第一章 少女との出会い (4)

 候補の物件を二つとも下見した。

 ドアの前に立って上品に耳を澄まして近所の様子を調べた結果、一軒目のお隣さんは奥さんがヒステリックに誰かを怒鳴り散らしていてノンナが怯えた。却下。

 二軒目は階段にゴミがいくつも落ちていて管理が行き届いてない。これも却下。

「今夜はありがとうございました。夕食も美味しかったです。ごちそうさまでした」

「貸し部屋はどっちもお勧めできないな」

「ええ、私もそう思いました。また他の業者を探します」

 少し疲れた顔をしているノンナをアッシャー氏が抱き上げて歩きだした。ホテルまで送ってくれるつもりらしい。

「団長さん、ここからは私が背負って帰ります。お食事をご馳走になった上に貸し部屋めぐりまでお付き合いいただきましたから。これ以上ご迷惑はかけられません。本日はありがとうございました」

 そうはっきり伝えたがアッシャー氏はつか『困った人だ』というような表情で私を見下ろしたあと、聞こえなかったように歩きだした。

(ええ?)と思っていると団長さんは前を向いたまま口を開いた。

「あなたはランダル王国からこの国に来たばかりだ。ランダルではどうだったかわからないが、この国では夜間に女性が子供を背負って歩くことは安全とは言えない。送らせてほしい」

 なるほど。

「ではお言葉に甘えます。感謝しております」

「堅苦しいなぁ」

「そうですか?」

「うん。それにしてもあなたはアシュベリー語が上手だね」

「語学の勉強は趣味でしたので」

「立ち入ったことを聞くようだけど、ランダルではどんな仕事を?」

 私は無邪気そうな笑顔を作る。

「いろいろです。またいつかお会いする日がありましたら思い出話でも」

「では次に会う日を楽しみにしているよ」

「ええ、わかりました」

 ホテルに着き、昨日と同じように部屋までノンナを運んでもらい、今回はドアのところでノンナを受け取って挨拶をした。

「とても楽しい夜でした、団長さん」

「俺もだ。おやすみ」

「おやすみなさい」

 アッシャー氏はヒラヒラと後ろ姿で手を振って帰っていった。私はノンナをベッドに寝かせ、着替えをさせて布団をかけた。

 そのまま床に顔を近づけて足跡をチェックする。部屋を出る前、習慣でベビーパウダーを極々薄く撒き散らしておいた。

 足跡なし。引き出しも開けられた形跡なし。そりゃ普通はないか。

 私は急いで一階に降り、お湯を浴びて身体を洗った。

 明日は仕事を先に探そう。仕事場を決めてから職場に近い部屋をゆっくり探せばいい。

 部屋に駆け足で戻るとノンナはよく寝ていた。

「二人で楽しく暮らそうね」

 小さな声で話しかけたら眠っているノンナが少しだけ口角を上げた。いい夢を見てほしい。楽しい子供時代をこの子に過ごさせてやりたい。


 私が家を出たとき、妹のエミリーはまだよちよち歩きだった。ノンナの世話をしていると、私はあのまま実家にいたらこんな感じに妹の世話をしていただろうと思う。

 そして両親は八歳の私があのまま実家にいたら、こんな風に手をかけていただろうと想像する。ノンナの世話をしていると、まるで自分が失った大切な時間が戻ってくるような気分になった。

 たった二日間で私はすっかりノンナに情が移ってしまった。

「まずは仕事を見つけなきゃ」

 当分働かなくてもお金の余裕はあるが、働こう。自宅でできる翻訳の仕事があれば一番いいのだが。

 真面目に働いている真っ当な人間だという事実があると世間に信用されやすい。私はノンナの隣に潜り込み、目を閉じた。


   ◇◇◇


 ジェフリー・アッシャーは楽しかった時間の余韻に浸りながら酒を飲んでいた。広い居間はスッキリした内装で、置いてある家具はどれも名工の手による古いものだ。

 ここは兄が当主であるアッシャー伯爵家の王都の屋敷。

 普段のジェフリーは騎士団の宿舎住まいなのだが、病気がちな母の容体が心配なのと母親が寂しがるのとで、週に一度くらいは屋敷に顔を出すようにしている。

「戻ったのか」

「ええ。兄上はまだ仕事の途中でしょう?」

 兄のエドワードも銀髪で、亡き父の銀髪を兄弟そろって受け継いだ。兄は四十歳。八歳年下の自分をやたら心配して面倒を見ようとするのが困りものだ。三十二歳はもはや兄に心配されるような年齢ではないと、何度言っても理解しない。

「お前が珍しくしゃた服装で出かけたと聞いたからね。女性と出かけたんだろう?」

「そんなことを言うためにわざわざ顔を出したのですか?」

「そう邪険にするな。私は喜んでいるんだよ。お前が女性と出かけるなんていつ以来のことか」

 ジェフリーはもう何十回言ったかわからない台詞せりふをまた口にしなければならないことにため息をつく。

「兄上、いつまでも私をわいそうな被害者みたいに扱うのはやめてくれませんか」

「わかったわかった。その話はもうしないよ」

 エドワードは両手を上げて降参のポーズをとった。

「で? 楽しかったのか」

「ええ、楽しかったですよ。この国に来たばかりの外国人の女性と彼女が保護した六歳の少女の三人で楽しく食事をしてきました」

「……」

「兄上には跡継ぎがいるのですから、そちらを心配していればいいのですよ。私の心配はしなくても大丈夫です。では、明日は朝早いので私は寝ます」

 そこまで言ってさっさと自室に向かった。

 ビクトリア・セラーズは平民の女性だが、言葉遣いは知的で物腰が上品だった。そしてかなりの度胸がある女性だった。

 この王都では、自分を騎士団の団長と知っている女性も知らない女性も、自分を見るとベタベタと絡みつくような視線を送ってくる。少年の頃からそんな状況だったから笑顔で拒絶する技ばかりが上手うまくなった。

 だからビクトリアが自分を頼ろうとしないことも、粘つく視線を向けないことも、入国したばかりの国で保護した捨て子を一人で面倒を見ようとしていることも、全てが新鮮で好ましく見えた。そんな自立心旺盛な彼女が自分に身元の保証を頼んできたのは困った挙句のこととはいえ、本人はさぞかし不本意なことだったろう。

 それにしてもひったくりに足を掛けて転ばすなんて。

 あの若い男が起き上がって襲いかかってきたらどうするつもりだったのか。男と格闘するには細すぎる身体で、しかも眠った子供を背負っていたというのに。

 無謀すぎる。

 だが、走ってくる男をノンナを背負ったまま迎えた彼女にはすきがないような気がして(あ、あの女性は武闘派だ)と思った自分は見誤ったんだと思う。

 一緒に食事をしてみれば、細い身体で気持ちのいい食べっぷりを見せてくれた。食の細さ、か弱さを印象づけようとする令嬢たちよりずっと魅力的だった。

 彼女は遅い時間に貸し部屋を下見に行くつもりだったらしい。ノンナがそのことをうっかり漏らしたときに(しまった)と思ったようだった。彼女は感情を全く顔に出さなかったが、長年、街の人々の中で働いている自分はわずかな目の動きで彼女が慌てているのがわかった。

 興味深い。

 あそこまで人を頼りにしない女性は見ていて爽快だったが、心配にもなる。彼女がこの国にんで無事に生活の基盤を築くまでは頼りにしてくれたらいくらでも手を差し伸べたい……とは思うが。

 まあ、ありがた迷惑だろう。

 そう苦笑して余計な手助けはやめておこうと思った。彼女がそれを望んでいないことがひしひしと伝わってきた。泊まっているホテルから想像するに金銭に不自由はしてなさそうだし、身元保証人としては頼られたら助ける、くらいがちょうどいいのだろう。ジェフリーはビクトリアのことは今夜を最後に自分からは関わらないことにした。過去の苦い記憶がちらりと心によみがえったからだ。


 翌朝、王城の敷地内にある騎士団の建物に足を踏み入れると、皆がキラキラした目で自分を見る。(なんだ?)と思いながら自室に入ると秘書の四十代の女官が兄と同じような笑顔で自分を見る。

「なんだい?」

「いえ、なんでもございません」

 そう言いつつも生温かい目を向けてくる。その意味がわかったのは昼食時に騎士団の食堂に入ってからだった。

「団長! 見ましたよ! 昨夜はお楽しみでしたね!」

 第二騎士団の若手のボブである。(こいつが発信源か)と事情を察して手招きでボブを呼び寄せて言った。

「ボブ、おくそくうわさをばら撒くなんてずいぶん余裕があるようだな。十三時になったら鍛錬場に来い。久しぶりにみっちり訓練してやろう」

「えええ」

 情けない声に笑いそうになるが、いかめしい顔を崩さないようにした。


 三人の夕食会から三週間が過ぎたある日。

 ジェフリーは規則に従い、ビクトリアの身元保証人として彼女が宿泊していたホテルに向かった。

「ビクトリア嬢はまだこちらに泊まっていますか?」と尋ねると、受付の人間から一通の手紙を渡された。

 封筒には美しい文字で自分の名前が記されていた。急いで開封した。


『ジェフリー・アッシャー第二騎士団長様

 ご無沙汰しております。

 ノンナを引き取る際に私の身元引受人になってくださりありがとうございました。ご招待いただいた夕食も素晴らしく美味しいものでした。

 入国直後の心細いときでしたので大変心強く励まされました。感謝しております。

 ノンナも私も元気に過ごしております。仕事が無事見つかり、安心できる部屋も借りることができました。ご連絡も差し上げずに移動した失礼をお許しください。

 この国では遺児を引き取った者は身元保証人に毎月現況報告するのが義務と聞いております。また一ヶ月後には報告のお手紙を差し上げます。次回は騎士団に報告書をお送りいたします。

  現況報告まで。

                  ビクトリア・セラーズ』       


 あまりに事務的な内容で笑いがこみ上げる。だが、元気ならそれでいい。彼女は一度も心細そうな顔などしなかったが、そこは大人の社交辞令なのだろう。縁があればどこかで会うだろうし、顔を合わさなくても一ヶ月後には報告書が届くのだ。

 書かれていた新しい住所は貴族が住む東区だった。実家からもそれほど遠くはない。貴族の家の住み込みの仕事でも見つけたのだろうか。

「二人の様子を確認しなくては」

 と思いつつなかなか行けないまま時間が過ぎてしまっていた。

『親を失った子供を引き取った者は身元保証人に毎月の報告書を、身元を保証した者はそれをもとに住居を確認し、子供の状況と報告書に違いがないかを確認すること』

 という期限が迫っていた。

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