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 名刺にあった東島篤という名前の人物は、勤務先として札幌市東区北二二条東三丁目のNTT東日本札幌東営業所だと刷られていた――、而も所長だと来る。

 慶一の札幌市内の寓居は〝マイルーム22〟といって、その名の通り札幌市東区北二二条東二丁目に在する。ほんの二〇メートルも東に歩けば、そのNTT札幌東営業所の、濃いねずみ色に塗りたくられた、ちょっと見では変電所のような建築があった。

 慶一はまだどう転がるのか読めないけれども、若しかすると百人力が得られたとも云えるかも知れぬ気がして、一応可能性として一縷の希望がほの見えたかのような思いでここ数日間で初めてほっとすると同時に強い空腹感とともに休息をとりたい、自分の布団のなかでゆっくり休みたいとの気分も強く感じたのだった。けれども、それと同時にこの東島氏なる人物をよび出して、一体どうする気なのだ? と云う思いがあるのも、又慥かなことである。営業所の長を任せられるほどのひとだから、おそらく多忙な仁なのだろう。こんな、一介の大学生風情が消息を絶ったからと云って態々かり出して捜索隊に加わってもらう? そんな阿房な騒ぎを巻き起こす方こそどうかしている、既に選挙権も付与され、そろそろ社会人として自立的な暮らしも送ることになろうかと云う年恰好の学生としては、余りにも二流三流の大学生めいた、恥も外聞もない、実に単細胞な思考回路から生じたとしか云えないようなアイディアではないか。おそらく瑞生はどこかで生害を遂げているのではないか。北大でもそういう学生は偶にいて、去年だったか、大学構内の一番南に位置するクラーク会館の裏手にあるちょっとした茂林で、やはり以前から行方知れずになっていた文学部だかの学生の縊死屍体が見つかって問題になったことがあったけれども、同じようにどこかからヒョッコリでて来るのではないか。あの東島氏に話の尻をもって行く前に、研究室の主任教官にでも先に相談する方が筋ではないか。――そう、話の本筋としてはそちらが正道なのだ、何もなければそうするべきなのだ。が、慶一がこの放浪の旅に出る直前、東島氏と遭遇するすぐ前に瑞生の〝彼女〟のアパートで起きた不可解な事件といい、何だか不穏なにおいが漂っているのだ。教官に打ち明けて了えば恐らくことは警察沙汰になるだろう。瑞生はひょっとして……、あの姉妹に文字通り喰われて了ったのではあるまいか……。若し事態がそんな方向に進んでいるとすると、そういった猟奇的な犯罪行為の裏面には大抵倒錯した趣味の性的傾向などがあるはずなので、当然ながらますますもって事態の全貌の全面的な解明というものに至るまでの道程が長くなり、復たその複雑怪奇な全容が明らかにされるのも全道が対象なのではなく、寧ろ全日本がその対象とされるのも自然な帰結なのであり、事件が〝解決〟をみる頃には、瑞生の実家のほうはプライバシーも何もかも蹂躙されて疲弊し、事件から仮令たとい五年や十年を経ようが汁気たっぷりのジューシーなスキャンダルであることには違いなく、若しかすると瑞生の女の姉妹は婚期が遅れたり、或いは丁重な態度でなかったことにされるなどの弊害を受けているのではあるまいか。つまりは瑞生の胸先三寸、瑞生なりの常識に基づいた穏健なる判断が求められるところであった。慶一がこの新鋭の特急形気動車は走ることは走るが、騒音は盛大なので不満分子も多いと思われ生憎前評判ほどの人気があるのかどうかは分からないのだが、今や道内を走る気動車特急はすべてこの183系になりつつあり、JR北海道としてもこれを表に押し出したいと云う思惑があるかして、ハイデッカーとデラックス車輛と二種類のグリーン車を投入して頑張っていた。と云って慶一は特別この形の気動車を毛嫌いしていた訳ではなく、ほかの仲間にしても後年この系統の車輛が夜行列車の「利尻」などに投入された際には惘れ果てていたが、べつだんそこまで嫌うか、というところまで嫌う、と云うこともなく、この形式に対しては至極穏健な意見を持ち合わせていて、後年より新鋭の特急形気動車によって駆逐される時には哀れをさえも催したほどであった。

 そんな諸般の事情を踏まえて、札幌市北二五条に在するハンバーグ・レストラン〝ジャッキモウリ〟にて腹一杯肉料理を食べた慶一は、取り敢えず帰って寝ようと思って会計を済ませ、極度の疲労と神経の衰耗によってふらつきながら久しぶりにみるおもいの自宅アパートに帰り着いた――、それは火事にはならず、空き巣の被害にも遭わずして無事な姿で建っていた。慶一はアパートの廊下に這入る前に視線をNTT東日本札幌東営業所にちらりと向けたが、それきりポーカーフェイスを崩さず、やや足をひき摺りがちに階段を昇った。実に六日ぶりの我が家、と云うわけだ。慶一は二〇一号室のカギを出して錠前にさし込み、回して開けた。中に這入ると、少しばかりよそよそしい香り、恐らく塗料のにおいが鼻をついた。悪いにおいではない。でて行く前に洗い物はすっかり済ませておいたので(慶一は家事を案外まめにこなす方だった)、食器類もみな清潔だ。慶一の部屋は八畳の板の間、およびこれとアコーディオン・カーテンで区切ることのできる六畳敷きの和室から成っている。築十三年、ユニットバスつきで月々三六〇〇〇円というのは札幌が地価は廉いとは云い條、やはり廉価だと言えるだろう。慶一はこの部屋で、食事などは洋間においた卓子で済ませ、夜は和室に布団を敷いて寝ることにしていた。勉強は洋間の卓子でも和室の座卓でも気分に応じてやった。和室においてある留守番電話を確かめると、実家から一件入っていたがさして緊急の用だとも思われなかったので取り敢えずうっちゃっておいた。はてさて、ここからどうするべきか。慶一は散々心を労しているこの問題に改めて直面し、電話機のまえで腕を拱いて思案投げ首の態、東島氏の許に架電すべきかすべきではないか、その判断に困じおおせていた。(何か退っ引きならぬようなことにぶち当たって困るようなら、そこに電話しなさい)――、最終的にはこの言葉が背中を押した。慶一は受話器をとり上げると名刺にあるNTT東日本札幌東営業所の代表番号をプッシュし(じぶんの部屋の窓から手に取るように見えている施設に架電するというのはまことに妙な気分のするものだった)、緊張してふるえる手で待った。三度の呼び出し音で電話は繫がり、女性の声が応対したので、

「お忙しいところ、大変恐縮ですが……」と型どおりに発した。「所長の東島さんとお話したいのですが…」

 東島氏との間柄を訊かれるかも知れぬ、と身構えたが、案外スムーズにつないでくれて、間もなく東島氏その人が電話口に出た。

「もしもし」

 やや怪訝そうな声だ。そこで、

「あのう、六日ほど前に、新札幌の駐車場をお借りして了った者ですが……」

 とやると直ぐ理解して貰えたらしい。

「ああ、あの時の…」

「ええ。どうも長い間お借りして了って申し訳ないです」

 しかしながら、慶一はこれまで、あの厚別(つまり新札幌)の駐車区劃に棄て置いた瑞生のトヨタ・カリーナに就いてはこれっぽっちも考えたことがなかったのだ。これは平生とても律儀で生真面目な慶一としてはまことに不思議なことと言ってもよかったが、これは恐らく瑞生がどこかへ姿を没して了った問題の方がずっと大きくあたまの中を占拠しているためではなかったろうか。――じつに有難いことに、尠なくとも東島氏はくだんの駐車場に関してうんぬんしなかった。

「札幌に戻ったかい。で、どうだったね?」

 慶一は成る丈簡潔に説明しようとしたが、どうしても話は微に入り細にわたるような調子になって了って、気づくたびに軌道修正を試みたのだけれども、結局すっかり話すためにまる十分間も費やして了った。それでも東島所長は実に辛抱強く構えてくれ、ところどころ要点で質問をさし挟んだりして熱心に聞いてくれたのだった。

 慶一が漸っとすっかり話し終えると、東島氏は、

「なるほど」

 と一と言口にした。

「――で、どういう……」

「その、滝だな」東島所長はいい止した慶一の言葉尻をとらえるように言った。「きみね、滝が大事だと思うね」

「はあ…」

 東島所長は語気を改めて、

「きみ、今日時間はあるかね?」

「はい」

「北二四条通りに〝絵里香〟という喫茶店がある。分かるかね?」

「ええ」

「そこで、待ち合わせよう。――そうだな、ぼくは夕方ちょっと会議が入るから――」思案する風だったが、「午後六時、ではどうかな?」

 自分と確かめているような言い方だったが、慶一は素直に、

「ええ、その時間でしたら大丈夫です」と請け合った。「東島さんは」

「…ああ、よし、よし」と返辞をし、「こちらも大丈夫だと思う」

 慶一は序でに、なぜ東島さんはつまらない学生風情に過ぎない自分たちなんぞのことにここまで肩入れしてくれるのかということも一と言伺いたかったのだが、生憎訊き逃して了った。

 慶一はそれから敷き蒲団だけ出して二時間半ほど眠った。目覚まし時計は五時二〇分にセットし、枕に頭を載せると案外すんなり眠りに落ちた。

 それはまったく泥濘のような眠りで、夢は一切みなかった(或いはみた記憶がない)代わりに知る限りで最も深い睡眠のなかにとり込まれ、なかなか脱却がむつかしかった。目覚まし時計は早めに掛けておいてよかったのだ。スヌーズ機能つきだったので、一旦止めても復たなり出し、結果として午後五時四〇分に慶一はすっかり眼が醒めた。喫茶店〝絵里香〟は場所が分かっているし、しかのみならず何度か這入ったこともあるが、この部屋からは徒歩三分、と云った距離である。慶一は敷き蒲団を押し入れに片すとシャツを着替え(本当は熱いシャワーを浴びたかったのだがそれだけの時間的余裕はない)、上に薄いクレープ地のワイシャツを羽織った。北海道は梅雨がないのだが、その代わり夏でも空気は乾涼で、冷房のエアコンなしでも過ごせるし夕間暮れにうかうか油断していると風邪を引いて了うこともある。内地の出身者にとってはなかなか按配がむつかしいところである。慶一は歯を磨いてから改めて鞄に本などつめ込み、午後五時五五分に部屋を後にした。

 銭湯の傍を通って交差点を渡ると喫茶〝絵里香〟は直ぐだ。慶一がドアを引いて中に這入ると、見覚えのある顔がテーブルに向かって何かの書類に眼を落としていた。

 慶一はそこへ馳せ寄って、

「東島さん」と声を掛けた。「お待たせしてしまって、どうも申し訳ありません」

 東島氏は眼を上げて慶一をみた。

「やあ、来たね。――だいぶ疲れた顔をしている」

「はい。数日間ろくすっぽ寝ていません。実はさっきお電話のあとで五時半過ぎまで寝ていました」

「そうか。――夕食はこれからなんだろ。好きなものを取りなさい。食べられる時は確り食っておくことだ」

 そこで慶一はビーフカレーとアイスクリーム・ソーダを相手にしながら、ここ五、六日間の〝冒険〟あるいは〝放浪譚〟を成る丈掻い摘まんで、東島氏が要求すれば巨細を含めて、発端から現在に至るまで大体のところを話し尽くした。約一時間半かかった。

 慶一の話が済むと、東島氏は冷めた珈琲を一と口含んで、

「うむ」とまず言った。「どうやら、きみの経験するケースは、わたしの守備範囲にあるらしいな」

「守備範囲?」

 慶一は二つ目のクリーム・ソーダにスプーンを入れながら問うた。

「わたしはね」東島氏は卓子の上でやや身を乗り出した。「実はね、こういう会社には勤めてはいるが、抑もはアイヌの生まれなのだよ」

「あはあ」慶一ははたと膝を打つ思いだった。「やっぱり」

「アイヌ人には珍しく、高等教育を受けている。きみと同じように北大を出ていて、文学士号をもっている」

「だからNTTに…」

「そう。そういう訳だ。ぼくの専攻は民俗心理学といってね、まあ手っ取り早く言えばある民族の成り立ちなり考え方なりの裏側に流れている無意識的な要素――、そうだな、通奏低音と云ってもいいかな、そうしたものに眼を向ける学問だ」珈琲を飲み干してバドワイザーを註文し、「きみも飲むかね?」

 慶一は肯いた。理屈ではないが、どうも重たい話になりそうな気がする。東島氏は、慶一のグラスにバドワイザーを注ぐと言った。

「ぼくの在学時の専攻は今も言った通り民族に関する特殊な心理学だ。民族と言語と宗教、これはある民族文化の成立にとり必須の條件だが、ぼくはその辺りをつついた訳だ。そう、いま言った三つは丁度三つ巴のような関係だな。例えば、イラクのバスラ近郊にいまもマンデ人というセム系部族が暮らしている。このマンデ人はキリスト教徒で、もともとはグノーシス派だったらしいのだが、マンデ人の思想は極端な異端思想で、キリストは悪魔だということになっている。このマンデ人もマンデ文字という独自の文字を使うことで知られているんだ。――まあ、こう云ったことを扱うのがぼくの専攻だ。

「それでぼくは、学生時代、自分の卒業研究の対象として、いわゆる北海道異体文字と云うものを選んだ。これは、両方とも小樽のほうになるのだが、手宮と云うところと余市近辺のフゴッペと云うところにある、それぞれ洞窟だな、つまり手宮洞窟とフゴッペ洞窟で発見された――、見つかったのは手宮洞窟が一八六六年、フゴッペ洞窟が一九二七年なのだけれども、発見された〝古代文字〟と云うものなのだが、多分きみはご存知ないだろう。手宮洞窟は英国人ジョン・ミルンの、フゴッペ洞窟は西田彰三らのそれぞれ研究で知られるようになったもので、両方とも文字であるのか、或いは単なる図像であるのか、それこそ侃々諤々かんかんがくがくの議論がなされたもので、学生としてぼくは、一応文字である、との立場をとった。その上でのぼくの研究論文、つまり文学士の学位論文に就いてはここでうんぬんする積もりはない。孰れにせよ、いま読み返すと着眼点は兎も角キィワードからして見当違いだし、論攷ろんこうの方法やその纏め方も稚拙そのものと言っていいし、結論の導き方にも飛躍があって完璧とは言えないし、不満ばかりが残るものだ。まあ、この手宮洞窟とフゴッペ洞窟に就いては、後年に至るまで文字か・文字でないか、の議論が続いたのだが、今では結論から言って了うと〝文字である〟との立場で統一されているのだ。

「と言うのは、ぼくが北海道大学を卒業したちょうど十年後の一九七六年、これら二つを、二つながら同じ文化の流れを汲むものと断じて、そうした立場に基づいて解読に成功した、との論文が発表されたのだ。論文の著者は現北海道大学教授の保延好央くん、この人物は実はぼくと北大時代同窓なのだよ、当時から論究の徒としては切れ者でね、知る者なら誰しもいちもく置いたものだ。

「この保延くんによる研究『アイヌ異体文字の根本的再研究』に就いては、今でもマイクロフィルムになって残っていると思うから、興味があったら大学の図書館で探すんだな。ここでは論旨にざっと触れるのにとどめるが、まずこれら二窟、すなわち手宮洞窟とフゴッペ洞窟に刻み遺されているところのいわゆる異体文字というものは紛れもなく文字の一種であり、現在この北海道でみられるアイヌ民族の先駆をなす、文化程度は大体縄文文化ていどだったらしいが、ともかく要するに本州縄文人の性格も、またその一方で同時にその後のアイヌ民族の文化的特徴も備えた民族が、何らかの意図を以て書き記したものだ、ということだ。保延くんによる研究論文では、両方の陰刻文ともだいたい紀元四世紀から五世紀にかけて刻まれたことから始まって、なんと双方の刻文に就き、おのおのの単語の語義から起こして文法も捉えた上、文意を完璧に日本語で解釈するという離れ業まで披瀝ひれきしていて、なぜこのような解釈に逢着ほうちゃくしたのかと云う点も含めて微に入り細をうがち自身で丁寧に解説しているほどだから、この後機会があれば是非ご一読をお薦めしておくよ。

「さて、ここで問題になるのが、その手宮洞窟陰刻文とフゴッペ洞窟陰刻文の文意なのだよ。保延くんによる研究は慥かにドラスティックで尚且つエポック・メーキングなものであったが、陰刻文の現代日本語訳文に就いては、ときに失笑を買うこともあった――、保延くんによる研究では、該陰刻文にあることはすなわち、そっくりそのまま百パーセント真実であり、これに書かれたことはすべていつの日か現実化することになる、とのスタンスをとっていたのだね。何が書いてあったか、ぼくは生憎保延くんほどの学徒ではないのでその欠点をあげつらうような真似は差し控えざるを得ないがトマムや富良野はおろか小樽辺りへさえも遊びに行かなかったという、生真面目一本、〝最もソ連的な学者〟コンテストで金賞をとるような少壮気鋭の学者があの日に見たものをどうにか類推する限りだ。どうやら保延くんは、あの手宮洞窟とフゴッペ洞窟で見出された陰刻文の中に、共通した語族の存在をかぎ付けたらしいのだよ、クレオール語、と言ってきみに分かるかどうか分からないが、手っ取り早く言えば雑種だな。この保延くんの見つけたクレオールとしての〝原アイヌ語〟は、インド・ヨーロッパ語族とオーストロネシア語族の混血児だったようだ。保延くんがそのことを公表すると、学界はそれこそまっぷたつに割れたのだが、学会にもう久しいベテランの学者にこの説への反対者が多く、比較的若手の学者には賛同者が多かったようだね。

「そんな訳だったので、保延くんによる研究も、そしてその著者たる保延好央くんその人も、一緒くたにされて〝トンデモ研究論文〟、〝トンデモ研究者〟との烙印を捺されて了うところだったのだが、それをその憂き目から救い出したのは、取りも直さずその論文の論旨が明瞭であって、研究も慎重に行われたことが明らかで、而も地道にかつ論理的に筆が運ばれていたこと、さらにこの保延好央くんと云うひとはその論理構築の芸術的と云ってもよい巧緻さと弟子の教育法の潔癖なまでの厳密さで学界でも名高い奥山健児教授のいわゆる〝奥山スクール〟の出身であって、それによってこの学派からの逸脱は常識的にちょっと考えられぬこと、そしてそれ以前の論文は全て美事なまでの一貫して明白な論理で構築されていること、又本人の名誉のためにつけ加えると、このあとに続く研究論攷群もすべてこの〝奥山スクール〟流の謹厳さで以て仕上げられていたのであるが、そういった事実をジグソー・パズルのピースを組み上げるみたいにしてめてゆくと、ここに些かのブレもない実直な研究者としての保延好央像がうかび上がって来るのであって、ここに至ってこの洞窟陰刻文に関する論文もその研究業績の一角に留め置かれ、まあ我われなど一部の在朝・在野を問わず、老若男女をも問わぬ研究者によって記憶され称揚されることになるわけだ。

「……それで、いちばん問題となる、イヤ斯かる研究論攷の論旨のうちで一般の研究者が着眼点となすような意味ではなく、あくまで我われなどごく一部の、そうだね、好き者と言おうか(ここで東島氏は微かに失笑した)、それともマニアックな研究者、ロマンティックな心を忘れられぬ気の毒な一部集団、とでも言うか、それは各自の自由に任せるが、その我われがいちばんの着眼点としているのが、この洞窟陰刻文の表す意味、文字通りの文意なのだよ。と言うのはね、きみやお友だちの、瑞生さんと云ったかな、そうきみたちのまさに直面している問題とこの洞窟陰刻文の内容とが密接に関与しているとしか考えられないのだ。――恐らく、これもユング流の言い方をすれば、共時性、シンクロニシティの一種だと云うことになるのだろうな。わたしはつい先だっても、あの手宮洞窟とフゴッペ洞窟の洞窟陰刻文に就いての夢をみたばかりなのだ。その翌日に、あの新札幌の駐車場できみと出逢った、と云うことなのだ。こういう成り行きになってぼくとしては心外なことどころか、正に〝心事相見る〟という思いでね、ある意味、遂に来るべきものが来たか、との思いもしているのだよ。きみとしては、ぼくのような者が唐突に横から首を突っ込んで来るので或いは不審に思われるところかも知れない。が、ぼくの話をすっかり聞けば、よく分かって貰えることと思う……。ぼくとしては、ぼくの思いとしては、〝おそれていたものが、来るべきものが到頭姿を見せたか〟との気がするのだ……。一つ、決着をつける時が来たのか、とね。

「いったい何を喋っているのか訳が分からず混乱させて了っているかも知れないネ。核心を話すと、要点はこうだ。あの、手宮洞窟とフゴッペ洞窟における洞窟陰刻文には、アイヌ民族に伝わるさる神との確執が韻文の形でうたわれている、というのだ。どういう文章だったか。だいたい、以下の通りだ。『常闇の國よりウエソヨマが来る/かのオキクルミも視力を奪われ/姫君を奪いしウエソヨマが/いつの日にか 屹度来る/備えをなし 孫子らに伝えよ/悪神ウエソヨマの威力を/決して侮らず敵意以上に敬意を持て/ウエソヨマこそは究極の敵にして最終の神である』」

と、半ば唄うように節をつけて聞かせたので、その節回しや歌う際の表情などから慶一にもその大意は摑むことができた。慶一はビールを飲んで渇きを癒やすと、

「では、東島さんは、この……、ウエソヨマという女神が将来的に来襲すると仰有る?」

 これは慶一の失言であった。東島氏は俄に色をなして、

「将来的に、の話ではない。わたしが話したのは、現在の話だ」

 慶一は慌てて、

「ああそうでした、失礼しました。認識不足でした」と平謝りに謝り、「では、瑞生は……」

「うむ」と東島氏は心配そうに言った。「それを非常に憂慮しているのだ。きみがなん日か前、そのアパートで遭遇したと云う姉妹だが、ウエソヨマの分裂形と印象がよく似ているのだよ。きみに道内中を放浪させたのもね」

「でも、ぼくはた戻りましたが……」

「そこは多分、オキクルミの御霊のお取り計らいだろうね」

「そんなのが相手なら」慶一は慌てる。「瑞生ひとりくらいの命なぞ……」

「とり殺すかどうか、そこまでたちの悪い女神かどうかは分からんがな」

「ぼくが道内をさすらったのも此奴こいつのお取り計らいなのか……」

「まあ、しかしながらまったくのムダ足になった訳でもない。きちんと行く先々でヒントを貰ったではないか」

「それはそうですが。こっちは有り金を使い果たして」

「そこまで厚情なる友人を持って、瑞生くんは果報者ではないか、まことに」

「明日、ウエソヨマと?」

「ああ、きみたちさえよければね」

「ぼくはOKですよ。ただ、ぼくのほかに出席できる者がいるかどうかは不透明です」

「大丈夫」東島氏は請け合うのだ。「実はぼくは、アイヌの祭司の血がつよく流れていて、少しばかり視力が利くのだが、きみの友人に木下くんというのがいるね」

 慶一は椅子の上でとび上がった。瑞生のドラムスと練習場を借りている礼のことではないか。

「エエ、たしかにおりますけれども」

「その木下くんにあたってみることだ。屹度よい返辞が貰えることだろう。わたしは、あまりこう云う話はしたくないのだが、明後日の月曜日から出張で内地に行かねばならないのだよ。それからこう云うオペレーション、作戦行動においては、機動部隊、タスク・フォースは、たけなら混合編成に、言い換えれば学際的協調の許に組み上げられたものである方が望ましいものだ。しかしながら、ここで一つ問題となるのは情報の秘匿ひとくせいと云うものでね。機動部隊は出自が多様になるのはいいが、同時に大きくなればなるほど、機密情報が漏洩しやすくなるものだ。特に、今回のは近年類をみないサイキックな争い……、まで行くかは分からぬ、小競り合いで済むかも知れないが、ともかくマスコミだとかメディアの連中にとってみれば正に〝汁気たっぷり〟のスクープ、特ダネになる可能性がある。そうなると、こいつはちぃっとお話がマズくなる。我われとしては、やりにくくなる。我われのやろうとしているのは、野球やアイス・ホッケーの対外試合ではないんだからね。マス・コミュニケーションの連中ならまだしも、ビール片手の一般市民が話を聞きつけて日曜日の恰好の物見遊山、暇つぶしをしようと大挙して押しかけるさまをちょっと想像してみてご覧。そんな場になると、〝神秘も神秘でなくなり、秘蹟ひせきも秘蹟でなくなる〟、というものだ。絶対に避けねばならない。若しそんなことになってご覧、瑞生くんの命、せっかく救えたものも、無念ながら救えなくなってしまうだろう。〝神霊は孤独と深夜を好み、都市より原野を選ぶ〟と云う通りだ。いいかね、その当たり、しっかり肝に銘じておいてほしい。

「その辺に重々気をつけておいて貰えれば、それ以外には特別用意して貰うべきものは特にない。必要なものはぼくがすっかり揃えて行こう。一応、ぼくが明日持参しようと考えているものを列挙すると、イナウ、これは木製の幣帛へいはくだな、あとマキリ、小刀、あとは聖別されたもの、カトリック教会で使う聖水など数点、それから火打ち石と乾燥したコケ、まあざっと挙げればこんなものだ。これらはぼくが準備していく」

「分かりますが、それ、何に使うんです?」

 東島氏は口の端でにやりとした。

「まあ、それはお楽しみとしようじゃないか」

「やはり人が多いとうまく行きませんか?」

「うむ、ぼく個人の経験ではね。ひとが多いよりは、すくない方がずっと望ましい。何故なぜか、と聞かれると返答には困ってしまうのだがね。神霊に関することは、雑音が多いとうまく行かないものだ。そう考えることにしている」

「先ほどの、保延好央先生による論文ですが……、蓋然性は高いものなのですか? どのような扱われ方・見方をされているんでしょう?」

「そう問われると、そこは何も言えなくなってしまうね。ご本人の言葉をお借りすると、『あの研究論攷は、論理構築と云うよりは、自分の詩神ミューズとの精神的感応の結果として生じてきたものである』と云うことになるらしいのだがね。論理に飛躍やブレはないし、確り書けているとも思うが、研究の対象というモノが手宮洞窟とフゴッペ洞窟の洞窟陰刻文だからね……、既に『あれは文字と云うよりは絵画的な性格のほうが強いものである』と云う感じで学界も収まりがつきかけていたものだからね……、正直なことを言うと、あれが出たあとで、あれこれと聞かされたよ。わたしが、アイヌ民族出身だからだ、と云うことも深く関係していたのだろうが、あの論文の基盤的な見方を逆しまに捉えて、やれ勉強不足だだの、着眼点に問題があるだの、アイヌとしてどう思うかだの……、どれもこれもあの論文をおとしめ、いやそれ以上だな、保延好央という一箇の人間を学会から葬り去って了いたい、北海道大学と云う場所で研究と教育の活動に従事する生活に事実上ピリオドを打ってやりたい、そういう悪意・貶意へんいに満ちたことばが多く聞かれた。わたしは保延好央くんにはそれらに就いてはただの一と言も伝えたことはないが、直接本人に届いた言葉も多かったようで、この論文が学会誌に掲載されてから、そう、二た月ほど後だったかな、最近よく眠れなくて往生する、とわたしにこぼしたことがあったのを今でもよく覚えているから、だいぶ衝き上げはあったようだね。だが、本人はその後、『北海道内アイヌ語方言の分布と変遷』や『アイヌ民族文化誌』などという、学会関係者によると〝マトモ〟な研究論文を次々に物して発表し、それらによって改めて一箇の着眼点に優れた研究者、と云う評価を得て〝復活〟を遂げてね、今では『異体文字の根本的再研究』を保延くんによる研究業績の中には認めない、完全に無視するひとも尠なくなくてね。ぼくとしては寂しいかぎりなのだけれど、残念だが事実だ。

「研究生活を送るものにもっとも必要とされるのは思考力ではない。以前、五〇〇〇本くらいの論文を読んで智識を蓄積すればじぶんでもよい論文が書けるのではないか、とそんなことを言う大学院生を見たこともあるのだが、要は〝着眼点〟だよ。だから、一つの物事を様々な角度から見ていること、換言すればどれだけの好奇心を抱いてじぶんの研究対象をみているのか、と云うこと。最近の学生などは、専門的な知識にエラく疎いのと知悉しているのとに大別できるが、恐らく字面だけを追って判るのだろう。脳髄の仕組みにしても字面だけ追っても仕方がない。中高時代の知識と相俟あいまって初めて意味がある。そこが欠けている。でも、自分の読書も〝字面〟だったことが多いのだ、と判った。今は味読で知の楽しみがある。自分の知識なり何なりを自分の言葉で説明できなければならない。それが出来ないのは本当にわかっていないからだ。ある字面とある雰囲気を共有していると、恰もわかってしまったかのような共同幻想が生まれる。そういう観念を共有するのは、宗教が最たるものだね。最近問題になった例の教団などはそこに修行という身体が絡んでくるので複雑になる。お経に身体修練という組み合わせがあると、すっかり宗教的共同幻想にはまってしまう。

「老年に近くなるとそれまで読んできた凡ての総決算が現れる。何を読んできたのか、ということだ、教養だ。『東島篤』という作品なのだ。六〇くらいになると、人生を振り返る。エリック・エリクソンも『人生を統合する時』と云っているが、意図的ではなく、『自分の人生は何をやって来たのか』ということが胸に迫ってくる。経験の意味が一つに纏まってくる。何を読んだのか、何を書いたのか、自分と向き合わざるを得なくなる。わたしの父は『あいつは出世して偉くなった、そいつには小狡く立ち回られて騙された』などと言っていたが、そんなのは自分と対峙していない、単なる繰り言でしかない。わたしは尠なくとも、学歴社会の中で成り上がるためだけに生きて来たとは思っていない。自分にしっくり来るものを探してやって来た。

「脳によって我々の活動が規定されていても、精神活動そのものは脳の機能を超越しているところがある。夢をみるとか芸術活動とか。医者もそれを判っている筈だ。よっぽどのやぶ医者でなければ、だがね。

「つまりは学者と云うものも煎じ詰めれば職人に近い存在なのだな。〝われ思う、故にわれあり〟ではないのだよ。この辺はハッキリさせておいた方がきみのためにもなるだろう。――まぁ、若し学究の道に進みたいのなら、と云うことだがね」

「文科系、理科系、共通ですか?」

「うん、基本的なところでは一緒の筈だ。いちばん大きくものを言うのは、眼の付けどころだと思う。あとはそれをどのように実験データとして収穫するか、できるか、だよね。ここで統計学も絡んで来る訳だが。統計学に正直な研究者は、概して実直で謹厳な、いい研究者だ。これは覚えておいていい」

「その保延さんですが、今も?」

「ああ。北大で教えているよ。アポイントメントをとればぼくの口添えや名刺がなくても会って貰えると思うから、興味があれば行きたまえ」

「ええ、大変勉強になりました。着眼点がものを言うとは初耳です」

「こちらこそ。きみのような地に足の着いた学生が今も生き残っているとはちょっと想像もつかなかったが」と笑って、「それに今の学生にしては、よく本も読んでいるしよく勉強している。――さあ、そろそろ出ようか。きみもこれから友だちのところに連絡せねばならんのだろう。遅くなるといけない」

「どうもありがとうございました。復た明日、よろしくお願いいたします」

 伝票は東島氏がとってくれた。二人は喫茶店の前で別れた。時計をみると午後七時過ぎだった。慶一は空腹感を覚えなかったが、明日に備えて一応スーパーマーケットで菓子パンや調理パンやソフト・ドリンク類を仕入れておいた。

 帰宅すると、〝バンド〟の連絡先名簿を出して、心当たりのある番号をあたったのだが、いちばん最初に確たる反応があったのは、東島氏の言っていたとおり木下のところだった。

「――ちょっと、サイケでスキゾと云うか、本気でサイコな話になってしまって…」

 慶一は訥々として弁疏の言葉を口にしたが、

「いや、おれそう云うの割と好きだから」

 と快諾してくれたので助かった。

 もう一人……、とも思ったが、東島氏の言が正しいとすると、あまり大人数で構えても〝あちらさん〟が逃げてしまうかも知れないし、又事後の箝口かんこうを徹底するには少人数でことに当たったほうが確実でもある。慶一は受話器を手に持ち、名簿をまえにして下唇を嚙んでしばし考えた挙げ句、受話器を下においた。東島さんは何やら面倒くさそうなものの名詞を口にしていたが、じぶんは何を用意してくれとも言われていない。慶一は今さらのように眠気を覚えたので、まだ午後九時三〇分だったけれども、目覚まし時計をかけて布団に入った。敗残者の気分だった。

 夢をみた。その夢には慶一のほかには誰もでて来ない。ただ、その慶一の眼の前にはあかがねか何か金属製の大きなドアが立ちはだかっている。ドアは濃い緑色に塗装されているのだが、それがいったいどこに熱源があるのだろうか、高温で熱せられて真っ赤になっている。そして、ドアの向こう側から、ドンドンドン、ドンドンドン、と規則正しくたたく音がして、慶一はドアの向こう側、或いはドアそのものに向かって「何ですかあ、何ですかあ」と問い掛けるのだが明確な返辞は今ひとつ得られずたたく音ばかりする――、まずはざっとそんな夢だった。

 二つめの夢は更にまずかった。慶一は地下鉄南北線の北24条駅にいる。麻生方面プラットフォーム、つまり下り線の先頭車輛付近にたっていて、対向する上り線プラットフォームを見ている。――と、その上り線プラットフォームには女性がひとり立っているのが見える。一見したところ三〇代半ば、まだ小さいらしい子どもをひとり抱きかかえている。

 やがて、その上り線プラットフォームに地下鉄南北線の列車が滑り込んでくるのだが、くだんの女性は子どもを抱きかかえたままで列車に身を投げて了う。

 三つめの夢でダメを押した。慶一はどういった仲なのか今ひとつ判然しないのだが、道内でも風光明媚な観光地へキャンプに来ている。場所はきちんと整備されたきれいなキャンプ場である。慶一と一緒のテントには男性が二人、あと女性が三人ほど同宿することになっており、事件は一夜明けた朝に起こる。なんと、女性の同宿者のひとり、長い髪の毛が印象的な女性だったが、朝になってその人が殺されて発見されるのだ。慶一の周りではいろいろな言葉が囁かれていて、その中には、

「あ、死んでる」

 とか、

「見事にくたばってるじゃないか」

 と云うようなコメントもあったが、いちばん慶一の耳にとって印象的だった一と言は、

「別に殺してしまうこともなかったのにな」

 と云うものであった。

 ――ハッとして慶一は夜半に眼を醒ました。外は真っ暗で、時計をみるとまだ三時前だった。これが冬場ならば、夜通し稼働する除雪車のたてるわびしげなうなりが聞けると云うものだが、生憎あいにく真夏のこの季節では真夜中に聞こえる音はと云えば改造車のグラスパック・マフラーがこぼす永遠の真夏の夜の夢へのやるかたなき憤懣なのである。自分は疲れているはずだのに、こんな時間に起きてしまったのは又どうしたものの弾みなのだろうか、と慶一は布団の上で半身を起こして考えた。ひょっとして自分は死んじまったのではあるまいか。一瞬そう考えて、その考えには流石に肝を冷やしてしげしげと自分の布団に入った下半身を見やったが、どうやら自分はエクトプラズムにもなっておらず、又別に幽体離脱などもしていないようだったので、ふと額ににじんだ汗をぬぐい、その汗は暑熱によるものではないことを重々承知のうえで布団から出ると立ち上がって冷蔵庫まで歩き、庫内からポカリスエットのボトルを出してグラスに一杯注ぎ、ひと息に飲み干した。それから少し考えた上二杯目を注いで、グラスを持って寝床にもどり、電話台の上にグラスは据えた。寝付けそうになかった。仕方なく慶一は直近で予定されている一つ目の試験、「ストライヤーの生化学」という参考書・教科書の原書を読んで訳するテストがあるのだが、その仕度をしようと思い、グラスに注いだポカリスエットはごくごく飲み、やや膚寒はだざむかったがTシャツとジーンズに着替え(〝放浪〟中にずっと着ていたシャツとズボンは汗と埃にまみれてくさくなっていたので、洗濯かごにほうんだ)、布団はそのままにして畳敷きの六畳は後にして、夜間は引っ張っておくことの多いアコーディオン・カーテンはひき戻して八畳の洋間へ出、やけに喉の渇きを覚えて三杯目のポカリスエットを注いだ。ここで再度述べると、札幌は全般に地価が低めに抑えられていて、アパートメントなどの賃料もやすい。このマイルーム22というアパートも築十年を過ぎているのだが、家賃はすべて込みで三八〇〇〇円なので、金銭的に頼れるところのない慶一の両親だったが、息子を更に廉価な学生寮などに入れなくとも済んでいた。慶一も奨学金を受給しながらだが、かつかつの暮らしを立てていかれた。慶一は紅い表紙の兎に角分厚くて大きく、又重たい生物化学の原典を開け、試験への持ち込みが許されている辞書をてして首っ引きで本を読んだ。読みながら、頭の中では夢のことを考えていた。今さっきみたおかしな夢のことではない。もう少し前、たしか夏期休暇に入りたての頃にみた夢だ。その中で、慶一は現実世界と同様、学生をやっていた。ただ、北海道大学の学生ではなく、中央の有力な私立大学、早慶という感じではない、上智大のような感じが強い、そう上智大学のどこか文科の学部に通う学生だった。そしてその日はアルバイトする用があって、ある通りに面した一戸建て住宅を訪れたのだった。その家には中年の両親と大学生の息子の三人が暮らしているのだが、今は主人は会社へ、息子は学校へ出ており母親たる主婦一人しかいない。慶一がその午前にそのお宅を訪れたのは、息子の勉強の進み具合を見るためだった。つまりこの宅の息子さんは慶一の通う(上智?)大学よりもランクの低い学校に通っており、しかのみならずその学校でも落ちこぼれそうなていたらくなので慶一のような大学生アルバイトの手を借りねばならないという訳なのだった。慶一が靴を脱ぐと、おかみさんが先に立って二階に上がり、慶一は狭い家に作り付けてある急な階段をジーパンに包まれたおかみさんの尻を見ながら上がった。そして間もなく二人はその息子さんの部屋にいた。金属の座卓があり、普段はそこで勉強をしているらしく、参考書などが散らばっている、それを見て慶一は、ああ学校から帰っても余念なく勉強しているんだ、でもそうまで勉強してもあのできばえじゃあ、やはり相当に出来のかんばしくない学生であるらしいな、といささか意地悪く考える。なぜかその子供部屋の片隅には仏壇がしつらえてあった。おかみさんは何を思ったかその仏壇に向かって手を合わせていたので、慶一は自分もそうせねばならないかと思ってひそみにならい、黙って眼を閉じ手を合わせた。線香のにおいが漂ってくる。と、おかみさんが慶一に向かって、あれ、あなた悪いけど、ちょっとそこまで灯油を買いに行ってはくれないかしら、と頼んできた。慶一が、エエ灯油ですか、いや構いませんよ、と答えると、がま口から二〇〇〇円ほど出して手渡し、これで買える分だけ買って来て、とのこと。慶一が言われた通り、道を突っ切って角を曲がると、ガソリンスタンドがあって、慶一が店舗に這入はいるとそこで油を売っていたのは誰あろうホワットくんだった、慶一の高校時代の友人である。タイ人なのだが日本育ちなので日本語が母語だ。ホワットくんは慶一の姿を認めると、「お前さあ、上智も落ちて慶應も落ちて早稲田も獨協も静岡大もダメだった、なんてテキトーなこと言いやがってよ、オレお前のことすっごく心配してやったんだぜ、おまえ何考えてオレにあんなうそ吐いたよ。エエ?」と恨みがましい眼を向けてくる。「いやあ、それはさ、つまりこう云うことだよ、おれって、以前から割とお人好しに思われることが多くてさ、ひとによくかつがれたり一杯喰わされたりしたもんだ。でさ、それだけじゃあやっぱり人間として収支が合わない、って言うか、バランスがうまくとれない感じがあってさ、それで、だ……」最後は自信のない尻すぼみになる。ホワットくんは怒りで顔をますますあかくして、「でも態々わざわざあんな赤嘘あかうそりにってオレに向かって言うこともなかろうに」「それは、そこに丁度あんたが居合わせたから」「なにい? そんな巫山戯ふざけた、寝ぼけた答えはいらねえんだよ。お前には軽油は売らねえよ」「軽油じゃなくて、灯油だよ、店長」「軽油も灯油も変わらねえ。ハイオク満タンで、って註文ちゅうもんだけ受けつけてやらあ」「そ、そんな殺生な」「お前がわりィんだろ。嘘つき野郎が」と、次の瞬間慶一は車を運転している。飛ばしている。と見れば、慶一が運転しているクルマはミニ・クーパーであった――ローバーのミニだ。三ドア・モデル、色はチリ・レッドだ、そしてそのミニで慶一らはどこかの沙漠さばく地帯のような荒野をエンジンはフル回転で驀進ばくしんしているのだった。クルマはボディー・サイズに比してどうやら大きめのエンジンを搭載しているらしく、なんと百キロを超える時速で走行していながら車内には余裕が漂っていた。加速に応じて車体がバラバラになってしまいそうな震動やビビリがない。では、それはいいとしていったいどこへ向かっているのだろうか。どこを目指して走っているのだろう。実を言うとその点も慶一の意識の中では今ひとつ不分明ふぶんめいなのであって、自分はどこをめがけてクルマを走らせているのだろう、と云う疑問がひき起こるたびに慌ててそれとはまったく無関係な命題をかつぎ出して珍しく熱心にその真偽を見極めてふだんなら見向きもせぬような文章にかかずらいになると云うのはまことにちゃんちゃらおかしい、正しく笑止千万なことで、慶一はへの字に歪めた口であざ笑うかのごとき微笑をうかべては眼ではまっすぐに前方を見据え、土煙を立てて疾駆するクルマはどこを目指しているのかなんてぼくなんかにはチャンとわかっちゃうんだうんもね、隠蔽しよう、ったってムダな話なのよ、とでも言いたげな風ではあったけれどもその実内証ないしょうではまったく、ちっとも、てんで分かってなぞいなかったのである。慶一のほかには同乗者が三名おり、後ろの席で右側すなわち慶一の背中に座っているのは父親で、助手席側の後部座席に母親が乗っているのもた明白なことであった。しかしながら、よいしなひとつ作るでもないのだが、助手台にちんまりとめかし込んで座っているのはいったい誰なのか、と云うことになると、慶一もさっぱり見当が付かずにその問題は助手席側に振ってしまう、つまり自分では考えたくないしどだい考えるだけの時間的有余も体力的余裕もないのだから助手席側サン、あなた自分であなたはいったい誰なのか考えてしかる上にその結果をこっちに教えてちょうだい、分かったね、と云う態度をとってしまうのである。いや、女性であることだけは分明ぶんみょうに分かっている、大方じぶんの親戚筋であろうこともほぼたしかな話だ、けれども非常に厄介千万なことに、該当するような年恰好のオンナは(数え方にもよるのだが)父方と母方を併せて数えた場合、親戚筋に尠なくとも四名はいるのだ。慶一は椅子取りゲームなんぞする積もりはなかったけれど、どうやら自分はあぶれてしまうような計算尽けいさんずくでこの世に生まれ落ちたものであるらしく、その〝心優しき自分〟を演じるのはべつに格別の痛苦でもなんでもなかったのだが、いちばん肝腎かんじんの情報、つまり「では、この助手席側に座る若き美少婦びしょうふはいったい誰なのでしょうっ、さあさお立ち会い」、となるとからっきし勇気が湧かないのだった。

 それはそれでよかった。問題はこのクルマの向かって行く先のことである。と慶一が見ると、クルマの中はいったい何に使うのか、計器類でいっぱいになっていた。車内のあちこちから植物が根や茎を張るようにクロムでメッキしたパイプや導管が伸びてはびこり、その途中にハリとメモリのついたアナログ式の計器が取り付けられている。管もメーターも慶一のまったくあずからぬものであるから、どうやらこれらは自分がこのクルマを運転している時に〝発生〟してきたものらしい。それはそうと――、とちょっとクルマを一服させてエンジンを冷やさないとこりゃあもたないよ、とブレーキ・ペダルに足を伸ばしかけた時、慶一の一驚いっきょうきっしたことにこのローバー・ミニは減速を開始しており、更に驚くべきことには眼の前にはもはや沙漠さばくなど拡がってはおらず、その代わりにどこかの大学のキャンパスだろうか、レンガ敷きの地の上にそれと似たような色合いの石で組んだ建物が載っており、ミニは今しもそのレンガ道の上を滑るように微速びそくで前進していた。そしてクルマは人気のない大学構内を二〇〇メートルほども走ってから停止した――、書肆しょしではない、図書館らしい建築の前だった。と、慶一の隣の助手席に座った女性が何を勘違いしたのか怪力を発揮して、くだんの計器類をばりばりとむしり取ってしまっている――、更に女性は、「こんなもの、こんなもの」と言いながらクルマの中の装備、窓だったり窓枠だったりハンドルだったりしたが、それらを素手すでがしてしまって走行不能にしてしまった。

 詮方なしに慶一はクルマを停止させるとキィを抜いて運転席から降り立ち、図書館とおぼしき立派な地上五層の建築をふり仰いだ。やはり人気はない。そこで慶一は意を決して一歩ふみ出し、表玄関から図書館の敷居しきいをまたいだ。作動するか自信はなかったが、自動ドアは慶一が接近すると待ち構えていたかのように開いて慶一を中へ迎え入れた。慶一が中に這入はいると、案に違わずそれは図書館であった。貸し出しや返却の受付けがあって、入り口には貸し出し手続きの終えていない本は持ち出せないようにするための磁気式バリアが設置されている。なるほどそれはいかにも図書館だ。中を歩き回り、物色してみると、フィクションの棚のなかにノンフィクションが張り出していたり、和書と洋書とが混在していたり、妙な点はあるが、やはりそれは図書館だった。

 慶一が手許てもとのいっさつを手に取ると、その分厚い本には表紙や表題がない。開けると直ぐに本文が始まっている。その妙な本はこんな筋立てのフィクションであった。

『静男はいま、駅前のマクドナルドの僻隅に、浮かぬ顔をして座っていた。

 眼の前のトレイには、てりやきチーズバーガーのがらと、チキンナゲットの空き箱、それから飲み止しのコカ・コーラのカップが置かれていた。いずれも静男が最前、ぼんやりした頭で店に入り、ぼんやりしたままあつらえたものであった。

 今日は水曜日だった。そして、平生へいぜいなら静男は、水曜日には進学塾に行かなくてはならなかった。

 併し、今日の静男は何故か足が真っ直ぐ塾へ向かなかった。塾へは、この駅から三駅程電車に乗る必要があったが、それが気ぶっせいだった為ではない。又、〝アカデミー予備校〟での成績がかんばしくなかった、と云う訳でも決してない。――否、実のところ静男は、穎脱えいだつ麒麟児きりんじと云う程図抜けた成績ではなかったものの、成績は堅調に伸ばしており、塾では〝上級〟クラスに属していたのだ。塾がいやだった訳でもない。そもそも、中学からは公立ではなく、私学に行かせてくれ、とせがんだのは静男自身なのである。年齢の割に少々早熟な所のあった静男は、公立中に進んで自分の個性が潰されるのを恐れ、大らかな校風で知られる名門の欧洋おうよう学園を目標としていた。模擬試験では、目下該がい中学への合格率は65%、と云うのが最新の数値だった。静男が欧洋中学を目指したもう一点の訳合いは、この中高一貫校は、英国のパブリック・スクールのような全寮制でであることだった。静男は母と兄との暮らしを決してうとんじていた訳ではない。しかしながら、心の何処どこかで父性的なものを渇仰かつごうする気持ちがあった。両親の離婚が何故生じたのか、静男は聞かされていなかった。が、両親の離婚は、静男の中では丸で鋭いナイフで細く深く付けた傷のようになっていた。静男は先ず独りになり、それからゆっくりと将来のことを考えたかった。静男は小説家になりたい気持ちもあったし、或いは母と離縁して去って行った父から少しずつ手解きを受けていたギターを元にして音楽で身を立てるのでも良かったが、兎に角、静男には、何処となく〝他人と違った道を進みたがる〟と云う、此処ここ日本では最も剣呑けんのんな性向が備わっていたのである。

 その静男がいま、独りで秘かに熱中しているのは、「少年探偵ごっこ」と云う遊びだった。読書家の静男は、江戸川乱歩の〝明智小五郎探偵と少年探偵団〟ものは、以前母が中高生時代に読んだと思しき、紙魚しみだらけのポプラ社版で粗方読み尽くしていた。そして、そのシリーズで静男が有り馴れたのは、〝尾行〟という行為だった。

 対象は、〝何処となく怪しげ〟であれば誰でも良かった。あの女子高生は、実はコンヴィニエンス・ストアでの万引きの常習犯かも知れない――とか、あのサラリーマン風は、車上狙いかも知れない――などと疑い出すと、否、期待し出すと、もう胸がわくわくし、あの主婦は――、あの土木作業員は――、あの警官は――、と想像は無限に膨らんで行くのだ。

 この遊びのことは、静男はたれにも他言したことはなかった。塾がなく、誰とも遊ぶ約束がなく、尚且つ晴天の暖かい午後は、静男の〝狩り〟の好日だった。

 そしてこの夕刻、静男は迷っていた。塾の講義には疾うに遅れている。今から行くと、社会科の菊地先生の時間になるが、〝菊パン〟(塾の生徒は皆こう呼んでいた)は時間の点では滅法厳格で、遅刻者を虐遇ぎゃくぐうするので悪名を馳せていた。その次はブレーク・タイムで軽食を取る時間があり、その後水曜の最後の授業となる算数で締め括る。静男の脇にある鞄には、母が朝仕事へ出る前に忙中ぼうちゅう時間を割いて手早く拵えて置いてくれた、ロールパンの簡単なサンドウィッチが入っていた。中身は確かめずとも判っている。一方はハムとチーズにレタス、他方は砕いた茹で卵だ。静男はそれを思うと泣きたくなった。静男は算数が得意だったから、最後の講義だけ聴いて、何もなかったような顔をして帰宅しても良かった。が、忙しい中何くれと世話を焼いてくれる母親には嘘を吐きたくなかった。

 静男が腕時計を確かめると、午後五時を回っていた。もう一時間もぼんやりとして無為に座り込んでいたのだ。静男は取り敢えずマクドナルドの店は出ることにして、ずしりと最前よりも持ち重りのする鞄を手に取った。夕間暮ゆうまぐれのひんやりする風が首筋から入って来る。

 店を出たところで、行く当ては特にない。夕刻の熱鬧ねつどうは、デパートのショウ・ウィンドウやネオン・サインが厭に眩しく、人びとは無情なほど足早に歩を運び、覚束ぬ足取りで逡巡する子供に注意を払う者はいない。静男は稍項垂うなだれて、とぼとぼと歩を運んだ。

 静男は仕方がないので裏通りのゲーム・センターへ歩を向けた。学校の松尾先生からは、

「中学生や高校生の利用が多く、小学生が金品を巻き上げられる事例も報告されているので、ゲーム・アーケードには行かないように」

 とのお達しが出ていたので、静男は内心びくびくしていたのだが、店内を覗くと余り客はいないようだった。静男は店の戸口にたたずんで辺りを見廻した。

 ――と、その時、〝それ〟が眼に入った。

 それは老爺だった。地味な茶色の上着を着て、ループ・タイを身に着け、グレーのスラックスを穿いている。靴はネオンの光芒こうぼうを弾く黒革で、杖を突いて緩徐かんじょに歩んでいる。

 その老人を眼にした途端、静男の標的ターゲットは決まった。静男は何気ない風を装ってゲーセンのガラス戸に寄り掛かり、老人が遠ざかるのを待った。ある程度距離ができると、身体の魁偉かいいな高校生が何名か連れ立って来たのを機に河岸を変え、電信柱の後ろに身を寄せた。老人は一ブロックか二ブロックほど歩いたところで左に折れて姿が見えなくなったので、静男は前後の見境なく走り出した。と、静男が道を横切ろうとしたところで、唐突にヘッドライトに釘付けにされて、同時に凄まじいクラクションの音が響いた。急ブレーキを掛けて静男の手前で停まったのは、白いワン・ボックス車だった。運転席から作業着を着た男が身を乗り出し、

「馬鹿野郎。おいこら、渡る時にゃよく周りを見てからにしろよ。おめえが轢かれて死んだって、此方の責任になるんだからな」

 と叱咤し、た車を走らせて去って行った。男の気勢に呑まれた静男は暫し路上に尻餅をついて転がっていたが、直ぐに、老人の行き先を見失ってはならない、と気を取り直し、走って角を曲がった。

 老人は鏡町の方へ向かってとぼとぼと歩いていた。この近辺には鉄道の車庫があり、静男も先年、〝ロケハン〟をすると云う兄に連れられて来たことがある。だが、今日の日はとっぷりと暮れ、路上には所々街路灯が静かに水溜まりを作っていた。けれども、此処まで来てしまったのだから、後は付いて行くしかない。水溜まりに入ると、始めは影法師が老人を追い、少し歩むと老人の真下になり、更に進むと影法師が老人を追い越す。この辺は、右手は折しもともし頃の閑静な住宅街で、左手は真っ暗な電車区になっているが、もう廃車寸前の車輌のプールで、光はない。

 電車庫を過ぎると、左手は鬱蒼うっそうと樹木が繁茂はんもした森林公園になっている。静男が追って行くと、老人は左に曲がって公園に入ってしまった。

 静男は此処で佇立ちょりつし、思案した。

 この公園は、朝夕は犬の散歩やジョッグをしに来るひとが多いことは知っている。又、園内を仁太郎川と云う小川が流れていて、去年は学校の自然観察クラブの行事で蛍狩りに来たこともある。しかし、静男は一番重要なこと、詰まりこの公園は一体どれくらいの広さがあるのか、と云う点に就いて知識が全くなかったのだった。だが、今日の静男は少しく昂奮していた。と云うのも、こんなに謎めいた標的ターゲットを見出したのは初めてのことだったのだ。始め静男は困惑したが、それよりも魅惑の方が大きかった。森林公園内も街路灯がところどころに立っている。静男は男の後を追うことに決めた。

 老人は大樹の下の蔭になった所を態々わざわざえらんで歩くようで、静男は苦心して後を追った。老人は真っ暗な森林公園の中を、行き先が判っているのかそれとも只の気紛れなのか判然はっきりしない足取りで奥へ奥へと進んで行く。杖は突いているが、そんなものは丸で不要だと云わんばかりの矍鑠かくしゃくとした足取りである。

 やがて静男は林を抜け出し、噴水の前に出た。此処は奈何どうやら森林公園内でも中核を成す場所らしく、夜にも拘わらず盛大に噴き上がる噴水プールの周囲を取り囲むように、やけに明るい水銀灯が何本か立っており、その下にはベンチが数脚置かれているのだが、いずれも無人であった。静男が左を見ると、公園の管理事務所と思しき四角い平屋の建て物があったが、窓には厚いカーテンが掛かり、人気ひとけはなかった。

 さて、件の老人は、不変の確かな足取りで噴水を回り込み、ベンチなどは一顧いっこだにせず、向こうに拡がる闇の中へた入って行こうとしている。静男は此処ここに至って、っと恐怖感を覚えた。だが、何故なぜだか帰りたい、と云う考えは浮かばなかった。もう母も兄も奈何どうでもよかった。静男は老人を追って再び森の中へ這入はいった。

 それから十五分、或いは半時間も歩いた頃だったろうか。森林公園は不意に途切れ、静男は森の外に出ていた。辺りは静寂寂せいじゃくじゃくたる屋敷街――丁度静男が、〝少年探偵団〟シリーズで読み慣れたような洋館が建ち並ぶ街だった。けれども、どの屋敷の窓辺にも灯火はなく、鎧戸よろいどの下りた窓もあり、どの煙突にも人煙はなかった。只、宏壮な建築群が不気味さを漂わせて聳立しょうりつするばかりだった。

 老人は、と周囲を見廻すと、公園を出て右手に曲がって闇の中を歩いて行く後ろ姿が見えた。

 静男は、この辺りは自分にとっては異郷だということを重々理解していたが、引き返す意志はなかった。不分明ふぶんめいながら、何かしら魅惑的、いや蠱惑的こわくてきなものがこの先にあるような気がしていたのだ。

 老人は数ブロックゆったりした歩みで屋敷街を歩いたところで不意に左手に折れた。この辺は街灯の一本きりもないから、見失わないように静男は小走りになって角を曲がったのだった。

 そして、そこではたと足を止めた。

 道は静男の先二十メートルほどのところで行き止まりになっており、そこで老爺は此方を向いて立っていたのである。杖を地に突き、それに幾らか体重を預けて立っている。

 静男はもう一歩も動けなかった。

「坊や、駅前からずっと来てくれたね」

 老人は、含み笑いでもしているかの如き口振りで云った。声は明瞭で、極穏やかな口調だった。

 静男には返す言葉がない。只、空唾からつばを呑んだばかりである。

「いいんだよ、怖がらなくたって」老人はひっ、ひっ、と笑った。「実際、わたしは坊やみたいな子が来てくれるのをずっと待っていたんだから」

 老人はそこで言葉を区切り、杖で以て自分の背後を指して見せた。そこで初めて静男は認めた――老人の背後に、何やら廃墟のような空間が拡がっていることを。

 静男はそれを見ていると、何故なぜかしら、離婚して家を去る前の父に連れて行って貰った、上野の科学博物館に展示されていた、タルボサウルスやイグアノドンの化石した骨格を聯想れんそうした。

此処ここが何か判るかい、坊や?」

 老人は優しげな口調で問うた。ここで初めて静男は老人とコミュニケートした――まり首を横に振ったのだ。

 すると老人は、

「坊や、ここはね、遊園地なんだよ」

 と云った。

 静男は何故か魅入られたような夢見心地になり、

「ゆうえんち…」

 と復唱した。

しかも只の遊園地じゃあない。坊やみたいな、お利口さんのための遊園地だ」

「おりこうさんのためのゆうえんち…」

 老人は二、三度頷き、

「そうともさ。さあ坊や、付いておいで」

 と云い、背後の高さ一メートル程の高い柵を押した。すると、柵と見えたのは扉だったらしく、それはぎぃっ、と云う腐った金属特有の音を立ててきしみ、開いた。

 老人は、「おいで」と云う風に手真似をして、柵の内側に這入はいった。今や意識の一部をすっかり老人に握られてしまったかの如く、静男も続いて中へ這入はいった。老人はた扉を軋ませて閉じ、がちゃりと鍵を掛けた。

「さ、こっちだよ。付いていらっしゃい」

 それから暫く、静男の意識はホワイト・アウトして薄れる。

 気が付くと、静男はフルーツ・パーラーの様な所にいた。辺りがやけに眩しいほど明るいのは、それまで暗がりにいた為だろう。

「坊や、此方こっちだよ」

 老人はにこにこして隣にいた。静男を促して立たせると、先に立って歩いて行く。静男も丸で夢遊病者のように立ち上がった。

 すると、フルーツ・パーラーかと思われた場所は、実は駅だったと判った。島式しましきのプラットフォームが並び、そこには静男も兄の模型列車で見憶えのある色とりどりの列車が発車を待っている。

 と、その中にきわ懐かしい特急電車があった。

 静男は我知らず、

「あ、285系だぁ!」

 と叫んでいた。父が、郷里である香川県へ静男と共に帰省する際に使った寝台列車が、この「サンライズ瀬戸」号であった。

 そして、B寝台二人用個室で旅したその一夜こそ、仕事で多忙な父と静男が過ごした最良の思い出なのだった。

 老人は、かたわらから、

「どうだね。これからこれに乗って、お父さんに会いに行きたくはないかね?」

 と問うた。

 静男は、

「行きたい。けど、お父さん、今何処にいるのかさっぱり判らないし…」

 が、老人は人差し指を一本立て、

「本当に会えるかどうか、なんて考えちゃあ不可いけないよ。いちばん大事なのは、会いたい、という気持ちの強さだ。強く念じなさい。お父さんに会いたい、と。そうすれば屹度きっとた会える。一緒に暮らすこともできるだろうしね」

 静男は、未だ稍ぼんやりした頭で、

「ほんとう?」

 と問うた。老人は真顔で、

「本当だとも」

 とった。そして、静男にピンク色の券を渡し、耳語じごした。

「さあ、これがチケットだ。遅れずにお乗りよ」

 静男はチケットを見た。それは、父親と乗った、二人用のB寝台個室だった。

 腕時計は午後九時五〇分、定刻の発車時刻は午後十時丁度だ。

「さあ、あと十分だよ。早くしないと乗り遅れるよ」

 ――そうだ、乗り遅れちゃまずいや。お父さんに会えなくなっちゃう。

 静男は気を取り直してチケットを握り締め、プラットフォームへ走った。目指す車輌のドア・ステップに足を掛けた時、発車ベルが鳴った。

 ――お父さん。

 ドアが閉まり、ホイッスルが鳴って、列車は動き出した。』


 続きはまだあるのだけれど、どうやらこの老人は〝子捕ことり〟の一種であるらしかった。少年はその爪牙そうがにかかってしまいかどかわされる。そういった筋書きのフィクションらしいのだが、いかんせん表題もついていないのではね……。

 慶一はそう思っていちど本を閉てて表紙を確認したのだが、すると、今度はどうした訳合いか表の題がきちんとついていて、「電気機関車の夜」となっている。おかしいな、285系と云うのは電車らしいから電気機関車などは無用の筈だし、あの本は「銀河鉄道の夜」というのが正しい題名ではなかっただろうか。それともあれは自分の思い違いで……。

 夢の中でよく起こる通り、すべてが矛盾しながら辻褄つじつまが合っており、本来不ぞろいであるべきいっさいが横に肩を並べている。むろん慶一はそういった辻褄の合わぬ部分や不ぞろいな点のすべてに対して、北大の寮歌りょうか瓔珞ようらくみがく」とかを酔いに任せて放歌高吟する時に述べるあのことすなわち、

りょう!」

 をもって確認してしまったものであって、そこからサイエンティフィック・マインドを用いて先へ追究してゆこうとの考えははなからないのであった。だが、それも夢の中のこと故、致し方ないことである。

 ――夢の中の慶一はもう少しのところでこうやって夢魔むまのなかにとり込まれてしまうところだったのだが、その時すべての神経が覚醒させられて慶一は此岸に「帰って」来た。

 ――…。

 ――。

 慶一はむくりと身体を起こした。薄暗いので枕許まくらもとの目覚まし時計をみると、夜光のデジタル式時計は午前三時五〇分を示していた。それよりも、電話が鳴っている。

 慶一が使っている電話は研究室の先輩から譲ってもらった二、三年前の型の留守電つきのプッシュホンだ。そんな下らぬよしなし事が考えにうかぶのも、元はと言えば、朝の四時前に電話をつなぐ方がどうかしていると思うからだ。慶一はなおも少し待ったが、

 やれやれ。

 鳴り止まぬ電話に辟易して仕方なしに受話器に手を伸ばした。

「よお」電話線の向こう側にいたのは木下だった。「おれだけど」

「やあ。――って、いったい何時だと思ってんだよ」

「いや、ごめん。そろそろ起きていてもいい時間だと思ったもので」

「ああ」そう言われればうなずけないものでもない。慶一の過去七日間の平均睡眠時間を知らない人間ならごもっともだ。「なるほど。――で」

「ああ。――今日さ、何か持ってくものはないの?」

「あ」東島氏の言ったことを思い返し、「そうだな、特別にはないと思うけど。――あ、そうだな、キミの家って聖書はある?」

「ああ、ある」木下はちょっと笑って、「オヤジがちょっと前まで夢中だったんだ。何だか知らんけど。今は、またどういう風の吹き回しなのか、親鸞しんらんを読んでるよ。〝親鸞ハ良イゾオ〟とかってさ」クスクス笑ってから、「そんなんでいいワケ?」

「うん、聖書でありさえすれば後は委細構わないみたいだ」

「そうか。場所はアシリベツの滝、でいいんだよな?」

「そう。バスで行くらしいから、真駒内駅で待ち合わせだ」

「諒解した。――じゃ、後でな」

 電話が切れた。

 慶一は受話器をおいてから、それを改めてゆっくりと眺めた。今日の朝は、ぼくは恐らく真駒内の駅前にいるだろう。しかし…、本気なのか? 不意に慶一の眼には、一切がなにか悪い夢の続きででもあるかのような気がするのだ。まさに〝真夏の夜の夢〟、長く続いた幻覚の、そうだ、これも一つの幻覚なのかも知れぬ。だが、瑞生の失踪はどうなる? 慶一はしだいに頭のなかが混乱してきた。日の出の空を見つめて、慶一はもう一度確しっかりと今日は是が非でもアシリベツの滝へ行かねば、と心に決めた。北二四条駅から真駒内までは地下鉄南北線で一本だが、二四分ほどかかる。バスは真駒内駅八時四五分発のものがあるので、多分それになるだろう。とすると逆算して、八時十五分発の地下鉄に乗ればいい。

 慶一は眠れなかった眼で慶一は戸棚を開けてオートミールの箱を出し、鍋に水を張って湧かすとブイヨンのキューブを入れてスープを作り、ポリッジが炊けるころに卵を一つ割り入れると火から落とし、珈琲も淹れて飲食した。食べ終わると時計をみたが、まだ五時半過ぎである。ゆっくりと二杯目の珈琲を飲みつつ、つらつら考える。自分はこれまで持病のこともあってか、眼の前の出来事をたけ理性に基づいて解釈しようとする傾向が強いようだ。それは孰方どちらかと云えば強迫的ないろの強い心理的傾向であって、何かというと客観的事実、客観的事実、客観的に、もっと客観的に、と言うきらいがあって、だからしぜん自分自身の経験する幻覚や幻聴や妄想といったものは成る丈等閑なおざりにして生活するようになっていたのだけれども、今日の朝ここに至ってゆっくり時間をとって考え直してみると、この今回の一連の〝現象〟は、どうにも一切がまやかしだったようにも感じられる。では瑞生の失踪という客観的な事実に就いてはどうなる? いや、それに関しても、そもそもの始めから一切合財すべてが〝虚構〟だったのではないかね。いなくなったのは実際、虚像としての瑞生であって、客観的三次元世界における瑞生はたニコニコして現れるような気がしてならない。結局のところ、自分は虚構的で熱狂的な情動をかき混ぜる妄念に踊らされて生活費と試験前の貴重な数日間分の時間を無駄に浪費したに過ぎない、と云うことになるのではないか……。木下を巻き込んだのも、本人にとっては迷惑千万な話であるから、早くもう一度電話をかけてひと言断りを入れておいた方がよくはないか。

 では、と慶一はもう一度居住まいを正してかんがえ直す。東島さんのことはどうなるのだ。あのひとの存在は強固そのものと言ってよく、アシリベツの滝への道がついたのも氏の存在あってこそのもの、と言ってしまって誇張ではないし又過言でもない。なにか気になることがあれば遠慮なく連絡をくれたまえ、と東島氏は慶一に対して言い残していた。ではこれから東島さんに対し一本電話を入れるか。そんなのは無用だ。慶一は二人に対してしたやくの通りに出掛けることにした。

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