第一章 少女との出会い (1)

「さて、少しは街をぶらついてみようかな」

 動きやすいゆったりとした紺色のロングスカートにアイボリーホワイトのブラウスという、どこにでもいそうな目立たない服装になり、私は部屋を出た。

「行ってらっしゃいませ」

 フロントの声に送られて繁華街を目指して歩きだした。

 アシュベリー王国の王都は王城を中心としてざっくりと東西南北に分かれている。私がいる南地区は商店や市場、事務所がひしめく活気ある庶民の地区だ。事前に仕入れた知識だと、この地区が外国出身者が一番多い。

 食堂や屋台ではいろいろな国の食べ物が売られていて、道を歩いているといい匂いがあちこちから漂ってくる。朝遅くに充実した朝食を食べてきたのにおなかが鳴りそうだ。ケーキ屋さんで焼き菓子をひとつ買って、ちびちび食べながら街を見物していたときのこと。

「あれ?」

 広場の隅に置いてあるベンチに、女の子が沈んだ様子で座っていた。誰かを待っているのかと気になってしばらく離れた場所で様子を見ていたが、誰も女の子のところに来る気配がない。

(悪いやつに連れていかれたらどうするの)

 女の子は泣くこともなくぼんやりと座っている。どうも嫌な予感がして放っておけず、近寄って声をかけた。

「どうしたの? 迷子になったの?」

「迷子じゃない」

「お名前は?」

「ノンナ」

「ノンナのおうちの人は?」

「お母さんがここで待ってなさいって」

「それ、何時頃のことかわかる?」

「鐘が十回鳴る前」

 今は午後の二時過ぎだ。もう四時間以上もここで親を待っているのか。これは捨てられたんじゃなかろうか。肌や髪はやや汚れていて、一見お出かけ用に見える服もあちこち薄汚れていた。

「おなかいてない? 食べたいものがあったら買ってあげるから。お姉さんと一緒に食べながらここでお母さんを待とうか」

 少女がコクリとうなずいたので手をつないで立ち上がらせ、屋台が並ぶほうへと一緒に向かった。

 ノンナはよほど喉が渇いていたらしく、オレンジの果汁を水で割った果実水を買い与えると一気に飲み干した。

 なのでもう一杯買ってから、焼き肉とキュウリを挟んだパンを二つ買ってベンチに戻った。

 ノンナはすぐに口を開けてかぶりつこうとしたが、ハッとした顔をして「ありがとう」と礼を言ってから夢中で食べ始めた。

(どうしたものかなぁ)

 おそらく母親は来ない。

 お礼を述べられるだけのしつけをしていたところを見ると、親はこの子をそれなりに大切に育てていたのだろう。だがここにきて食い詰めたのか。それとも恋人が出来て子供が邪魔になったのか。

 尋ねたら父親はいないそうだ。

「喉に詰まるからゆっくりんで食べるのよ」

「はい」

「果実水、もう一杯あるから飲みながら食べて」

「はい」

「ノンナは何歳?」

「六歳」

 私は父が商売に失敗してどこかの家の下働きに出されそうになったとき、まだ若かったランコムに声をかけられて八歳で拾われた。

 いや、正しくは結構な額のお金と引き換えに売られたのだ。だがそれは仕方がなかったことで、親を恨んではいない。むしろ家族の役に立ててよかったと思っている。


 パンを食べ終わるとノンナはコクリコクリと舟をぎだした。

「四時間も待ってたんだものね。わいそうに」

 私のひざまくらでノンナはすやすやと眠っている。汚れてはいるが、金髪とあおはいいろの目のわいい子だ。

 悪いやつに目をつけられたらすぐに連れていかれただろう。

 私が先に気づけてよかった。

 辺りが薄暗くなるまでそこにいたが、思ったとおり母親は来なかった。

(この子、捨てられちゃったんだな)

 眠ったまま起きないノンナをおんぶして警備隊の詰め所を探すことにした。ノンナは保護施設に送られるだろう。そこでも母親を待つんだろうか。そんなことを考えて歩いていたら前方から若い男が全力で走ってくるのが見えた。

(危ないな。けなきゃ)

 そう思ったが男が抱えているバッグが明らかに女物だ。ひったくりか。ノンナをおんぶしているが仕方ない。工作員時代なら関わらなかったが、(今は善意の一般人だし)とあまり深く考えずに行動に移したのは、自由になった初日だから少しはしゃいでいたのかもしれない。

 私は身構えて男がすれ違う瞬間に足を伸ばして男の足を引っ掛けた。ズデーン! と男が派手に転んだ。

「いってえ!」

 男はすぐ後ろを追いかけてきた体格のいい銀髪の男性に押さえつけられた。

「おとなしくしろ!」

 銀髪の大男はなぜかくみひもを持っていた。慣れた手つきで男を後ろ手に縛る。そして私に礼を言った。

「お嬢さん、助かりました」

「いえ。あの、その男を警備隊に引き渡すんですか? もしそうなら私も一緒に行ってもいいでしょうか」

「え? どうして?」

「この子、おそらく捨て子なんです」

 銀髪氏が私の背中に目をやる。

「そうですか。ではご案内します」

 それ以上は何も言わず、銀髪氏はやっと追いついた貴族らしい年配の女性にバッグを返した。真っ白な髪の女性は身体を優雅にかがめて何度もお礼を言って立ち去った。

 縛り上げた若い男を引っ立てながら銀髪氏が道案内をしてくれることになった。銀髪氏はジェフリー・アッシャーと名乗った。

 アッシャー氏は見たところ三十代前半、鍛え上げた筋肉の持ち主だ。身長はおよそ百九十センチ、体重は八十キロというところか。着ている服はかなり上等なものだ。この体格で銀髪にへきがん、顔もなかなか整っていて懐に余裕がありそう。さぞかし女性に人気があるだろう。しかもとてつもなくいい声だ。


 警備隊の詰め所は繁華街の中心部にあり、二階建ての大きな建物だった。入り口の前には帯剣した立ち番が二人いて、アッシャー氏を見ると姿勢を正した。

「ひったくりを捕まえたから連れてきた」

「ありがとうございます団長!」

 団長? 警備隊なら隊長だから騎士団か軍隊の団長だろうか。私服なのは休暇中か。

「こちらの女性は?」

「捨て子を保護してくれたそうだ。よろしく頼む」

 私は警備隊員に案内されて通路を左に、アッシャー氏はひったくり犯を連れて右へと別れた。その後、保護した経緯を説明して身分証を提示し、書類にビクトリア・セラーズとサインをしてから気になっていたことを尋ねた。

「この子は今夜、どうなりますか」

「今夜はここに泊まることになりますね。養護施設に連絡を取りますが、収容先を決めて責任者に来てもらうのは早くても明日なので」

 迎えに来る母親を長いこと待ち続け、夜は一人で詰め所で眠るのか。自分が八歳で組織の施設に連れていかれたときのことを思い出す。見知らぬ部屋で怖くて心細くて泣きながら眠ったっけ。


「あの、今夜だけでも私が泊まっているホテルに連れていってはいけませんか。私、この国に来たばかりで身元保証人がいないのですが、この子と何時間も一緒に過ごしたのでここに置いて立ち去るのが切なくて」

「身元保証人がいないのですか。うーん……善意の保護者だから許可したいところですが、万が一あなたが記入してくれたフルードホテルの宿泊客じゃなかった場合、我々はもう手の打ちようがなくなりますからねぇ」

 そう言われたら確かにそうだ。無理か。諦めようとしたら、後ろから声をかけられた。

「そのお嬢さんが本当にフルードホテルに泊まっているかどうか、俺が確認してもいいぞ。今日は休みだし。さっきのひったくりに足を引っ掛けて転ばせたのはこのお嬢さんなんだ」

「そうだったんですか! セラーズさん、ご協力ありがとうございました。それと、ホテル確認の件、助かります団長」

「いいさ、逮捕に協力してもらったんだし。俺もこの子がむさくるしい詰め所で心細い思いをするのは胸が痛むからな」

「むさくるしいって言わないでくださいよ」

 苦笑する警備隊の人に許可をもらって、今夜はノンナを私の部屋に泊められることになった。


「その子は俺が抱いて運びますよ」

「助かります。ありがとうございます」

 ノンナを軽々と抱き上げたアッシャー氏はホテルに着くまで私にあれこれと話しかけてきた。ずっと聞いていたくなるようなつやのある低音の声だ。

 アッシャー氏は王都の治安を守る第二騎士団の団長さんだそうだ。警備隊の上位組織になる。

「お嬢さんはどこから来たんですか」

「隣のランダル王国から来ました」

「いつまでこの国にいるんですか」

「家族がみんな火事で死んでしまったので、気持ちを切り替えるためにこの国に来ました」

 用意していた答えをよどみなく言う。騎士団の団長なら良い印象を与えておいて損はない。笑顔であいそう良く答えた。うそはできるだけつかない。その方が覚えていられるし嘘が破綻せずに済む。

「この国の言葉がお上手だ」

「ありがとうございます」

 途中でノンナの着替えを買ってからホテルに到着した。


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