第三章 初めてのピクニック (2)


   ◇◇◇


 バーナード様の誕生会で約束したとおり、私と団長さんの休日が重なった日にピクニックに行くことが決まった。

 バスケットにサンドイッチと果実水を詰め込んだ私は少々困っていた。

 仕事で親しくなる必要があって大人の男性と二人でピクニックに行ったことはあるが、子供を連れていったことがない。ピクニックで子供は何をするものなのかわからない。私は子供の時にピクニックなんて行ったことがないのだ。

「なんとかなるか」

 そう声に出して気持ちを切り替え、ノンナと二人で団長さんの迎えを待った。

 団長さんは自分で小型の馬車を操ってやって来た。そして私とノンナを乗せると「片道一時間ほどの森へ行く」と言う。馬車の中でノンナがいつになくソワソワしている。

「ノンナ、楽しみね」

「うん」

「何して遊ぼうか」

「木登り」

「ノンナは木登りが好きね」

「うん」

 私はノンナにいろんなことを教えている。私に権力と身分がない以上、今のままでは運が良くない限りこの可愛さがあだになる気がして。

 ノンナが身につけてくれるのなら読み書き計算、語学、料理、体術、何でもよかった。ノンナにはお金のために男性の言いなりになるような選択をしてほしくないし、将来自分の子供とお金の交換もしてほしくない。経済的に自立する手段を持たせたいし、力ずくで言いなりにしようとするやからに対抗する技術も身につけさせたい。そういう女性を見てきたし、お金がないせいで自分の親は八歳の私をランコムに引き渡さなくてはならなかったからだ。

 木登りだってできないよりできたほうがいい。非常時に逃げ道がひとつ増えるはずだ。


 やがて森に到着して、団長さんは少し開けた場所に馬車を止めた。

「疲れたろう。少し休もうか」

「はい、そうしましょう」

 私たちは腰を下ろしたが、ノンナはこんな場所に来たのは初めてらしくはしゃいでいた。歩き回っては落ちている石を拾って離れた場所の木の幹に目がけて投げている。

 コンッ!

 場所を変えながら投げられる石が次々と一本の木の幹に命中する。それを見ていた団長さんは、六歳のノンナが全ての石を命中させるのに驚いたようだ。

「ノンナすごいぞ。あの木に届くだけでもたいしたものなのに、全部命中してるじゃないか」

「ビッキーはもっと上手」

「そうなのか? ビクトリア、ぜひ見せてくれよ」

「あはは……私ですか?」

(下手に投げるべき? この人だとそれは見破られる?)

「団長さんが先にお手本を見せてください」

「いいよ」

 団長さんが投げる。見事に全部が木の幹の同じ場所に当たる。なるほど。これなら私が命中させても大丈夫か。

 私も投げた。わざとひとつだけ外して他は全部命中させた。

「ノンナもビクトリアもすごいな」

「おてんな子供だったもので」

「もので!」

 ノンナが楽しそうなのがうれしかった。あおはいいろの目が輝いている。

(ピクニックに来てよかった)と思いながらノンナの嬉しそうな様子を見ていたら、今度は靴を脱いで靴下で木を登りだした。

「おいおい、今度は木登りか。落ちるなよ」

「ビッキーはもっと上手!」

 驚いた顔で自分を見る団長さんの視線が痛い。

「田舎育ちのお転婆な子供だったものですから」

 同じセリフを繰り返す。

 私はノンナに細かく口止めをしていない。きちんと約束を守らせたいなら規則や制限は少ないほうがいいと思っている。だけど今、「はしゃいでる子供はいちいち念を押さないとなんでもしゃべってしまう」と心に刻んだ。

「私は登りませんよ。スカートなんですから」

「わかってるさ」

 団長さんが笑う。笑うと目尻にシワが寄って整った厳しそうな顔が優しい顔になる。そしてやはり声がいい。ノンナはかなり上まで登ってから枝に腰掛けた。脚をブラブラさせながら私たちを見下ろしてご機嫌だ。

「危ないな」

 そう言って団長さんは木の方へと向かった。落ちてきたら受け止めるつもりらしい。私はノンナの技量を知っているのでさほど心配していなかったが一緒に木の下に向かった。

「本当にこれも君が教えたのか? 危ないと思うが」

「危ないことを全部遠ざけていたら守られるだけの女に育ってしまいます」

 団長さんがチラリと私を見る。気に入らなかったのだろうか。

「生意気を言いましたね」

「いや、そんなことを言う女性は初めてだから驚いただけだ」


 ノンナは危なげなく下りてきた。団長さんは「危ないよ」と注意するのかと思ったら何も言わなかった。その後は三人で追いかけっこをしたり花をんだりして過ごし、昼食になった。

「先日の料理も旨かったがこのサンドイッチも旨いな」

「ありがとうございます」

 今日は鶏肉と野菜とゆで卵のサンドイッチ、ジャムとバターのサンドイッチ、マスタードをたっぷり使ったゆで豚と刻み玉ねぎのサンドイッチの三種類を用意した。

 予想どおり団長さんは肉や卵が入っているものが好きそうだ。ジャムとバターのサンドイッチはノンナの好物だ。

「君は料理人だったのか? それとも学者だったのか?」

「料理人として働いたこともあります。語学は本当に趣味です」

「ほう。すごいな」

「貴族の皆様は子供の頃から何ヶ国語も身につけるのでしょう?」

「まあそうだが。君は平民なんだろう?」

「はい。貧しい家の生まれです。何でもやらなければなりませんでした」

「そうか」

 団長さんの眼差しが一瞬同情の色に染まった気がして申し訳なく思う。(そういう仕事だったんですよ)と心で付け加えた。

 ノンナが敷物に座っている私に抱きついて首に腕を回してきた。そのきゃしゃな腕をいとおしく指先で撫でながら話しかけた。

「楽しいわね」

「うん」

 同居し始めた頃は私に触れることを遠慮していたノンナだったが、最近はずいぶん甘えてくれるし触れてくれるようになった。

 妹のエミリーとは私が八歳の時に別れたので『可愛かった』という漠然とした印象はあるものの、あまり姉妹として関わった記憶がない。ノンナは今や妹のような娘のような存在だ。

「すっかりなついているようだ」

「ええ。可愛くって可愛くって。子供がこんなに可愛いとは知りませんでした」

 私たちの会話を聞いていたノンナが縛っている私の髪にほおを押し付けた。これは嬉しくて甘えたいときによくやる仕草だ。

「ピクニックに連れてきてもらってよかったわね」

「うん! ビッキーもよかった?」

「ええ、よかったわ。楽しいもの」

 するとノンナが私の首から腕を外してダダッと走り、トン! クルリッ! と空中高く前方に飛び上がり上半身を勢いよく折り曲げつつひざを胸に引きつけて一回転してきれいに両足で着地した。

 あらまあ。

 前方宙返り、今まで成功したことなかったのに。なんで今できちゃうかなぁ。はしゃいでるときの子供の能力って普段の五割増しくらいになるのしら。

 驚きで目を大きく開いた団長さんがそのまま顔を私に向ける。

「あれも君が伝授したのか?」

 苦笑して何も答えなかった。団長さんは小さく首を振りながらノンナの方に顔を戻した。

 

   ◇◇◇


 ピクニックは楽しい思い出をたくさん作って終わりになった。三人で馬車に向かい、団長さんは御者席に片足をかけた状態で動きを止めた。

「三人水入らずがいいと思ったんだが、失敗だったな」

「お疲れでしたら私が御者を務めます」

「そうじゃない。御者がいたら往復二時間君たちと会話できた。それにしても君は御者も……いや、もう聞くだけ無駄だな」

「器用貧乏という言葉もありますわ」

「その言葉は君には当てはまらないよ」

 団長さんは、後ろでひとつに縛っていた私の髪を利き手で大切そうにひと撫でしてから御者席に座った。

 これ、仕事なら嬉しそうに笑ってみせる場面だけど、私は今、どんな顔をしていただろうか。確信がない。相手によってはゾッとさせられる行為だけど不快でないことは確かだった。

 ノンナは疲れたらしく私の膝枕で眠ってしまった。私も心地よい疲労を感じながら窓の外を眺めた。

 仕事でさまざまな職業を経験し、いろいろな階級の人間になった。あの組織も仕事も嫌いではなかった。家族のために役に立てたし、とても濃くて有意義な十九年間を過ごしたと思っている。

 だけど今まで好きな相手もいなければ本物のピクニックも知らなかった。おそらく私に自覚がないだけで、一般的な職業に就いた人たちに比べたら他にもいろいろ欠けている部分はあるのだろう。

 だけど欠けていたところはこれから自分でいくらでも埋めればいい。焦る必要はない。それに、まん丸な人生が尊くていびつな人生が劣るなんてルールもない。足りないところを埋めていくのも楽しそうだ。新たな手札を増やしていくのも面白い。

 気がついたら私の口角が少しだけ上がっていた。

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