第一章 少女との出会い (2)

 「お帰りなさいませ、セラーズ様」と迎えてくれたフロントの男性にノンナのことを説明した。アッシャー氏はフロントの人とも親しげだった。

 部屋までたどり着いてノンナをベッドにそっと下ろしてもらい、「助かりました」とお礼を言ったらアッシャー氏はピシリと良い姿勢になった。

「犯人逮捕のご協力とあの子の保護をありがとうございました。ではおやすみなさい」

 団長さんモードで最後を締めて帰っていった。それを見送ってドアに鍵をかけた。用心のためにドアノブの下側に椅子の背もたれをしっかり差し込んでから身体を拭いた。

 さっぱりとした体に夜着を着てノンナの隣に潜り込んだ。

 おなかが空いていたがこの子を置いて出かける気になれない。ルームサービスは大げさだ。空腹を我慢して眠ろう。

「おやすみノンナ」

 小声で声をかけて私もベッドに入った。ビクトリア・セラーズとしての初日はなかなか盛りだくさんだった。


 翌朝、空腹で目が覚めた。ノンナは先に起きていて私の顔を眺めていた。

「おはようお姉さん」

「おはようノンナ。朝ごはんを食べる前に一緒にお湯を使おうか」

「うん」

 二人でホテルの一階にある浴室に入り、備え付けのせっけんでノンナを洗った。全身をチェックしたけれど虐待の痕跡はなかった。それだけでもホッとする。

 タオルで丁寧にノンナを拭いて、昨日帰りに買ったシンプルなワンピースに着替えさせた。

 (この子、何も聞かないんだな)と思っていたら、ホテルの朝食を食べながらノンナがポツリとつぶやいた。

「お母さんは?」

「来られなかったみたいよ。お母さんはどんなお仕事をしてたの?」

「わからない」

「一人の時はどうしてたの?」

「静かにしてた」

「そっか」

 無表情な子だなとは思っていたが、表情を動かさずに育ったのかも。おそらく母親はもう家に帰ってこないだろうし、帰ってきたとしても一度我が子を捨てた人がまともに面倒を見るとも思えない。保護施設なら少なくとも飢えることはないだろう。


「お母さんがいるときはどうしてたの?」

「静かにしてた」

「お母さんが静かにしなさいってよく言ってたの?」

「うん」

(このくらいの不幸な子なら、たくさんいる。これ以上深入りするな。可哀想だけど子供なんて私には無理だから)

 そう自分に言い聞かせた。

 ホテルの朝食はパン、牛乳、ジャム、バター、刻んだ野菜の味の薄いスープ、目玉焼き、ソーセージ。ノンナは黙々と食べていた。私も無言で食べた。


 ノンナは私と手をつないで無言のまま詰め所まで歩いていた。

 途中にあった小物店でノンナの青灰色の目に似た色のリボンを買って頭に結んでやった。罪悪感を物でごまかしているみたいだけど、ノンナの顔が少しだけうれしそうに緩んだから良しとした。

「お姉さん、ありがとう」

 ノンナは詰め所の前で唐突にお礼を言った。

 保護施設でも頑張れと言うべきかと迷ったがやめた。この子は今までずっと頑張ってきたに違いないからだ。だから何も言わずにノンナの頭をでた。

 手をつないで詰め所に入ると、五十歳くらいの女性が待っていた。

「ああ、やっと来たわね。私は南区保護施設の院長です。昨晩はこの子がお世話になったそうで、ありがとうございました」

 その女性はノンナの手を引いて「さ、行きますよ」と歩きだした。引っ張られたノンナが少しよろめいた。ノンナが何歩か歩いてから私を振り返った。その目が。目が。

 初めてノンナが私に感情を見せた。

「待って! 待ってください」

「はい? なんでしょう?」

「私がその子を引き取ることはできますか?」

 院長という女性はこの手のことは初めてではないのか、スラスラと言葉を口にする。

「引き取る? あなたはこの国に来たばかりでホテル暮らしだと聞いてます。身元保証人もいないでしょう? 申し訳ありませんがあなたに子供を預けるわけにはいかないんです。子供を引き取るふりをして売り飛ばす人もいますからね。ああ、もちろんあなたは違うでしょうけれど。規則ですのでご理解ください」

 この女性の言うことは全部正しい。

 だけど、ここでこの子を手放したら私はこの先ずっと後悔する気がするし、あの目を忘れられないだろうと思った。

「います! 身元保証人ならいます!」

 警備隊員に連絡してもらってから、アッシャー氏はわりと早く詰め所に来てくれた。

「私がビクトリア・セラーズさんの身元保証人になりますよ」

「そうですか。団長様が保証人でしたら安心ですわ。ではセラーズさん、引き取り手続きの書類にサインをお願いします」

 私は差し出された書類にビクトリア・セラーズとサインをしてノンナを引き取った。


 ノンナは広場の池の周りをグルグル回って時々池の水に手を入れている。それを眺めながらベンチで私とアッシャー氏が会話している。

「お仕事中お呼び立てして申し訳ありませんでした」

「いえいえ。今日は比較的暇ですし、この子も大切なアシュベリーの国民ですからね。でも、どうして引き取ることにしたんです? 昨日初めて会った子でしょう?」

 ノンナがこっちを向いて私たちを見た。私は笑って手を振った。ノンナが無表情なまま手を小さく振り返した。

「あの子が目で『助けて』って言ったような気がしたんです。私の気のせいかもしれません。でも、ずっと昔、同じ目をした女の子がいて、その子と同じだなって思ったらあなたの名前を出してました。急なことなのに本当にありがとうございました。私の身元保証人を引き受けてくれて助かりました」

 少し間があってアッシャー氏が話を続ける。

「実は昨夜、宿舎に帰ってから反省したんです」

「何をですか?」

「あなたはおそらくあの子を置いて食事に出たりはしないだろうと思いました。初めて訪れた我が国で最初の夜なのに、腹を空かせたまま寝たんじゃないかと思いました。なんとなくですが、ルームサービスも取らずに寝たんじゃないかと思って。せめて美味おいしい食べ物を差し入れすべきだったなと反省しました」

 思わず隣の大男を見上げた。

 見ていたのかと思うほど当たっていた。人の心を読める人のようだ。さすがは王都の治安を守る第二騎士団長。

「団長さんが反省する必要はありません。私が外出すべきではないと思ったのですし、ルームサービスも頼む気になれなかったのですから。でも、全部当たりです」

 私は愛想良く見える顔を作って笑いかけた。

「俺の罪悪感を消すためと思って、今夜、夕食をごそうさせてもらえませんか。引ったくり犯逮捕のご協力と我が国の捨て子を保護してくれたことへの感謝の気持ちです」

 私は大男の誠実さに思わずクスリと笑ってしまった。

「ノンナも一緒でよければ!」


   ◇◇◇


「ノンナ。これから二人で暮らすお部屋を探しましょう。台所があるお部屋を借りたらノンナにお料理を作ってあげられるわ」

 ノンナはどんなものを食べて育ったのかな、好物は何かな、とちょっと楽しみだった。

「料理?」

「そうよ。料理は得意なの。今日から私とノンナは家族だからね。ノンナに美味しい料理を作ってあげたいの。それとこれからはビクトリアって呼んで。ビッキーでもいいわよ」

「ビッキー」

「よろしくね、ノンナ。今日は二人で貸し部屋を見に行きましょう。そして夜は団長さんと三人で夕食よ」

「わかった」

 ノンナは相変わらず無表情だ。

 かくいう私も仕事でならいくらでも表情豊かになれるけど、普段の生活ではあまり感情表現が得意ではない。そんな育ち方をしていないのだ。

「ノンナ、二人でたくさん笑って暮らそうね」

「笑う?」

「そうよ。こんなふうにね!」

 ノンナの脇腹をくすぐった。ノンナは最初驚いていたけど、そのうち身をくねらせて笑いだした。キャッキャと笑うノンナは普通の六歳児に見えた。そしてすごく愛らしかった。

「ノンナ、あなたほんとに可愛いわ。気をつけないと悪い人に連れていかれそう。私が身を守るすべを教えてあげなきゃね」

「身を守る?」

「そう。自分の身を守る技よ。怖い目に遭ったときにキャーキャー騒いだり泣いたりしているだけではだめなの。自分のことは自分で守る。知っておいたほうがいいわ」

「わかった」

「毎日少しずつ教えてあげるね。でもまずは部屋探しから」

「うん!」

 子供だって手札は多いほうがいい。


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