一章 不名誉な解雇と再就職 (3)

 

  ◇◇◇


「本当に行くんだね」

「はい」

 次の日。私は再びトランクを片手に宿のカウンター前に立っていた。テオさんに二泊分の宿賃を払い、よくしてもらったことへのお礼を告げる。予想以上に早く宿を出ることができた。

 昨日は『魔法使い』というみのなさ過ぎるパワーワードに驚いてしまったけれど、そういう人が世界にいるということは聞いたことがある。ただ人口的には全体のほんの一握り、いや一つまみで、私には一生縁のない世界の話だと思っていた。実はまだちょっと疑っている。

 コルテスさんは「俺は先生を尊敬している」ということを何度も念押しした後に、その魔法使いの先生について話し始めた。

「実は先生のところにお手伝いに行った子は何人か居たんですけど、皆一週間ももたなくて」

「どこかからか分からないけど、志願者がいると聞いて俺のところに来てくれたみたいです」

「あまり街には降りてこなくて、家は街の外れの森の奥にあります」

「とにかく非ッ常に難しい人だっていうのは確か」

 コルテスさんは尊敬している先生にもかかわらず、私が断っても仕方がない理由をいくつかくれた。誠実な人だと感心した。しかし、それを聞いたところで私の答えはひとつ。

「ありがとうございます。是非よろしくお願いします」

 断る理由がなかった。三食いただけて、すみも貰える。聞けば給金も十分の額。しかも、空いた時間は好きなことをしていていいとのこと。こんな好条件、逃す手はない。

 心配顔のテオさんに見送られ、私はコルテスさんの案内で先生の家に向かった。道中、昨夜の間に浮かんだ質問をしてみる。

「先生、魔法でバーッとやった方が早いのでは?」

「うーん。先生は滅多に魔法を使いませんからねえ。俺は魔法について詳しくないのですが、とにかく先生は研究に没頭したいので他のことにかかずらうのがいとわしいそうです」

 魔法使いなのに魔法を使わないのかという疑問が浮かんだけれど、私の魔法のイメージはおとぎ話レベルでしかない。魔法とは手でやる作業が一気に終わる、という夢のようなものだと思っていたけれど、実際に使う人からしたら違う感覚があるのかもしれない。

 ともあれ、そういうことであれば家のことは全て私にお任せコースだと思っていて良さそうだ。それならば望むところだ。その研究とやらに先生を是非集中させてみせようではないか。

「ルシルさん一人ですから、大変でしょうが。頑張ってください」

「いえ、何かもう、一人の方が楽かもしれません。全部自分のペースでできますから」

「そういうものですか」

 コルテスさんは不思議そうな顔をしたけれど、人の力を頼りにしなくてはならない程、私のキャリアは浅くない。この仕事に就いたのは十六のとき。料理、裁縫、洗濯、庭いじり、日曜大工。大体のノウハウは身についている。加えて先生の家は、大人数の労力が必要な程の広さでもないそうなので、私一人で間に合うだろう。

 むしろ前の屋敷で同僚に恵まれなかった分、余計な人間関係がないということもプラスでしかない。同僚たちの仕事の配分や進捗を苦にするのも嫌だった。

 そんなことを話しながら森の中を進むと、次第にぽつりぽつりと道に置き石が現れた。小さな花がそこら中に咲き、童話の世界のようなメルヘンさを覚える。気が付けば植物のトンネルのようなところを歩いていた。

「な、なんか素敵ですね」

「先生は植物がお好きですから」

 風景に感動しながら歩みを続けると、森が開け、木々に囲まれた広い庭と白い壁の家が見えてきた。庭にもたくさんの植物が植えられていて、綺麗な花が咲き乱れている。

(こんなお家に住んでいるのだから、皆が言う程厳しい人ではないのでは)

 植物が好きで、森の中に住み、花に囲まれた庭を持った人。まだ見ぬ先生への想像が私の中で膨らむ。植物をよく手入れしているというだけで、マメで温かな人柄という印象を受ける。

 私も植物は好きだ。花が咲けば嬉しいし、収穫して食べられるならもっと嬉しい。先生もそうだろうか。もしかしたら、同じ喜びを先生と分かち合えるかもしれない。主からの不純な懸想はこりごりだったけれど、穏やかに植物をで合う間柄だったら大歓迎だ。

 素敵な庭。素敵な家。中はどんな風だろう。掃除をし、洗濯をし、料理をする。家主に心地よい生活を送ってもらう様努めるのが私の役目。同僚の居ない職場は初めてだけれど、これまでに培った全スキルを発揮する良い機会だと思える。

(私はここで、静かにせっせと働くの)

 高まるやる気。みなぎる期待。私は張り切ってコルテスさんの背後に立った。

「先生。ルシルさんを連れてきました」

 コルテスさんが木目調のドアに向かって大きめの声を出す。ドアはすぐに開いた。

「……」

 現れた先生を見て、私は思わず気をつけをした。さっきまで頭にあった甘い考えは一瞬で吹き飛んでいた。

「雇い主のフィリスと言う」

 黒のシャツに、黒のズボン。何より目を引くのが真っ白な髪。冷たく鋭い紫色の目が私を見下ろした。顔に刻まれたしわが一層表情の冷たさを際立たせる。

 一応不愛想であることは覚悟していたものの、今まで経験したことのない威圧感を覚えた。ただのこわもてのオジサマではない。無言の圧力。自分の要望通りやってきた家政婦に対して特段嬉しそうな様子もない。会釈すらない。

 先生は目で私に中に入るよう合図をするとくるりと背を向け、家の中へと消えた。

 後に続かなければと、私は冷や汗をかきながら家の敷居をまたいだ。途端に何とも言えぬ心細さを覚え、コルテスさんを振り返る。

 しかし、彼からは「頑張って」と笑顔とウインクが返ってきただけだった。

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