第四章 夜会 (1)

 歴史学者バーナードの屋敷に、仕事中のジェフリーが立ち寄っていた。

「今度王城で王家主催の夜会があるんだが、俺と一緒に参加してくれないだろうか」

「夜会ですか? 王家主催? そんな、私にはとても無理ですよ」

「ドレスやアクセサリーは俺が用意する。ダンスは踊れなければ踊らなくていい。俺の隣にいて親しげな雰囲気を出してくれればいいから」

「いったいどんな役割ですか」

 大男の困り顔がわいらしく見えて、思わずほほんでしまう。

「団長さんのような方ならいくらでもその役を引き受けてくれる女性がいるでしょうに」

「俺に色目を使う女性にそんなことを頼んでみろ、それこそ厄介なことになる」

むしけ役で参加しろと?」

「それもあるが、しつこく縁談を持ち込む上司を諦めさせたい。君なら貴族の令嬢役が務まると思うんだ」

 思わずため息が出る。

 王家主催の夜会だと、確率は極めて低いが顔見知りがいる可能性がある。国境を越えて活躍する貴族もいれば同業者もいるのだ。貴族令嬢のふりはお手のものだが行きたくない。

 (よし、断ろう)と顔を上げたところで今日屋敷を訪れていたエバ様が口を挟む。

「だめかしら。行ってやってくれない? それも仕事扱いにしてお給料の他に手当も出すわ。毎日毎日気難しい伯父おじの相手をして、家に帰ればまた気難しい老女がいるんでしょう? 仕事と老人と子供だけの毎日なんて、わいそうで胸が痛むわ。あなたはまだ若いんだから」

「いえ、でも私は……」

「ノンナは私が預かるから。安心して任せてちょうだい。気の毒なジェフリーを助けると思って。ノンナ、あなたひと晩ならビクトリアと離れても大丈夫よね? 私があなたと過ごすから。うちに来ればいいわ」

「大丈夫。ビッキー、団長さんと行ってあげて」

「えええ。ノンナ……」

 こうして退路を断たれた。

 仕方なく了承したが、当日のことをいろいろと想定しておかなくては。『最悪を想定して最善を尽くす』ことは骨の髄まで染み込んでいる。あとは知り合いに会わないことを神に祈るだけだ。


 夜、ベッドに入ったノンナにおやすみを言いに行くと、ノンナはまだ起きていた。

「ノンナ、眠れないの?」

「……」

「やっぱりお留守番は嫌よね?」

「お留守番できる。ビッキーが可哀想って言われたのが嫌だった」

「ノンナ……」

 思わずノンナの小さな顔を両手で挟んだ。

「私はノンナと暮らすのが楽しいの。ちっとも可哀想じゃないのよ。エバ様はそういうつもりで言ったんじゃないわ。気にしないでね」

「ビッキー、ドレスを着るの?」

「そうね」

「宝石も?」

「もしかしたらね」

 ノンナが少し笑った。

「なあに? どうしたの?」

「ビッキーがお姫様になるところ、見たい」

「そっか、わかった。ノンナ、私は可哀想じゃないから。それは気にしないでね?」

「うん」

「じゃ、おやすみ」

「おやすみなさい」

 

   ◇◇◇


 私は今、エバ様に「ひと通りのマナーをざっくり教えるわ」と言われて指導を受けている。

 毎日の仕事終わりにノンナを待たせるのは嫌だったから、「一、二度教えたら覚える人」という設定で指導を受けることにした。

「すごいわ。どうしてそんなに早く覚えられるのかしら」

「実は虫除けの役目を仰せつかったのは今回が初めてではないんです。でもそれはずーっと前のことでしたから自信がなくて」

「あー、なるほど。そういうこと」

 エバ様には「以前貴族のお屋敷で働いているときに、後妻の座を狙う令嬢たちを追い払うためにご主人様の仮の恋人役を務めたことがある」と説明した。それは本当だった。ただ、その時の私の目的はその貴族が他の国の誰とつながっているかを調べることだったが。

 もしかしたら愛人をやっていたのではと思われるのは覚悟の上だ。「そんな女は雇えない」と言われたら他の仕事を探せばいいかと思っていた。だがエバ様はそれを聞いても態度を変えなかった。バーナード様も気になさらないようだった。


 エバ様に身体のサイズを測られた十日後、サイズ直しされた既製品のドレスが団長さんの名前でミセス・ヨラナの屋敷に届いた。

 配達の人は母屋の貴族が注文したと思ったのだろう。薄紫の上品なデザインのドレスは襟ぐりと背中の開き具合も品が良く、同じ色の靴も別の箱に入って届いた。

 ドレスと靴の箱を運んでくれた侍女さんと一緒にヨラナ夫人もいらっしゃった。

「あなた、団長さんとお付き合いが続いているのね?」

「お付き合い、と言えるかどうか。団長さんはバーナード様のお屋敷に時々いらっしゃるので」

「このドレスは?」

「それが……」

 事情を説明するとヨラナ夫人は楽しそうに笑った。

「不器用な方ねぇ。そんな理由をつけなくても、正面からあなたを誘えばいいのに」

 もう食事とピクニックに行きましたとは言いにくくて曖昧に笑っていたら、ノンナが「三人でピクニックに行ったの」とうれしそうに報告する。

「あら、そうだったの。いいことよ。あなたも騎士団長も独身なんですもの。身分の差はこのご時世だもの、なんとでもなるわ」

「いえ、そんなお付き合いでは」

「いいのいいの。人生に恋のきらめきは必要よ。あなたは若いのだから」

 ヨラナ夫人の応援は私を少々困惑させた。虫除け役を務める以上、私たちは恋人同士と思われるだろう。今後いろいろ厄介なことになりそうだが、一度行くと言った以上は覚悟の上だ。

 『守れない約束はしない。交わした約束は守る』というのが私の信条だ。


 夜会の当日は朝から時間をかけて身だしなみを整え、団長さんを待った。

 夕方の四時、約束どおりに団長さんは馬車に乗って迎えに来た。そして正装した私をひと目見るなり驚いた顔をした。

「どこからどう見ても美しい貴族令嬢だよ。君は薄紫がきっと似合うと思ったんだ。今夜俺は嫉妬の視線にさらされるな」

「ありがとうございます。称賛は無制限に受け付けますわ」

 わざとツン、と気取った仕草であごを上げた私に団長さんが笑う。

 ノンナは本人の希望で結局母屋の侍女であるスーザンさんが預かってくれることになった。

「朝まで預かりますからね。今夜は帰ってこなくてもいいのよ」

「ヨラナ様、帰ってきますよ。いったい私をどんな不良にしたいんです?」

「ふふ。行ってらっしゃい。楽しむのよ」

 ウインクして送り出してくれるヨラナ夫人に頭を下げ、ノンナに手を振って馬車に乗った。乗るときに手を差し出してくれたアッシャー氏の大きな手は剣ダコで硬く、乾いていて温かかった。

「虫除け役が初めてじゃないこと、エバに聞いたよ」

「本日の虫除け役、しかとお任せくださいな。それで、しつこく縁談を持ち込んでくる方のお名前を教えていただけますか。お会いする前にその方のことを頭に入れておかなくては」

「あー。それは顔を見たら教えるよ。もしかしたら来ないかもしれないし」

 おしゃべりをしているうちにあっという間に王城に到着した。


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