第一章 少女との出会い (3)

 二人でいくつか貸し部屋業者を回り、書類で候補を二つに絞って一度ホテルに帰った。

「この子はおとなしい」と言っても、子供がいるならだめという物件が結構あった。その大家だって昔は子供だったろうに。

 そんな大家は出かけるたびにうっかり犬のふんを踏め、と呪っておく。

「ノンナ、私は今夜遅くなってから今日書類で見た部屋を見に行くの。だからもし寝ているときに目が覚めて私がいなくても、心配しないで待っていてね」

「一緒に行く」

「夜遅い時間だから子供は連れていけないのよ」

「……」

 夜に一人は嫌だよね。

 でも夜遅くに六歳児を連れて歩いていたら、厄介ごとのタネをきながら歩いているようなものだし。

「どうしてもだめ?」

「夜遅くは悪い人に出会っちゃうことがあるから。私一人ならやっつけられるけど、ノンナがいたら戦えないでしょう?」

「お留守番……やだ」

 そっか。散々留守番をした挙句に親に捨てられたばっかりだものね。また捨てられるかもって思っても仕方ないか。

「じゃあ……約束して。私が声を出すなと言ったら何があっても声を出さない」

「わかった」

「走れと言ったら私のことは気にせず全力で走って隠れる」

「できる」

「叫べと言ったら思いっきり叫ぶ」

「できる」

「動くなと言ったらじっと動かない」

「わかった」

 必死な顔のノンナを見たら、それでも一人で留守番して待てとは言えなかった。不安に駆られて部屋を出られても困るし。この子がいてもたいていのことは回避できるとは思うが。今までもおびえて動けない対象者を励ましつつ守りながら逃げたり戦ったりしてきたんだし。体が小さいノンナなら最悪担いで走ればいいか。

 いや、普通に暮らしている人間はそうそう敵と戦わないのはわかっているけど。そもそも今の私には敵がいない。

「じゃあ、団長さんと夕食を食べる前にたっぷりお昼寝しようか」

「うん!」

 夕方、二人でベッドに入ってノンナの背中をトントンしながら向かい合って寝た。ノンナは案外早く眠った。私はそっとベッドから抜け出して静かにトレーニングを始めた。組織から抜ける準備で食事を減らし、運動をしないで暮らしていたからかなり体がなまっている。

 筋肉を鍛える運動をひと通りこなしてからお湯を使って汗を流した。

 お化粧をし、隣国ランダルを横断中に買ったワンピースに着替えてからノンナを起こした。ノンナはぐずらない。子供らしい文句も言わない。子供らしくないのは子供でいられない環境だったからか。


 やがてノンナがちゃんと目を覚ました。

「ビッキーきれい」

「ありがとう。ノンナも着替えようね」

 詰め所からの帰りに買ったワンピースに着替えさせて髪をとかした。うん、可愛い。ノンナが青いリボンを手に取る。昨日自分で大切そうに畳んで置いていたっけ。

「それを結びたいの?」

「うん。リボン、初めて」

「……」

 ノンナがそれを嬉しそうに言うのが余計に切ない。柔らかい金髪の頭に青いリボンを回して頭の上でちょうむすびにするとお人形さんのようだった。

「団長さんはこんな美人さんと食事ができて幸せね。ノンナ、好きな食べ物はなあに?」

「丸パン」

「……そっか。これからは好きな食べ物を増やそう。毎日美味しいものをたくさん食べよう。私が料理をするから」

「料理したい」

「いいわよ。教えてあげるね。私が知っていることは何でも教えてあげるわ」

「ありがとう」

「どういたしまして、ノンナ。二人で楽しく暮らそうね」

 悪くない。

 子供のいる生活は思っていたよりもずっと楽しそうだ。

 時間ぴったりにドアがノックされた。

「はあい。どなた?」

「俺です。ジェフリー・アッシャー」

「今開けます」

 すぐにノンナに小声で説明した。

「ノックされても、約束があっても、すぐにドアを開けてはいけないのよ。のぞき窓があれば覗く。覗き窓がなければ声を聞く。覚えてね」

「わかった」

 ドアを開けると黒に近い濃紺色のスーツを着たアッシャー氏が立っていた。私より頭ひとつ高い。(この人、モテるんだろうな)とまた思う。そもそも既婚者か独身者かも知らないけど、まあ、こちらは子連れだからそこは気にしなくてもいいのか。

「こんばんは、団長さん」

「やあ、二人ともきれいだな。楽しい夕食になりそうだ」

 私はノンナと手をつなぎ、アッシャー氏と三人でレストランに向かった。アッシャー氏は私たちの歩く速さに配慮して歩いてくれた。よく気がつく人だ。

 ノンナの足取りが軽い。私も食事が楽しみだ。


   ◇◇◇


 連れていってもらったレストラン『アイビー』は名前のとおり外壁をアイビーに覆われた店だった。

 アッシャー氏はここでも顔を知られていた。騎士団長は王都の民に敬愛されているらしい。

 ただ、私とノンナを連れているのを見た案内の男性もホール係の女性も一瞬「え?」という顔をしたのが気になる。

「ここ、かおみのお店なんでしょう? 私たちを連れてきて問題なかったのですか?」

「俺? 俺の方は問題ないよ。気楽な独り身だ。誰にも遠慮は必要ない」

「それなら安心しました。団長さんを狙っている人に恨まれたくありませんもの」

「そんな人はいないさ」

 いや、いる。絶対にたくさんいる。

 アッシャー氏の口調がざっくばらんになっているけど、これが素なのだろうか。アッシャー氏は黒のドレスシャツを微妙に着崩していて大人の色気が漂っていた。

 ホール係のチーフらしい男性が注文を聞きに来た。私とノンナの分はアッシャー氏にお任せした。やがて前菜と一緒に白ワインと果実水が運ばれて三人で乾杯した。ノンナが美味しそうに果実水を飲んでいるのが可愛い。

 前菜はながの身を金串に刺してあぶってオリーブオイルを塗ったものと、薄く切ったパンにハーブ入りバターを塗った小さなカナッペ。上に上等なハムと刻んだ香草がのっている。

 手長海老が甘くて美味しい。ノンナも気に入ったようでパクパク食べている。

 ノンナを眺めている私をアッシャー氏が見ているのに気づいた。

「私、何か不作法なことをしましたか?」

「いいや。君は子供が好きなんだなと思っただけだ」

「子供が好きというよりこの子が好きなんです」

 アッシャー氏は姿勢が良く食べ方も上品だ。きっと育ちが良いのだろう。

「俺の仕事終わりに時間を合わせてもらったから、ノンナが眠くならないといいが」

「お昼寝した。お部屋を見に行くの」

 しまった、口止めを忘れていた。案の定アッシャー氏が眉を寄せた。

「お部屋って貸し部屋か? 食事の後で? 夜に子連れじゃ危ないだろう」

「そうなのですが、夜はどんな感じか確かめてから契約しないと、ハズレを引く場合がありますから」

「それなら俺も同行しよう。夜に女性と子供だけで歩いては危ない」

 うん、そうなりますよね。王都警備担当の第二騎士団団長ですものね。でも、それだと契約候補の部屋の上下左右の部屋のドアや壁に耳をつけて中の様子を探ることはできなくなってしまう。

「迷惑か? でも我慢してくれ。身元保証人としては君たちの安全に関することは譲れないよ」

「迷惑だなんて。心強いです」

 笑顔で愛想良く返事をした。

 食事は順調に進む。骨つきの肉の食べ方がわからないらしいノンナのために肉を切り分けたり、ソースがついた口の周りを拭いてやったりして、私はほのぼのしていた。

「これ、なんの肉?」

「子羊の香草焼きよ」

「ふうん」

 ノンナは子羊の肉が気に入ったようだ。貸し部屋に入居したら家でも作ってあげよう。

 おなかいっぱい食べてから店を出てのんびり歩いたら、一軒目の貸し部屋の候補に向かっている途中で鐘の音が九回鳴った。

 目的の建物の前に到着すると、アッシャー氏が環境を確かめるように周囲を見回している。

「どの部屋?」

「二階の角部屋です」

 窓が暗い一室を指さす。

 こんなに簡単に住まいを他人に教えることに迷いを覚えるけど、普通の平民の女性はどこまで用心するものなのかよくわからない。工作員ならあり得ないことだけど、アッシャー氏が部屋に押し入って私たちを殺すことはないだろうと判断した。

 アッシャー氏の行動をいちいち疑ってかかるのは愚かなことだ。彼は工作員でも暗殺者でもないし、全人口に占めるその手の人間の割合を考えたら私が彼らと出会うことは奇跡みたいなものだ。

 そういえば組織の精神科医が『クロエが十九年間自滅せずにいられたのはその図太さのおかげだ』と笑って言っていたっけ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る