからには、私は彼に用がある。当初の目的を果たすべく、宿の主人にしたように、コルテスさんに仕事をもらいたい旨を伝えた。

「住み込みの家政婦かあ……」

 青年は私の要望を聞くと、ムムムと眉間を指で押さえながら考え始めた。難しい顔をしている。

(どうしよう、やっぱりここではお門違いの頼み事だったんじゃ)

 不安に駆られながらコルテスさんを見守っていると、彼はすまなそうに私に向き合う。

「申し訳ないです。今すぐ紹介できるものが……。この街、そもそも住み込みの家政婦を抱えるような屋敷も少なくて。一軒二軒じゃないかな」

(うわー。しまった……そっかー)

 私は職探しとしては思い切りハズレの街を選んでしまったことを悟り、自身の浅はかさを嘆いた。

「そうですか……」

 取り繕う労力もなく、あからさまにがっかりした声を出してしまうと、コルテスさんは慌てて「まだ諦めないで!」と言った。

「聞いてきますから! もしかしたら人手が足りてないかもしれないし!」

 元気良く胸を叩くコルテスさん。私を励ますためだろうか、明るい笑顔で「これどうぞ、この街の名産です」と綺麗な包みをくれた。ほんのりといい香りがする。

せっけんです。花の香油が入っててめちゃめちゃいやされます」

「ありがとうございます。今日、さっそく」

 私は小さな包みを手に、お礼を言って商工会を後にした。街は変わらず穏やかだったが、心持ちのせいか、どことなく暗く寂しいような静けさを覚えた。

 こうして私の移住計画及び就職活動一日目は前途不穏なまま終わり、私は宿のベッドで泥の様に眠ったのだった。


 宿の主人は爽やかな朝に陰鬱な顔で食堂にやってきた私を見て、心配顔で近づいてきた。

「大丈夫?」

 他に客が居ないのか、主人は私のテーブルの向かいに腰を下ろした。ちゃっかり自身のコーヒーまで持ってきている。

「家政婦希望だったとは思わなかった。たまーにね、居るんだよ。香油の研究がしたいとか、ここの石鹸が好きで自分で作りたいって言って来る人が。てっきりルシルもそうかと」

 人柄だろうか、サラリと呼び捨てにされたが特段嫌な気はしなかった。むしろ、ある程度の親しみを持ってもらえたような気がしてちょっとうれしい。

「そうなんですか。下調べ不足でした……」

「でもコルテスが任せろって言ったんだろう? 何とかしてくれるさ。彼、頑張り屋だから」

「親切ですね。コルテスさんも、テオさんも」

 テオさんというのは、今話している宿の主人の名前だ。昨日の夕食のとき「この街の人になるんだったらよろしく」と自己紹介された。

「小さい街だからね。人が増えて、活気が出るのは嬉しいんだよ」

 テオさんは照れたように笑いながら言った。私が街の活気につながるかは分からないけれど、ありがたい話だ。この街の人は皆こんな感じなのだろうか。

 テオさんの言葉にいくらか勇気づけられ、コルテスさんに頼るだけでなく、自分の足でも仕事を探してみようという気持ちがもたげた。

(──とは思ってみたけれども)

 朝食を食べ終え、早速街に出てみたはいいが。職業斡旋所がないとなると、店先の求人の貼り紙や直接聞き込む方法しか残っていない訳で。

 とりあえず、求人している店はないかとあてもなく通りを歩いてみる。すると、一軒の店の窓ガラスに目が留まった。でかでかと「求む!」と書かれた紙が貼ってある。

(あった。でも、ウエイトレスかあ。うーん、やってやれないことはないと思う、けど)

 一応、家政婦としての就職先がなかった場合の候補として控えておくことにした。求人広告の雇用条件欄をじろじろと見ていたら、中から人が出てきそうな気配がしたので、足早に店を離れる。

 そんなことを繰り返しながら小さな街を練り歩くこと数時間。太陽が南に到着した頃、私はすっかり歩き疲れていた。

 見つけた求人はいくつか。ウエイトレス、お針子、ランドリー。家政業の内のどれかに特化した仕事ならできそうだと、メモに残しておいた。

(最悪、数か月だけのとうりゅうにして、少しでも給金がまったらまた違う街に引っ越すこともあり得るかも)

 街の雰囲気と住む人の良さがかなり惜しくはあったけれど、家政婦業が性に合っていると思っている身としては、求める仕事がなければ仕方のないことだ。

 宿に戻ろうと、とぼとぼと足を動かしていると、通りかかる街の人の口から「あ、先生」という言葉が発せられた。ふと気になり振り返ったけれど、黒い影が角を曲がったのが見えただけだった。

(先生……お医者様か、教師か)

 そういう人も当然居るだろう。私はぐうぐうと鳴るおなかの虫を抑えながら、宿への道を辿たどった。

「あ、お帰りなさい! 良かった!」

 宿に着いた私を待っていたのはコルテスさんだった。晴れ晴れとした顔をしている。

(もしかして……!)

 私の期待が急上昇した。お腹が空いていたのも忘れて、コルテスさんに駆け寄る。

「見つかったのですか!?」

 気がいてしまい、私の方から切り出した。コルテスさんは、ゆっくりと頷く。どこか尊さを感じさせる微笑みだった。

「ですが」

 一転、コルテスさんの顔がフイと背けられ、言葉を濁す。

「え?」

 その不穏な態度の変化に、私も固まらずにはいられない。どういう演出だろうか。喜ばせて落とす手法はやめていただきたい。

「街で使用人を雇っている屋敷は人が足りているそうで」

「はい」

「で、これは残念なお知らせしかできないと俺も落ち込んだんですが」

「ええ」

「先程、何と『先生』が直接いらして」

「せんせい?」と私の口から間抜けな声が発せられる。そして、丁度道中そのように呼ばれた人物がいたことを思い出した。

「お医者様ですか? それとも学校か何かの」

 コルテスさんはブンブンと首を振った。

「先生は、『魔法使い』です」

「……ふぉん」

 私は耳を疑った。戸惑って妙な返事をしてしまったけれど、そんなことは既に意識の外。たっぷり数十秒、私の思考は停止した。

 長過ぎる間の後。「え、今何て」と唐突にき返すと、ジッと私の返事を待っていたコルテスさんは「え? 何がですか」と身を乗り出した。

「あ、すみません。いえ、その先生が何だっておっしゃいました? 私の聞き間違いでなければ今……」

「魔法使い?」

「マホウツカイ……?」

 目をしばたたかせて固まる私。そしてそんな私の反応に目を点にするコルテスさん。

「…………」

 私たち二人はしばらく無言で互いの不思議そうな顔を見つめ合った。

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