第三章 初めてのピクニック (1)

 ジェフリー・アッシャーは実家で伯父おじの誕生会に参加する準備をしていた。伯父は母の兄で歴史学者である。

 居間で兄のエドワードが話しかけてくる。

「なんでも有能な助手を雇ったらしくてね、エバが大絶賛していたよ。語学堪能な上に家事全般に優れているそうだ。自分が雇いたいのを我慢してるんだと手放しで褒めていた」

「そうですか」


 ジェフリーは伯父が苦手だ。

 従妹いとこのエバは頻繁に顔を出しているようだが自分が顔を出すのは年に数回。伯父は学問一筋で生きてきた学者にありがちな世間知らずで尊大な性格だ。使用人が居つかないのも当然だとジェフリーは思っている。それが、である。

 久しぶりに顔を合わせた伯父の雰囲気が柔らかくなっていた。家の中も美しく整えられていて、伯母が生きていたときのように温かいしつらえに変わっている。

 テーブルにはきっちり折られたナプキンが置かれ、カトラリーが整然と並べられている。テーブル上の花もレストランのようにセンスよく飾られていた。

 エバと夫のマイケル、自分たち兄弟がそろって着席した。

 そこでタイミング良くスープを運んできた助手とやらを見てあんぐりと口を開けてしまった。ビクトリア・セラーズが白いメイド用のエプロンをつけて登場したからだ。

「セラーズさん!」

「まあ団長さん。お久しぶりでございます。そろそろ報告書をお送りしなくてはと思っていたところですわ」

 二人の様子を見ていた兄に、

「とりあえず誕生会を始めよう」

 と言われて乾杯をしてからスープに口をつけて、また目を見張る。

「ジェフ、うまいな」

 兄に先に言われてしまったが、マッシュルームのポタージュは風味が良くて生クリームで美しい模様が描かれていた。レストランで出されても満足する味と見た目だ。

 カリカリの小さなパンの上にますのマリネと玉ねぎとピクルスをのせた前菜はこれだけを大量に食べたいと思ってしまう。食べる前より空腹になった。ごく少量飾られているディルとケイパーが鱒の癖を上手に消してコクを引き立てていた。

 メインはラムクラウン。王冠のような形に盛り付けられた骨つきラムだ。ラム肉の王冠の内側には小玉ねぎと丸く飾り切りされたにんじんがローストされて詰めてあった。羊肉はむと柔らかく崩れて肉汁が口の中にあふれる。味付けは香草の香りが生かされ、わずかに使われている唐辛子が味のアクセントになっていて、側面に貼り付けられた刻んだナッツが香ばしく歯応えも楽しい。

「ビクトリア、これはこの前のと違うな?」

「はい、バーナード様。ナッツを使いました」

「これも実に旨い。君とノンナも一緒に食べるといい」

「いえ、私たちは……」

 二人のやり取りを聞いていたエバが割って入る。

「ビクトリア、あなたもぜひ同席してよ。伯父様をまともな人間の暮らしに引き戻してくれた功労者ですもの。お願いよ」

 ほほんだビクトリアは台所に声をかけてノンナを連れてきた。本を片手にやって来たノンナは二ヶ月前よりも健康そうでわいくなっていた。貴族の令嬢と言われたら信じてしまいそうだ。

 そういえばビクトリアも少しふっくらして女性らしい体つきになってきている。顔色もいい。

「こんなところで働いていたのか」

「こんなところとはひどいなジェフリー。ビクトリアは四ヶ国語に堪能でな。家事まで文句なしだ」

「四ヶ国……」

 伯父と弟のやり取りを面白そうに眺めていた兄が口を挟む。

「お前と彼女はどんな知り合いなんだい?」

 そこでジェフリーが二人の出会いを説明するとエドワードが(ははーん)という顔になった。しばらく前に弟が珍しくおしゃれして出かけたときの相手だと気がついたのだ。

 ビクトリアはジェフリーの説明から身元保証人の部分だけがすっぽり抜けているのに気づいたが、何も言わないで聞いていた。

 エバは呆れている。

「ええ? 子供をおんぶした状態で足払いをかけたの? それはまた怖いもの知らずというか無謀というか」

「確かに今思うと無謀でしたね。でも、そのご縁で今はバッグをひったくられた方の離れをお借りして住んでいるんです。東区にしては破格のお家賃なんですよ」

 ジェフリーが会話に入ってきた。

「東区に住んでいる貴族というとどなたのお屋敷だい?」

「ヨラナ・ヘインズ様のお屋敷ですわ」

「先代のヘインズ伯爵夫人の家か。それはまた。彼女は気難しいだろう?」

「いいえ、全く。お優しくてノンナのことも可愛がってくださって。とても素敵な大家さんです」

 アッシャー家の兄弟とエバ夫婦が互いに顔を見合わせている。

「あのご婦人は気難しいので有名なんだが。でも伯父上のことをここまでなずけてしまうあなたならあり得るな」

「エドワード、手懐けるとはなんだ。失敬な」

 皆が笑う。ノンナはキョトンとしている。ビクトリアはだいたい察しがついた。だがバーナード様とヨラナ夫人の気難しさなど可愛いものだ。それに気難しい人ほど一度懐に入れた者には優しい。

「私はこの国に来て以来、ずっと周りの方々に恵まれているんです。ありがたいことですわ」

 やがて楽しく盛り上がった誕生会が終わり、エバとマイケルは帰り、エドワードもジェフリーに「そろそろ私たちも」と声をかけた。

「兄上、私は少し彼女と話をしてから帰ります。先に帰ってください」

「ほう。そうか。では先に帰るぞ」

 エドワード・アッシャー伯爵は興味深そうな顔をしたが何も言わずに馬車に乗って立ち去った。ビクトリアはそれを見送り、後片付けはやめてノンナに「遊んで待っててくれる?」と伝えた。バーナード様は昼の酒が効いたらしくソファーで気持ち良さげに眠っている。

 玄関のドアの外で二人だけになった。

「お話というのは?」

「ああ、前回の三人での夕食があんまり楽しかったから。また一緒に食事をしたくてね」

 ビクトリアはほのぼのした気分になった。

 情報を得るために恋愛のような形になることが何度かあったが、それは仕事でしかなかった。本気で誰かを恋愛対象として好きになったことは今まで一度もない。

「迷惑だろうか」

「いえ、迷惑だなんて。ただ、私は貴族の方と親しくできるような人間ではありませんので」

「俺は次男だから。家を継ぐわけじゃないし、あまり身分のことを難しく考える必要はないんだ」

「……そうですか」

 気がつくとノンナがドアを細く開けて心配そうにこちらを見ていた。それに微笑みかけて『大丈夫よ』と言うようにうなずいてみせる。

「私はノンナを無事に育てることが今の一番の目標で……」

 ノンナが急いで近寄ってきてビクトリアに抱きつく。ビクトリアがその頭を優しくでた。

「……わかった。それなら今度三人でピクニックに行かないか?」

「ビッキー、ピクニックってなに?」

 ノンナが目を輝かせて尋ねる。

「もう、ノンナが期待してしまったではありませんか」

 ビクトリアはジェフリーに柔らかくとがめるように目を向けたが、ジェフリーもノンナと同じ期待の眼差しを自分に向けている。その顔を見て「仕方ないですね」と笑った。

「わかりました。お弁当を持っていきましょう、ピクニック。で、私の身元保証人になった話はお兄様に知られるとまずいのですね?」

「いや、そうじゃない。伯父やエバに知られると身元保証人の役割を横取りされそうだからさ。じゃ、ピクニックの日時はあとで連絡するよ。君の休みになるべく合わせる」

 そう言ってジェフリーは歩いて帰っていった。

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