E.

 E.

 永劫とも思える時間が経過した後、汽車はやがてごとりごとりと転轍機の多い区間に差し掛かり、しかる後に終着の網走駅にすべり込んだ。慶一は眠ったのだか、はたまたちっとも寝ていないのだか分からぬ頭で、まぶたの裏に砂礫でもすり込まれたかのごとき思いがする眼をこすりながら外へ出るひとの列に並び、プラットフォームに降り立った。

 みると、向かいのプラットフォームにキハ二〇系らしい気動車二輛編成が仕立て上がっており、わざわざ行く先を確かめなくとも分かったので、慶一は朝食を斜里しゃりに着いてからとることに決め、乗り込んで了った。車内は三分ほどの人の入りで空いていたので、好きな席に座ることができた。北海道内を走る気動車の多くと同様、この車輛も冷房化されていないけれども、夏場でも気温の上がりにくい土地柄で天候も雨天でしかもガスが出ているので特に暑くも寒くもない。慶一が座っていると、午前六時四五分、定刻に始発駅の網走を発った。斜里までの道中は文字通り五里霧中であって、霧さえ出ていなければもう少し窓外の情景を楽しめたろうに、と思われるものだったが、兎に角眠い眼の慶一は寝過ごしてしまわぬように気をつけているので精一杯であった。田舎の小駅斜里に着いたのは午前七時半前のことであって、慶一は取り敢えず駅舎を出た。一旦駅を出てみると、濃い霧こそ立ちこめてはいるが幸いにして降雨はなく、歩いていると「カニめし一二〇〇円」との招牌しょうはいをみつけ、そこで俄に空腹感を覚えてずいと暖簾をくぐった。店内にはこれも若しかするとやはり「大雪」で網走まで来たのでは、と思しき観光客風が五組十数名ほどおり、慶一はそれらの客とは別にカウンター席の方へ案内された。「カニめし」とオーダーしてから運ばれてきたものを見て慶一は眼をみはった。カニはたらば蟹か花咲蟹はなさきがにがご飯の上にふんだんに載っていたが、その脇に宝石のような輝きのイクラがたっぷり添えられていたのだ。慶一はもう息をするいとますら惜しんでこのごついどんぶりをやっつけた。一と頻りがつがつやり、食べ終えてからほっとして空っぽのどんぶりに匙を置くと、たった今席を立って行った、カウンターで慶一の左側にいた、何やら印象は薄いのだけれどもたしか黒っぽいサマー・コートを着た若い女性の手蹟しゅせきらしいのだが、濃いルージュで「釧路へ」と箸袋に認めてあった。慶一は箸袋を丁寧にたたんで念の為ポケットに収めると、噯気おくびをしながら会計を済ませ、汽車の乗り過ぎで揺動する身体を持てあましつつ駅に戻った。「釧路へ」、今はそれが全てのサインだった。

 次の汽車は……、午前十時四七分に発つ快速「しれとこ」だ。時刻表を見ると、この時期この釧網本線でも、臨時列車「くしろ湿原ノロッコ号」が運転されている。前述の内容に続くが、北海道内のジョイフルトレインはこのように多角的な運用がされており、また運行時期もバブル期だけに止まらず、例えばバブル崩壊後の一九九六年冬にも札幌・帯広間で「ノースレインボーエクスプレス」が、札幌・富良野で「フラノエクスプレス」が二往復、札幌・ニセコ間で「ニセコエクスプレス」が、札幌・富良野間でもう一本「クリスタルエクスプレス」が、札幌・新得間で「トマムサホロエクスプレス」が、それぞれ運転されている。まさに百花繚乱である。これらにはそれぞれ如上の通り改造された気動車編成が使われており、例えば「クリスタルエクスプレス」「ニセコエクスプレス」「ノースレインボーエクスプレス」はキハ一八三系から改造されており(「ノースレインボーエクスプレス」はラウンジ・ビュフェあり)、「トマムサホロエクスプレス」はキハ八〇系が種車となっている(「トマムサホロエクスプレス」には食堂車も連結されている)。因みにこれらの改造ジョイフルトレイン群は、車齢が高くなり陳腐化ちんぷかが進行するに従って淘汰される運命にあるが、二〇二三年現在、「ノースレインボーエクスプレス」は現役である。また、現在は「フラノラベンダーエクスプレス」がキハ二六一系で運転されている。経営状態の悪化しているなかでJR北海道としては、車輛新造/新改造と車体の老朽化という間で板挟みにされている訳だ。

 キハ五四系を用いた快速「しれとこ」号は霧のなかを前照灯をともして走った。釧網本線は海側は天候さえよければ冬期には流氷の接岸がみられ、またそればかりか、屈斜路湖に摩周湖、釧路湿原と見どころが目白押しなのであるけど、まことにもったいない話だが、慶一は人いきれがあって外より暖かいことや迫りくる眠気が追及の手を休めなかったこともあって、ついうつらうつらと過ごしてしまい、釧路駅に午後一時三分に到着するまでつい白河夜船で過ごしてしまった。もっとも、右を見ても左を向いても濃霧一色だったことは後刻ごこく聞かされた。

 さて、自分はこうして指定された通りに釧路市にやって来たけれど、これから一体どうしろと言うのだろう? 慶一は別のプラットフォームなり駅改札口の外へなりと流れてゆく人の波をみながらとつおいつ思案したが、軈て、北海道内に住みついてもう三年にもなると云うのにまだこの釧路には来たことがなかったことを思い出し、ひとつ有名な弊舞ぬさまい橋でも見ていくか、という気になって人列に伍して改札口を出た。駅の地図をみると、ここから弊舞橋までは二キロもないようだ。ちょっと行ってみてもよろしかろう。慶一は駅舎を後にした――、と、濃いミルクのような霧がさっそく迫ってきて辟易する。顔をしかめたが、それで濃霧が消える訳でもない。ええい、儘よ、と足を前に出す。

 駅頭にはビルディングの壁面に大きなパブリック・ビューイングのディスプレイが設置されており、何やら忙しげにスノーモービルが走り回る映像がうつし出されていたが、その時、慶一の心の何処かが、

 カチリ

 と鳴った。そしてその瞬息、慶一はスノーモービルに乗っていた。ハンドルをグリップする具合の微妙なる変化で縦横無尽な制御が可能であり、文字通り第二の足、いや、その性能を考えに入れると第一と言ってよい、ともかく二つある足の孰方どちらかとなってスノーモービルは雪を、パウダー・スノーを好き放題撒き散らかしてその辺を走り回った。それまで膜を張ったようだった気分の方は一気に爽快になり、とほぼ同時に丘のふもとにこびとが立って待っているのを認めて、痛快な気分の慶一はグリップの操作によって徐々にスノーモービルの馬力を落としていき、その儘丘の下へ機体を運んで美事にこびとの前でスノーモービルを停止した。

「お疲れさまです」と第一のこびとが言った。「ウィンター・スポーツを享楽なさっておいでですね」

「今日はわたしたち、実は」と第二のこびと。「ちょっとお願いがあるのです」

 第三のこびとは、

「ルズムゴの奥さんのことなのですが、奥さまはクロピドルセレン症候群による筋肉硬化を起こされていて、いのち旦夕たんせきに迫る、という感じです」

 第四のこびとがそれをひき取って、

「そこでまことにさし出たことなのですが、お願いがあるのです。どうかここは一つ、お気持ちを広く持たれて、いちどセブ村までおいで頂くわけには参りませんでしょうか?」

 そして第五のこびとが、

しこちらの條件じょうけんを呑んで下さり、村まで行って下さるのなら、ほんとうに助かるのですけど」

「クロピドルセレン症候群、だって?」慶一はハンドルから手を放しスキー用の偏光ゴーグルをずらすと言った。「ぼくのところへは、ディドリエッタ症だとの報告が来ているので、そのように対処しておいたつもりだが」

「ところが、そうではないのですよ」

「実のところはわたしたちのいま申した通りなのです」

「そうなのです。後生ですから」

「後生ですから」

「お願いです」

 慶一はスノーモービルのエンジンをスタートさせると、

「分かったよ」と言った。「そうまで言うなら、一回行ってこよう」

「ありがとうございます」

「有難うございます」

「――ただね、一つ問題があるのだ」ゴーグルを直し、「つまり、ぼくはここからセブ村まで行く道を知らぬのだ。慥か優に百キロはあったろう」

 すると、第二のこびとが上着のたもとをまさぐって折り畳まれた一葉の紙をとり出し、

「これ、略地図ですがきっと役に立ちましょう」

 と言って慶一に紙片を手渡した。

「ああ、こりゃどうも用意がいいね」慶一は礼を言うと、「――それじゃあ、今日中に戻りたければもう行った方がよさそうだな」

 そして地図はポケットにしまい、スノーモービルの向きを変えると走り出した。

 樫の大木と樹齢五〇〇年を数えるケヤキの木が右と左から枝を垂らして形づくる門のようなアーチをくぐるとこの村は出ることになる。た戻ってくるには、ここでの在職証明か在住証明が必要になる。今の慶一はその孰方どちらも取得していないので、もどり来る上で何か面倒が生ずるかも知れぬとは思うのだけれど、今は場合が場合なのでその辺のことは全てオミットしてしまうことに決めた。なるようになるものだ。

 〝ゲート〟を出て暫く右手にヤマザクラの並木が、左手には凍てついたようになった一級河川の平川が流れている。それに挟まれた道を走ると雅の信号で国道にぶつかる。雅の交差点まではほぼ処女雪にちかい綺麗な雪路だった。ここからは融けかかり、水の混じった穢い雪になるのだろうな、と思いつつ信号で停まる。軈てこちらが青になり、アクセル・ペダルを踏み込み左折したら思いの外きれいな雪が降り積もっていて、これは意外だと少し驚くが、視線を少しうえに向けると、絶えず粉雪が降り続いているのだ。それに往来する車の数もごくすくない。この調子なら不思議はないというものだ。だが、と慶一は慎重に見極めるのだが、この分だとナガヤマ峠をこの一台きりで越すことになるのだろうけれど、それはちょい厳しいな。スノーモービルはあくまでレジャー用の乗り物、燈火の必要な夜中に走らせたり、或いは雪深い山道を乗り越したりするための道具ではない。本格的な雪路になると途端に無力さを露呈して了う、そうした脆弱な乗り物なのだ。慶一はだんだん心細くなって来たのだが、もうここまで来て了ったのだ、ここからタヌガサカの村へ引き返したりすることが能うほどの余分なガソリンは持っていない筈である。先へ進まねばならない。

 五、六分走ると、左手にドライブインがあった。そろそろ手袋の先やコートの裾から寒気が侵入して来る頃であり、両手は既にかじかんでいた慶一は迷うことなく左折する方向指示器を上げた。

 店内に這入ると、予想を超える温度で暖房が入れられていて、慶一は復た外へ出なければならぬのが非道ひどく億劫になって了った。

 食券を買って窓口に出すと、かき揚げ丼セットが間もなく出て来る。みると、店内には客の影は疎らである。慶一は成る丈そのことは気にしないようにしながら窓際に席を取って、七味をたっぷりかけた蕎麦をすすり、そば茶を一と口含むとかき揚げ丼に箸をつけた。

 自由気ままな旅の空、とは云い條、案外制約や羈絆きはんも多いもので、成る丈一箇所での逗留は長くならぬように気を配り、そろそろ、と云う時が来るとさっさと転宿して了うというのが平生の慶一のやり方であったが、今回は見極めをしくじってしまい、冬が来て雪深くなると云うのでついつい流連りゅうれんして了ったのだ。物珍しい顔でなくなると慶一も村のひとの雑用もことの序でに足してやると云う機会が増えてくる。それは感謝され重宝がられるので決して悪いことでもないのだけれども、反面慶一の稀有さ・物珍しさというものが時と共に減じてゆくことになるので、必ずしもよいことばかり、と云うことでもないのだ。慶一としては適当な時期に宿を引き払って別の土地へと流れて行きたかったのだが、今年はいつもにもまして降雪量が多く、鉄道も止まりがちで又冬期はバスの便もなくなるという土地柄なので、いつもの方針を曲げて、仕方がないので春が来るまでここで様子を見るか、と考えたのがまずかったのかも知れぬ。どのみち、この期に及んで四の五の言っても仕方がない。慶一は「たら・れば」はキライな方だったので、成る丈視線は前向きにして、遡及視そきゅうし的な傾向は直ぐに摘み取って了うことにしていたが、こう寒波が断続的周期的に襲来するようだと流石に困って了うと云うものだった。

 かけ蕎麦の濃厚なつゆを飲み干すと、慶一は食器を返却口までもって行き、ドライブインを辞した。心もち、最前より雪が大粒になって来たような印象があり慶一は思わず武者震いしていた。仕方がない。行くと約して了ったのだ。帰りがどれほど遅くなろうとも、ここは行くよりほかの道はない。肚を決めて、慶一はスノーモービルの冷たいサドルにまたがったが、せめて今日だけは自動車を借りて使わせてもらった方が賢明だったのではないかね、という気がした。エンジンを掛けると、スノーモービルの機体も寒そうな身顫みぶるいと共に始動した。この先五キロほど走るとナガヤマ峠である。その先の道をどのように進めばセブ村までたどり着けるのかと云うことは実を云うとあまり精確には把握しておらず、うろ覚えの道なのだけれど、それはその時でもらって来た地図を確かめればよいのだし(手指がかじかんで言うことを聞いてくれない、などと云った事態にならねばよいのだが)、いざとなればその辺の店舗で道を聞いてもよいのだから(この悪天の下、開いて営業している店がどのくらいあるのかは些か疑問だが)、その辺もそんなに心配はしていなかった。何となれば、慶一はハッピー・ゴー・ラッキー、楽天的な人間だったのである。さて、信号を一つふたつ通過すると、道は愈々勾配に差し掛かった。スノーモービルは粉雪を蹴散らしながら果敢に唸りを上げる。対抗車はほとんど全くないし、同じ方角へ向かう車も見当たらない。左手には谷を隔てて雪の中に変電所が見えた。この先、小さなダムがあって無人だが発電所が設置されてあり、その先にちょっとした菓子類などおいてある商店があった筈で、そこから急な坂道が二〇〇メートルほど続き、そして道は本格的な山道になる。

 慶一はモービルのガソリン残量を確かめたが、ゲージはほぼ「F」の方にあり、その点だけは心強かった。時刻をみると午後四時三〇分だ――、中途半端な時刻だった。慶一はギアを〝力行〟モードに入れ、アクセルを踏み込んだ。それとほぼ同時にフォグランプのスイッチを入れたので、足許に降りかかる雪が新たに照らし出されだした。村で借りたスノーモービルはひときわ唸りを高くして急坂を登攀する。

「まあね」と慶一は独白する。「この調子ならあと小一時間で……」

 山道に差し掛かる直前、電光註意表示器があって、

「大雪注意:ナガヤマ峠・セブ村方面」

 とあって、スノウ・タイヤかタイヤ・チェーンを装着するようよび掛けていた。

 慶一はチェーンをつけるために道路脇に百メートルほどに亘って帯状に広く設けられている路側帯にスノーモービルを停車させてサドルからおりると、車体に凭り掛かってたばこを一服した。慶一は本来たばこ服みではなく、平均すると半年間にひとパックほどの割合でしか吸わないのだが、吸う・吸いたくなるのは決まって緊張感を強いられる時だった。今でも自分が仮に追われる立場だとしたら、全速力で四、五〇〇メートルほど走って逃げて半キロメートルとも一キロメートルとも云わず最大限の安全距離を保っておきたいものだった。しかしながら、今はそうも言っていられない。

 慶一は二本目のマールボロを灰にすると、吸い殻を真っ白い雪の上にぽいと棄ててブーツの底で踏みつぶすと、改めてスノーモービルにまたがった。

 ギアを〝D〟に入れ、低速で発進する。

 ――その時、どこからかこのモービルに搭載されているエンジンと同型式のエンジンが思いきり咆哮する音響が聞こえたような気がして、僻聞ひがぎきだろうとは思ったが、少し肩を竦めたのだけれども、直ぐに気を取り直して走り出した。辺りは静かだった。そして、そろそろ夕闇が迫ろうとしていた。風が少し出て来たのか、ヘッドライトの切り出す光芒の中で躍る雪片が斜めになった。ここでっとその気になり、慶一は運転を復た少し止めると、雪の上に降り立ってスノーモービルはアイドリングさせておいて後部座席を持ち上げてその下のヘルメット・ケースを開けて丸く黒いものを一つとり出すとかぶり、またサドルに腰掛けてギアを入れた。スノーモービルは唸りを上げて雪路を走った。道はまっすぐではなく、山の裾に沿って曲がりくねりつつ高度を上げてゆく。初めは山の中腹辺りをうろうろすることになるのだが、道は基本的に一応片側一車線とられているのだけれど、部分的には往復で一車線のみしかないところもある。あい変わらずほかの車影はいっさいない。道が造られているのが山の中腹だったので、初めは道の両側に背の高い木々が生えており全く眺望が利かなかったのだが、のちに道は山の稜線に沿うようになって、不意に前方から左右の見通しが拡がるようになった。それは好天なら気分がよいものだったろうが、この日のコンディションから正直に言うと、怖かった。何しろ上から下まで真っ白い雪しか見えないのである。だが、こういう道に差し掛かればナガヤマ峠にぐっと近づいたのだ、と云うことが分かっていたので、それを自分に言い聞かせて勇を鼓し、慶一は引き続きアクセル・ペダルを踏み込んだ。そして遂にナガヤマ峠まで二キロとの雪に塗れた標識が見えた。いま慶一の脳裡には、ルズムゴの奥さんのこともクロピドルセレン症候群のことも一切なかった。ただ、まずは無事にセブ村にたどり着くこと、それだけが念頭にあった。自分は死んではならぬ身の上なのだ。五体満足の姿でセブ村へたどり着き、その上で(可能ならば?)クロピドルセレン症候群で筋肉硬化を来しているホリの奥方の容態をみて治療方針の点で幾らか決定を下さねばならぬ。だがこの雪だ、今日自分を派遣したことであのこびとらは今ごろイノキ村の村民につるし上げを喰らっているのではないか。そうでなければよいが。

 山の稜線を走るようになったのは視界の面では利があったが、同時に一方で風をまともに受けやすいという不利もあったので、慶一はスノーモービルの鼻面の向く方角に従って右手から吹いたり左から、或いは時には背後からも吹いたりする強風に辟易して、ナガヤマ峠まであと五〇〇メートルという地点でスノーモービルからは降りてエンジンも止めて了い、夕闇が濃くなってきたのでヘッドライトはつけたままで暫く押して歩くことにした――、今日履いているスニーカーは撥水加工してある商品だが、決して冬用の製品ではない。じっさい、雪の細片が靴の上側や靴紐の間から侵入して来たので、五分も歩いていると靴下までびしょびしょになって了った。そして記録的な低温の註意が発令されていたことも相まって、足指の感覚は五分もすると失われて了い、自分の足は氷塊なのだ、足首から先は足ではなくその代わりに氷の塊がついているのだ、と慶一はせいせい言う息の下で蠢く意識の波動の中でいかにも脆弱な内なる声で自分自身に言い聞かせた。

 あすこを左に曲がって、その先少し歩いて右方向……、真夏のナガヤマ峠は実に人なつっこく、フレンドリーな登山経路であるのに、こうしてひとたび季節が一八〇度転換するとこうまで人間に意地の悪い面ばかり見せる山道に変じて了う。もう厭だ、この辺で引き返そう、それでイノキ村の村民には今日はもう「通行止め」の標識が出てゲートも閉じていたので、セブ村まではたどり着くことができませんでした、と言っておくことにしよう、これ以上進めと云うのは即ち雨宮慶一に死セヨと命ずるようなものだよジェームズ、誰がジェームズだか知らねえけどもうここが限界関の山だ、後生だから赦してくんな、と思いつつ慶一はさいごの角を右へ折れた……、と、その眼の前に現れたのは、高さ五メートルほどの「ようこそナガヤマ峠へ」の大きなパネルだった。だが、生憎このパネルの文言はいまの季節ではシーズンオフであるらしい。何となれば、峠のドライブインも照明が落ちていて明らかに営業していないし、銀色スチール製のパネルも雪に塗れて読めぬ語句が散見する。

 そして、歓迎されていないと云うもう一つの証明があった。

 それは、巨大な獣、ビーストの姿だった――、ナガヤマ峠ドライブイン駐車スペースの広い敷地の片隅には、慶一が乗ってきたのとほぼ同じくらいの大きさのスノーモービルが潰されて煙を上げていた。まるで〝セルフお焼香〟のあとみたいだ。その傍らには真っ白い毛を全身に生やした獣、あれはクマのようだが両手先には左右三、四本ずつのかぎ爪が生えているから厳密にはクマとは違う、それに大きさも優に体長八メートルほどはありそうだ。何というかあれは…、そう、こんな貧弱な喩えで申し訳ないが、ジェスロ・タルの一九七九年のアルバム「ストームウオッチ・北海油田の謎」の裏ジャケットに描かれてある巨大な怪物、残忍そうな黒い眼といい、あれによく似ているのだが、そんなことはどうでもよい、ヘッドライトで相手には自分がここにいることは既に明らかだ、此方には武器の類は一切ない、となるとお話は簡単、三十六計逃げるにしかず、と相場はそこに落ち着くだろう。さあ、慶一よ、逃げなくては。逃げてもよいのだよ。そう自分に言ったが、なぜか全身が膠着して動かないのだ。若しスノーモービルに乗って逃げるとこを背後から追われて、後ろからあのクローでばさ、とやられたら。一撃でアウトだぞ。きっとあすこにあるひしゃげたモービルの運転手も似たか寄ったかの命運をたどったのに相違ない。慶一はその場で舌一枚動かせぬほど固まっていたが、脳内では盛んに活動電流インパルスが生じて伝達物質の受け渡しが行われ、情報が行き交っていた。その眼の前で、場違いな巨大シロクマちゃんはずいと身をかがめて、潰されたモービルの脇にしゃがんで何か臭いをかぐか食べてでもいるかのような仕草をしていた。次は自分の番だ……。

 ――と、慶一はいきなりに我に返った。ナガヤマ峠なし、スノーモービルもなし、怪物もなし、雪もないし冬でもない、ここは真夏(とは思えぬほどの天候だが……)の北海道釧路市だ。一体自分の身に何が起こったのだろう。慶一は慥か、釧路駅で一旦列車を降りてどこか見に行こうとしていた。それで……、あの大型電光掲示板を見上げた……。

 それなのか? あれが原因だったのか? そうとしか考えられない。今のは正しく精神開示的サイケデリック体験だったが、病人たる自分の身としても「こんなの初めて」である。いったい――。

 おっと、今は旅の空だった。慶一は慌てて時計をみる。午後一時十三分。さっき快速列車で釧路駅に着いてから十分間しか経っていない。が、気分の上での話をぶっちゃければ、すくなくとも二、三時間は経過したような気がしてならぬ。やれやれ。慶一は長大息して背後の駅をふり返った。それから復た前を向いて濃霧を眼にした。もう市内を観光しようというような気分は皆無だ。次に出る列車は何時発だろう。慶一はかばんから時刻表を出したが、態々そんなことをするまでもなく、時刻なら釧路駅にでかでかと掲示してある。次に出る列車は根室本線上り特急十三時三〇分、「おおぞら10号」である。慶一はすっかり毒気を抜かれて了っていて、取り敢えず乗るには乗ることにした。駅弁「ぬさまい弁当」、八二〇円也をひとつ買ってどうにか通路側の席が取れる自由席車に乗り込んだ。

 時刻になり、けたたましくベルが鳴っておおぞら号は出発した。183系気動車は釧路駅のベルに負けじとコンプレッサやエンジンのうなりを目一杯のボリュームで盛大に轟かせ、十勝平野を驀進した。次はどこで降りようか? 慶一は時刻表とにらめっこする。次にインスピレーションをくれそうな〝美女〟はでて来るだろうか? いや、その前に慶一にはもう大体分かり掛けていたのだ。瑞生はきっと、今という時間、現在、いわば瀰漫しているのだ。その反対に例えば慶一という存在は慶一として〝収斂〟していると云える……。それに出逢うために、そして救い出すためには、例えばトカゲやカナヘビを捉まえるように、尻尾をねらって素早くかつ辛抱強くタイミングを取るべく待ち構えて――、そう、この時速一三〇キロで走る特急列車に乗って全速力を尽くして待ち構えておらねばならないのだ。慶一は時刻表をみて、白糠、池田のつぎ、帯広で下車することにした。もうどこへどういう考えで行こうというあたまもない――、全ては気任せ、手任せ、出任せで行動していた。そして、それでよいのだ、と云う確信を得ていた。どこからやって来て慶一に逢着した〝確信〟であったのかは今ひとつ明確ではないのだけれど、だが慶一はいま、主イエスを得た使徒ヨハネの気分だった。 白糠は午後一時五四分発、池田は午後三時二分発、帯広は午後三時二二分に到着した。計画通り、慶一は帯広で降車した。自分の意志で自発的に行動するのは初めてだ。慶一は初めての夏休みを迎えたばかりの中学一年生のような気分でどきどき・わくわくしていた。

 慶一は列車を後にすると、駅前のレンタカー会社に這入った。女事務員が応対してくれた。

「ご予約ですか?」

 いいえ、と答えると、いま当店に残っている車は……、と切り出して、マツダ・カペラ、日産・サファリ、ダイハツ・クオーレ、スズキ・エブリィ、トヨタ・クラウン及びカリーナ、と大体このくらいですね。カタログを出して見せるので、慶一は大雪山系の山地へ向かいたいことを思いそう口にすると、女社員は、それじゃあサファリがお薦めですね、と言うので、慶一はそれに気圧されて(と云うほどの圧力でもなかったが)日産サファリをかり出すことになった。慶一が今度は事前にガソリン残量を確かめると、大丈夫、「F」の文字に近い位置までなみなみと入ってある。慶一は道央地方の道路地図も借りてさっそく出発の準備を整えた。――と、キィを回してエンジンをかけたところで先ほどの事務員が小走りにでて来て、慶一が窓を開けると「これ」と四つ折りにした黄色い付箋を渡して来た。

 慶一がそれを開くと、下線を引いた文字で、

「ナイタイ高原へ行け」

 帯広市は札幌市や旭川市などと同様、碁盤の目のように設計された都市である。慶一は地図をあたまの中にたたき込むと、まず国道二四一号へ向かった。道央部を経て、道東の弟子屈てしかがへ抜ける道路だ。目的の道路に出ると、慶一は道を一路北方へとった。ナイタイ高原に就いては名前は知っているという程度だ。何でも兎に角だだっ広い土地だとか。食べ物もうまいらしい。もう自分にはあまり時間が残されていない、と慶一は心中でぼやいた。あと三日か、多く見積もっても四、五日が精々と云ったところだ。タイム・リミットを過ぎたら、自分は瑞生のことは忘れて試験勉強を始めねばならない。だが、慶一には、瑞生のことを忘れて了うことが果たして本当に能うのかどうか、非常に疑問だった。分かっているのは、自分はこれまでちょんぼばかりしていたが、今はもうこれからヘマができるような余裕はあまり残されていない。若しかすると八方手を尽くした挙げ句救いの手を他に求めなければならないかも知れない、と云うことだった。

 車は道路を順調に流れていた。慶一の運転する日産サファリもごく快調な走りぶりであった。道は軈て帯広の市街地を離れて郊外に差し掛かった。この辺まで来ると車の姿はまれ、道ばたも木立が多く見られるようになって来て、勾配に差し掛かるようになり、だんだんといまフロントガラスの中央にみえる大雪山の方面へ向かっていることは明らかだ。日は未だ高い……、夕暮れまでにはどこか廉く泊まれる宿を見つけねばならぬ。根室本線まで下りれば「まりも」があるが、車中泊、しかも自由席座席車の床に新聞紙を敷いての雑魚寝はもう願い下げにしたい。とはいうものの、この辺の温泉宿というものがどのくらいとるものなのか、慶一は知らないのだ。札幌の方には若しかすると一度連絡をとってみた方がよいかも知れない。ひょっとすると瑞生は今ごろひょっこり戻っていて……。

「それだ!」

 慶一は思わずそう叫び、折よく通りすがりにセブンイレブンがあるのを見つけて急に速度を落とした。広い駐車場の隅には緑の公衆電話があった。駐車場はガラ空きである。

 性急な仕草で慣れぬ運転のサファリをどうにか店にぶつけずに駐車スペースに停めると運転席からとび下りてジーンズの裾をひっ張り、度数の残っているテレフォンカードはあったかなとポケットを探りながらまっしぐらに電話に向かう。

 手帖に控えてある中から、〝バンド〟に所属している中村という学生の番号を拾い、いてくれることを願いながら電話を架けた。

「もしもし」

 いたのだ――、先方は三回ほどの呼び出し音で出てくれた。

「瑞生はどうしてるか知ってる?」

「いや。――こないだの練習も来なかったし…、あの日は何だかみんな中途半端になっちゃって、西桜はもうバンド辞めるか、とかって言い出して……、そう言や慶一も来なかったじゃないか。一体何がどうなってんのか、さっぱり訳分かんないよ。瑞生は家にも帰ってないらしいし。お前、何か知ってんの?」

「い、いや」慶一は喉の奥でごくりとつばを呑んだ。やはり何か起こっているのだ。「あとちょっとで試験だな」

「うん。いま勉強中なんだ。まったく、生化学だけで手いっぱいだよな、こりゃあ。物理化学は赤とるかも」

 邪魔して悪かった、と詫びて慶一は通話を切った。

 そして再びサファリに乗り込むと、進路を北にとった。

 士幌町を離れて上士幌町に差し掛かると、国道二四一号を下りたこともあって道路の情況はだんだん悪くなってゆき、それと軌を一にして道の周りには人家が見られぬようになり、木立や背の高い雑草の草むらが多くなり、鹿の絵を描いた道路標識も見られるようになった。サファリはその道を揺れて弾みながら時速五〇キロから六〇キロの速度で後ろに砂ぼこりをまき上げて走った。何だか走っても走っても、どんどん時間的には遅くなっているかのような気がした。道は軈て遂に舗装路を外れることも往々にしてあるようになり、みると道はまさに森の中を貫いているのだった。対向する車の姿は無に等しくなり、慶一はたいそう心細いものを味わったが、その時高原牧場の看板が眼にとまった――、この先を左折するらしい。そして指示の通りに四ツ辻を左手に入ると、五、六分間のドライブの後にそれまで慶一の脳天を塞いでいた緑一色の天井がふいにきれいに払拭されて、視野もぐんと拡がった。

 これがナイタイ高原牧場のとっ掛かりだった。ここまで来ると、さわやかなる高原牧場の午後をここで過ごしたのだろう、何台かの車が降りてくるのにすれ違った。その内二、三台は、ハンドルを握る慶一のやっている真似をしてヘッドライトを点した。大きな鐵のゲートを通過すると高原牧場だ。住所は上士幌町となっているが、近接する足寄町や鹿追町にも土地は足を伸ばしているような、とそんなあらぬ妄想もして了いそうな、そしてそれも非常に尤もらしく聞こえて了うような、それ程にただただ広い牧場だ。いま慶一の眼前には、それまでの頭の低い山道で逼塞していた視界ではまったく想像すらできなかった正に文字通りの青天井のもと、たおやかに起伏し女性的な優美さでうねる緑色の丘陵地帯がいっぱいにひらけており、放牧されている牛たちはそのところどころに点在するという恰好であった。時刻はそろそろ夕刻に近かったけれど日足はあって展望台にはまだ人影があり、起伏する山の頂点近くに設けられているレストハウスもまだ営業時間内だった。

 サファリを駐車場に停めると、慶一は軽く〝潤滑剤〟がほしくなって、下の一般的なマーケット・プライスと較べると割高だが、それを承知でカルビバーガーと麦酒、あとソフトクリームを註文した。慶一のあつらえるものを聞いた店員は、

「お客さん、車でないのかい?」

 と軽く咎めたが、慶一は口辺にうすく笑いを泛べて、

「バスで来たから大丈夫だよ」

 とごまかした。

 札幌にいてもこの牧場に就いての月旦評はちょいちょい耳に入れる機会があったが、みな物珍しさも手伝ってか些か買いかぶって過大評価しているのだろう、くらいにしか思わなかった慶一だけれど、やって来た理由は偶然の産物だとはいえ、いざ来てみるとまさに見ると聞くとは大違いで、空気は天然の巨大な空気清浄機のお蔭で清潔そのものに澄みわたり空も高く高く抜けるよう、都会につきものの無粋な人為的のノイズとも又人いきれともここでは無縁だ。

 ――でさ、と慶一はビールをすすりながら考える。ここには遊びに来たのだっけ? ナイン。どういう訳合いだかは不分明であったが、とにかく何らかの動機づけがあってここへは来た筈だった。しかしながら、復た瑞生の後塵を拝することになったらしい。瑞生の後ろ影すら拝めなかった……。気を取り直して、旅を続けるよりほかない。

 そう、もうそろそろ閉店時間だ。店員たちはちらちらとこちらにやや迷惑そうな視線を送ってくるのが分かった。食事も済んだし、お土産に〝十勝ナイタイ和牛丼〟も包んで貰ったから、今夜どこかで急に空腹を覚えた時でも安心だった。――問題は、その「どこか」が「どこ」なのか、ということだ。この場所は慥かに熱鬧ねつどうも雑踏も離れた、ミザントロープにはまことにもってこい、まさにうってつけの場所柄であるけれども、生憎まったき孤独の中に、自分で自分の歩哨に立って夜を明かしたいというような余程偏屈な向きでなければ、この山中で一人車の中で過ごすなどという大胆、平たく云えば蛮勇は勧められない。また、クマのでて来ることはほぼ必定であるので、たといオトコだと雖もこんな山中でたったひとりきり車外でキャンプを張るなどということも普通の神経では到底考えられないのだ。と云うなら帯広へ戻るのか、と聞かれればそれもちょっと違うよな、と云う気がする。慥かにこのまま山を下りれば先に述べた通り「まりも」があるが、ごろ寝することの是非とは別にそれはただしい選択肢じゃないな、と云う感じがある。だいたいレンタカーの契約は明日まで押さえてあるし、何よりも上手くは言えないのだが、今夜下山するのは明らかに「違っている」という確たる内的な印象があるのだから、今夜だけは山中で一泊したい。慥かこの辺りにはいくつか温泉があった筈だ。そろそろ暮れ泥んできて室内のダウンライトの方が余程明るみを増しているこの時刻、営業所で車と一緒に借りた地図を拡げ、道路を眼で追った。すると、ここからそう遠くないところ、ここを降りて行って上士幌町を出て少しゆき、間道を抜けたところに亀の子温泉という温泉宿があることが分かった。いったん車から降り、レストハウスの傍へゆくと出入り口の近くに公衆電話が見つかった。ダメ元だと思いつつテレフォンカードを挿入した。地図にあった番号をプッシュ入力して、待った。三度の呼び出し音で繋がった。やはりダメかな、と思いきや、お一人さまでしたら一室ご用意できます、お食事はご朝食のご用意でしたら承れますが、とのことであったのでその條件を呑んで一泊の宿を申し込んだ。

 慶一の気持ちは固まり、今夜の行く先も決まった。そうと決まるともうぐずぐずしてはおられぬ。ふと駐車場を見廻すと、薄暮の時刻のだだっ広い駐車場で今なお残っている車は慶一のサファリだけだった。早くしないと追い立てを喰らうかも知れぬ。慶一はそそくさとサファリの運転席に収まると、エンジン・キィを回した。

 注意深く坂道を転がして降りると、設けられている舗装されたスロープが駐車場に沿ってしばらく続き、ずっと見て廻ったのだがこの時刻まで残っている車はやはり慶一の日産サファリだけであるらしい。牧草地の方を見ても、もう一頭のウシもいない。それが頭にインプットされると、何となく空恐ろしいものを感じて下り坂であるにも拘わらず思わずアクセル・ペダルをふみ込んで了った次第。

 サファリを転がしてナイタイ高原牧場の大門、大きな鐵でできた正門を出ると、当てつけたように慶一のサファリのすぐ後ろで巨大な門扉が音を立てて閉まった。

 慶一はサファリで下り坂を疾走しつつ前照灯のノブをひねって、霧灯もいっしょに点灯し、ほとんど自分の車の出している時速には気を配らずに転がした。道の両側には復た緑色のカーテンが天井を為すようになっており、前照灯が際立つほどに薄暗いのは必ずしも日が暮れたことだけが原因ではないようだ。道ばたには水銀灯が一定の間隔を空けて並び、クールでなだめ落ち着かすような静かな光を投げかけている。

 亀の子荘に架電の際、何時頃到着する予定なのかと訊かれ、たぶん午後七時には、と答えておいた。だが、少し休憩を取ろうと思ってハザード・ランプをつけて車を道の左に寄せて停め、腕時計をみると時刻は午後六時四〇分だった。むろんまだ上士幌町内である。

 道をゆく車は皆無、おまけに深い木立の中でも明らかに分かるほど小雨が降り出している。幸いにしてまだワイパーを使うほどではないが、あまりよい気はしない。何せ周囲は真っ暗なのだ。つばを吐こうとして窓をまき下ろすと、雨のにおいがした。

 再び走り出し、それから漸っとのことで人家がみえ出したのは、どのくらい走った頃だったか。一連の動作で腕時計に視線をくれると、午後七時二〇分であった。

 それからの草深い道は野道であるとさえ云えるような森を貫く悪路で、しかも枝葉がフロントガラスを撫でてゆくようなことも始終あって、慶一は思わず以前読んだ「高野聖」の小説を思い出して了って背筋が寒くなるのだった。ナイタイ高原牧場から亀の子荘までは直線距離にして十ないし十五キロメートルほどである。だから慶一は、この距離ならば二〇分ほどもあれば到達しうる、と考えて了ったのだけれども、ここに慶一の誤謬があって、実際の路面は枝道のようなものが多く、しかも不用意に曲がりくねったりしているから、慶一の見積もり概算よりもどうしたって長い時間が掛かるのは無理からぬことであったのだ。

 そういった訳で、慶一が亀の子荘に着いたのは午後八時前のことだったが、それでも早いほうだと云えたろう――、案の定道を何度か間違え、最後に二七四号から入るところを確認した時にはまだ旅館に着いた訳でもないのに全身の力が抜けるような体たらくであった。

 慶一はチェックインすると、直ぐと二階の一室に案内され、荷物(と云っても鞄一つきりだが)をおくとさっそく温泉に向かった。

 オンシーズンたる夏期休暇期間中だというのに温泉は人影がまばらで、雨のしずくがたまに肩を打つのには閉口したけれどそれを除けば露天風呂ものびのびできた。

 浴場を出て身体を拭き、ラウンジに出てソファに座ってカルシウム・パーラーを飲みながらくつろいでいると、不意に眼の前に蔭が射した。復たかと思いつつ顔を上げると、人影が――、柔らかな香りで若い女性と分かるが、ひとり佇立している。

「なにか?」

 もう矢でも鉄砲でも持ってこい、と云った捨て鉢な気分だった。

「若し間違っていたらたいへん申し訳ないのですが」女は悠揚迫らぬ口調で言うた。「何かお困りのことでもおありですか?」

 もう捨て鉢な気分で、

「ええ、まあね。最近ひとによくそう言われます。北海道に来てからもうしばらく経つけど、郡部にはご親切なかたが多いようで」

「皮肉を言うものじゃありませんわ」

 女は半ばたしなめ、半ばなだめるような口調。

「それじゃあぼくの身にもなってみて下さい。何だか訳の分からぬお告げのために、道北から始まって道東まで廻って来てうろうろするのに五日間も費やしている。さっぱり埒があかない。ぼくはもうオケラだ、お金がないし、生憎まったき健康体という訳でもない。おまけにあと五日もすれば札幌で試験が始まる」

 女はそう言う慶一の方をじっとまもっているので、問わず語りに、

「大体、あんた方だってお気楽なもんだよな。どう云う事情があるんだか知らないけどサ、ひとのことをあの日の札幌駅からこっち、ずうっと追いかけてきてんだろ。瑞生がいなくなったのだって尠なくとも半分〝故意〟じゃないのかい。何か事情があるのなら、ハッキリ言ってくれた方がありがたいがね」

 すると女は、静かにかぶりを振って、

「故意なのかどうか、それに就いては特にお話しすべきことはございませんけど、でも、わたしは別に誰かと結託してあなたのことを追いかけたりしている訳ではありませんわ。この亀の子荘に来たのも今日が初めてで、昨日大阪の伊丹空港を飛行機で発って千歳空港に来て、昨日はトマムに泊まりましたから。あなたに声をかけたのも、別段誰かの差し金とか、そんなことではありません。その辺は保証しますから、ご安心下さって結構よ。――わたし、仕事はセラピストなんです。今夜思い切って話しかけたのも、あなたが……、失礼、お名前を伺ってよろしいかしら? あたくしは仙波と申します」

 慶一は名乗った。

「どうも、慶一さんね。慶一さんに話しかけたのは、あなたが極端に悲観的なお顔をなさっていたから、そう言えば分かって頂けるかしら。別に他意はないんですけどね。何か事情がおありなら、お話になればお聞きしますけど」

「いや」慶一は手で相手を制した。「すべてはぼくの誤解だった訳ですね。失礼いたしまして、申し訳ありません。ぼくの話をお聞きになってくれるというのは、それはありがたいですが、生憎話を共有して貰えれば解決するというたぐいの問題ではないのですよ」

「あらそう。でも、袖振り合うも多生の縁、とは云いますし」

「知っていますよ。今夜仙波さんとこうしてお知り合いになったのも恐らく何かのご縁なのでしょうね。だけど――、うん、やっぱりどうにもならぬものはどうにもならないですよ」

 仙波は眼を伏せた。

「あなたは不幸なのね」

 慶一はちょっと迷ったが、

「幸福、と云ってもあまりピンと来ませんなあ、そう言えば」

 仙波はくすっと笑って、

「まあでもユーモアのある辺りはまだ救いようがあるわね」と言った。「あなた、大学生?」

「そうです。住まいは札幌なんですけど」

「夏休み?」

 慶一は吐息を漏らして、

「の、筈、なんですがね。うちの学校はこれから試験なんです」

「あ、ひょっとして北大生?」

「はい。よく分かりましたね」

「あたしの知り合いも北大出のがいるから。夏期休暇の真ん中に前期試験がある、って言ってたし」

「なるほど」

「ふん。北大生か。何を悩んでいるの?」

 慶一は訥々とではあるが、一と通り問題を打ち明けた。仙波は慶一の顔をみて黙って聞いていたが、軈て聞き終わると、少し考えてから、

「それで、あなたは今、いちばん必要なものはなに?」

「そうですね……、ま尠なくとも、どこぞの雑誌の占い欄みたいなどっちつかずの抽象的で曖昧な言辞はもう聞きたくない。ぼくが求めているのは、具象性、と言っていいのかな。せめて何を・いつ頃・どのように・どこで・誰と行うべきなのか、できうる限り明瞭に教えて貰いたいのです」

「瑞生さんのことは救いたいのですね?」

「もちろんです。一刻も早く見つけ出したい、それが第一の希望です」

「そうかあ。分かる。ツラい、わよね?」

「ええ。多分それは、ほかの仲間に何も言わないででて来ちゃったこともあるんだと思います」

「そうねえ。札幌の友だちと、連絡をとり合いながら行動するのであれば復たけっこうツラさも違うわよね」

「ええ。――札幌に帰ったら、きっと学生相談室のお世話になると思いますがね」

「そう」ふと脇を見て、「あら、もうこんな時間だ。休みましょう」

「ゆっくり休めるかな。――もう久しく熟睡していない気がしますよ」

「そうか」ハンドバッグをとってもそもそやっていたが、「これ」

 と言って何やら慶一にさし出す。

「何です?」

 うけ取るとそれは錠剤だった。シートをきり離した一錠で、裏返すと〝ネムレン〟と書かれてあった。

「クスリはもう充分貰ってますから」

 と返そうとしたが、

「いえ。あなたの処方はさっき伺ったけど、夜のクスリは出ていないみないじゃない。――大丈夫、レボトミンとはバッティングしないから。騙されたと思って、服んでみて」

「まあ、いいですが」

「じゃ、明日の朝ね」

 と立ち上がったが、

「お金は要らないんですか?」

 念のため訊ねると、ちょっと足を止めて、

「あなた、帯広からここまでどうやって来たんだっけ?」

「レンタカーです」

「いつ返すの?」

「明日の午前中」

「じゃあ、丁度いいわ、あたしのこと帯広駅まで送って下さらない?」

「…いいですよ」

「決まり。じゃ、お休み」

 すたすたと行って了った。

 慶一は詮方なしに妙な薬剤と共にとり残されてブツブツ呟いたが、疲労しきった頭で考えても埒があかない。どうしようか、と思い迷ったが、ええい、ままよ、と思ってカルシウム・パーラーの残りで服用してみた。

 それから翌日午前六時まで慶一の記憶はただ一点を除いてほぼすっかり飛んでいる。

 朝になって慶一が醒覚し部屋の布団の上に起き直ると、窓のすぐ外に滝が見えるような気がして立ち上がって見に行ったのだけれども、鬱蒼とした森が見えるだけであって、当てが外れた。

 何かあったような気がするんだが。一体何だったかな。

 何かがひっ掛かっている。なにか足りない、闕けている。不足がある。

 しかしながら、そのものズバリを念頭に泛べることができない。ああ、じれったい。隔靴搔痒。

 ボンヤリした頭でTVをつけると、午前七時になるところだった。そう、朝食は七時から、と言っていたっけ。じゃ、行くかな。

 慶一が朝食券と宿のルーム・キィを持って冴えない顔つきで階下に降りると、昨夜の仙波という女客の姿は既に食堂にあった。慶一の姿を認めると手招きして自分のテーブルの向かいに座らせる。

「おはよう」とスクランブルド・エッグをカリカリに焼いたトーストに載せながら、「よく眠れた?」

 慶一はどう答えようか言葉を探したが、無駄なようだったのであきらめ、仙波に向かってぺこりと頭を下げた。

「何か元気ありませんね?」

「なんと言うか」復た言葉を探す。卓子の上の両手を結んだり開いたりする。「ちょっと妙な感じで」

「そうでしょ」

 慶一はどろりとした眼で仙波に軽く非難をこめた視線を送る。

「やっぱり、昨夜のあのクスリ、妙だと思ったんだ」

 すると、仙波は慌てて顔の前で手を振り、必死の様子で否定する。

「今朝、起きてから何かイメージが泛ばなかった?」

「いめえじ?」

「そう。何かモノでもコトでもいい。何かのイメージ」

 慶一は池の表面に浮かび上がってエサをとろうとするコイのような口つきで、

「あ」

 仙波女史は珈琲を一と口飲んで慶一の言葉を待つ風情。

「滝」

「え?」

「滝です」

「タキ」

「ええ」

「どんな滝ですか?」

「人跡未踏の地にあるような滝、じゃあないな。比較的人里に近いとこにある滝…。都市近郊にある滝」

「ふむ」トーストをもう一と切れ口にはこび、「どこか特定の滝で思いあたるものは?」

「ないなあ」頭を搔いた。「ぼく、この二年半ろくに旅行とかしてなかったから」

「あらそう」やや残念そう。「その滝というのが、有力なキィワードになりそうなんですけどね」

 慶一は椅子の上で飛び上がった。

「えっ、そうなんですか?」

「うん、必ずしも、とは言えないけど、可能性は高いのよね」

「あの、お薬の効果で?」

「ええ。あのクスリは、全国的な流通はまだだけど、ヒトの潜在的なイマジネーションの可能性を刺戟するものだと言われていて」

「へええ」

 便利な薬ができたものだ。

「服んだ次の朝に得られるイメージが、問題解決に大きく寄与するような示唆を与えることが多い、とされているの」

 慶一は眼を白黒させる。仙波は、

「ほら、キミもトレイをとって、朝食にしなさい」

 慶一はあまり食慾がなかったのだけれど、従った。ベーコン、トースト、卵、マーマレード、ミルク、珈琲。一応形だけは朝食の態を為している。

「さっきのイメージって、それ程大事なものなんですか?」

「ええ。大事だわ。そのイメージが導き手になってくれる筈だから、大事になさい」

「はあ」

「ところで、何時に出るの?」

「えっ?」

「昨夜のお願い忘れちゃった?」

 直ぐに思い出した。

「――あ、そうそう。…そう、ですね、九時前には」

 仙波は莞爾として、

「よろしう」

 フロントの前で午前八時四〇分に集まること、と云う約束で一旦別れた。

 ――しっかし、ヘンなヒトだな。

 歯を磨きながら慶一は思う。何だかあの仙波という女性とは初対面だという気が余りしないのだった。だから昨夜渡されたあのヘンなクスリもさして狐疑こぎすることもなく服んで了ったのである。が、四の五の言っても始まらぬ。それにもう仙波女史との関係と云うものも終わりに近づいている。あとは帯広駅まで送って終わりなのだ。

 午前八時三〇分に約した場所へゆくと、仙波女史は既に待っていた。

 慶一の顔をみると、

「急いで、急いで」

「どうかしました?」

「あたし、十時五一分発の下り特急に乗りたいの」

「ああ、それなら大丈夫、ぼくも十時五〇分の上りですので」

「あ、そうなの?」

 車に乗ってからもあの調子で喋々しかったらどうしようか、と慶一は秘かになやんだが、それは結局杞憂であった。サファリの助手席に収まると、運転の邪魔になるまいと云う積もりなのか、仙波はごく無口になってくれた。慶一は、

「ナイタイ高原の牧場とかは行かれないんです?」

 などと水を向けてみたのだけれど、

「今回は残念だけど時間ないわね」

 と素っ気なく返辞をするだけ。

「ぼくは昨日行ってきたンですがね、生憎クマが出て、幸いぼくはクルマの中だったんですが、車の周りを頻りとかぎ回って、挙げ句の果てにこのクルマをゆさゆさ揺らすんですよ。ありゃあ生きた心地もしなかったっす」

 と作り話をしても乗ってこない。それに何とはなしに気まずいものを覚えた慶一も黙りこくったので、車内は沈黙の帳が降りた。

 仙波が口を開いたのは、帯広駅まであと凡そ二〇分、と云う辺りだった。

「ご免なさいね、気まずくて」

「いやあ。――でも、昨夜と大分印象が違うので、気になりましたよ。どこかお悪いのかな、とか思ったり……」

「うん、そんなんじゃないの」一瞬黙してから、「あたし実はクルマで襲われたことがあって」

「ええ、――はあ」

「治さなくちゃ、と思ってるんだけど、どうしてもクルマの中で男の人と二人きり、と云うシチュエーションって苦手なのね」

「そうだったんですか」

「ええ。……気にしないで。今日はどうもありがとう」

「いや、礼を言うのはこっちですよ。滝ですね、札幌に戻ったら当たってみることにします」

「そう、それがいいわね。もうこのまま札幌へ?」

「はい。瑞生を追えるところはもう大体探し尽くしましたから。先――、と言ってあと四、五日ですが、札幌の周辺で改めて当たってみます」

「気をつけるのよ」

「つけた方がいいですかね?」

「ええ。ひと一人の命が懸かっているのよ。そこへ首を突っ込む訳だから、ミイラ取りがミイラになる、なんてことのないよう、重々気をつけて」

「分かりました」

「じゃあ、どうもありがとう」

「ごきげんよう」

 仙波はサファリの後部座席から自分の荷物を下ろすと、慶一に向かって血色のわるい顔で手を振ってみせると駅の方へ消えて行った。

 慶一はレンタカーを返却すると急いで駅舎へ向かった。列車(もとへ、汽車)の時刻が迫っていることもあったが、仙波を見つけたらもう一度手でも振って挨拶したいと思ったのである。だが、プラットフォームにかけ込んで下り方面の「おおぞら1号」を眼で追っても、それらしき人影は遂に認めることができなかった。同時に向かい合ったプラットフォームにも既に上り方面の「おおぞら6号」が入線しており、時間切れになって了って、詮方なく慶一は自由席車輛に乗り込んだ。

 盛夏の候とのことで、夏休み中であるからむろん席はとれず仕方なしに車端のデッキで立っているよりほかない。慶一は窓外を高速で流れる十勝平野のじゃがいも畑や荒涼たる原野に眼をやりながら、内心では裏腹に仙波女史との会話を反芻していた。仙波は、

「自分の生を賞揚せよ」

 と言った。又、

「今生きてあること、それには必ず意味があるのだから、一日いちにち感謝して過ごさねばならぬ」

 とも言った。

 慶一は胃液でもせり上がったかのように口の端を曲げて、ぼく自身には、ぼくの存在なんか呪われているものにしか思えないんだけどなア、と思っただけだったが。

 三〇分後、そろそろ新得に到着するという頃になって、この列車にはグリーン車のデッキにテレフォンカード用の公衆電話が設置されていることを思い出し、そうだこの事態を誰かに話しておかねばならない、誰がいいか、と考え、遠藤省吾の名が泛んだ。釧路の大楽毛おたのしけの出で、釧路湖陵高校の出身者だった。いつも瑞生たちとつるんで遊んでいる仲間の一人である。

 混み合う自由席車輛を難儀して通り抜け、漸っとグリーン車に逢着したところで車掌の検札に出くわして、その後這う這うの体で公衆電話にとり付いた次第。遠藤のアパートには慶一も何度かお邪魔したことがあるが、今の時間いるかどうか不安だった。だが、思い切って架電すると、幸甚にも在宅していた。遠藤も〝バンド〟のメンバーなので、割合やすやすと情況を理解してくれるのではないか、と思ったが、心事相違い、なかなか分かって貰えなかった。そこには慶一が〝精神障碍者である〟との一項もものを言っていたものらしい。慶一はそこにそこはかとなく差別的なものを感じ、歯がゆいのと口惜しいのとで下唇をかむ思いだったが、まず瑞生が不審なかたちで出奔し失踪していることは慥かな事実であるし、慶一もそれを追いかけて道内の方々をたずね歩いていることは中村の口からでも聞いたのであろう、遠藤もそこまでは承知していた。けれど、その慶一の挙措を怪訝かいがの面持ちで見守っていることはほかの連中と変わらぬらしく、慶一のとんぱちはいつも通りのとんちきな行動の一環だ、という立場を取っているようで、要するに三歩から五歩ほど退いたところから遠巻きにして環視するだけで、決して慶一の言うことを本気にして親身になって聞いてなどくれないのだ。

 やがて、電話機がブザーを鳴らした。もう残り度数がわずかなのだ。

「ぼくは、いま帰り道なんだ」高速で走る気動車の立てる尋常でない騒音の中、慶一は送話口に向けて言葉を吹き込む。「若しぼくの話が納得いくのなら、ぼくのアパートまで電話してくれ。こちらからはそれしか言うことはない」

 そこまで話すと、慶一は受話器をホルダーにがしゃんと戻した。

 時刻は十三時、千歳空港駅を出たところだった。

 まったく、病気と云うものはなんと因果なものだろうか。慶一は発症から凡そ三年経過する患者で月に二度ほどの割合で定期的な診察を受けねばならなかった。病に就いて自分から言い出したことは何度かある、が吹聴したことはほとんど憶えがない。けれどもいつしか慶一はビョーニンとしてとり扱われるようになっていた。何か喋っても、客観的な単純な事実であっても不当にさし引いてうけ取られたり、或いははなから信用をおかれなかったりする。相手がそういう態度に出ていることを知ったときの疎外感、寂しさは味わった者でなければ分からないだろう。それもあって、慶一はアナログ・レコードの蒐集に夢中になって、お蔭で今では「七〇年代ロック、特にプログレッシヴ・ロックに関しては、ぼくを中心とする半径五キロメートルの円内にはぼくの智識をしのぐマニアはまずいないね」と豪語するほどになっている。学費と生活の費用は親許からの仕送りがかつかつだし、余分な趣味を持つにはアルバイトをしなければならなかったが、その辺は割とそつなくこなして車校(自動車学校)も自分のポケット・マネーで通ったし、揃えるのに大枚二〇万もはたいたステレオ・システムも全て自分で払った。趣味生活の傍ら、留年だけはせぬように心がけ、幸いビョーキの方も小康を得ていたので来年には無事卒業できそうな具合であった。まったく、中村も遠藤も、そして蓋し瑞生も、慶一がどれほど苦心惨憺し腐心して自分の暮らしを切り盛りしてきたかを知れば、驚いて眉を上げたに相違なかった。

 瑞生だって肚の底では自分のことをなどどう思っているか知れたものじゃない、どうせ四文字のあの結構電波に乗せるには勇気の要りそうな半分放送禁止用語を使ってぼくのことを形容しているのではあるまいか、或いはそんなこと化学科の学生にとってはもはや至極当たり前のことになっていて本音以前の建前になりおおせているのではないか、いやそれでも変わらずぼくと(尠なくとも表面上は、だが)付き合ってくれているのだからありがたくその志を頂戴しておくんだな的な考えが成り立つのだろうか、そうなると卒業後に友だちリストから真っ先に消されるのは自分のような存在なのだろうか……。

 そんなどうでもよいことを必死で考えているうちに特急「おおぞら6号」は札幌駅七番線プラットフォームにすべり込んだ…午後一時二五分。昼を過ぎて了った。腹にはあとで何かつめ込むとして、取り敢えず必須の問題として自分が直面解決せねばならぬことは……、あ、と小さく呟いて慶一はプラットフォームの上にできた日溜まりの上でたち竦み、手近のベンチの上に必死で腰を落とした。あたまの中ではシナプスを介した神経回路接合の無分別化と迷走化が生じており、大脳新皮質においてまったき混沌を来していた。それに対し慶一の講ずることのできる措置は皆無に等しく、かかる現象のまえで慶一はそれが自分自身の腦随でありながらまるで他人の脳ででもあるかのように手をつかね、無力に時間の経過を見つめるよりほかなすすべは一切なかった。慶一の見守るなかで、自分の脳内ではドパミンやアセチルコリンやエンケファリンやノルアドレナリンやアドレナリンやエンドルフィンなどがさかんに分泌されてシナプス小胞内に貯蔵され、軸索を通じた活動電位に応じてシナプス間隙に放出されては後シナプス細胞の細胞膜に点在する神経伝達物質レセプタに結合して電気刺戟を惹起する。神経インパルスが始まる。これを慶一は虚けたように傍観するよりほかなかった……。耳の中で心臓がやたらに鼓動をうち、自分はこれで一体どうなって了うのか、ひょっとしたらこのまま札幌駅の構内で横死を遂げるよりほかにないのか、或いは完全に正気を失って黄色い救急車で北大病院へ運ばれて一生を禁治産者の廃人として過ごすよりほかないのであろうか。慶一の脳内ではこんな感じでまるで走馬燈のように種々の思いが去来していたが、たっぷり五分もするとどうにかこうにか落ち着いてきて、立ち上がって傍にあった自販機でポカリスエットの缶を買ってプルタブを開けて冷たく半透明の液体を口に入れ、その補水液が体内の電位差安定に少しばかり寄与するところでもあったのか、動悸は漸っと収まってきて気分も平静に安定をみた。しかしながら、これは慶一にとって全ての問題の落としどころだ、と云う訳ではなかった……、反対に、一切の問題の発するところ、と云ってよかった。それはまったく出口のみえない大々的なる堂々巡り、そして精も根も正気までも尽き果て序でにカネも尽きかけた今、まだ時期尚早だと云うのに札幌へ帰って来て了った背徳感・罪悪感・自己厭悪感・敗北感は絶えず自分自身を責め立て叱呵し呵責となし、自分で自分をむち打ち磔刑に処し梟首きょうしゅ獄門ごくもんを下命する次第であって、それに対しこれも一つの結果ではないか、仕方がないことだとの弱々しい弁疏抗弁の言葉もあったけれどもほとんど顧みられないのだった。――と、その時だった。あれが慶一の脳裡に泛んだのだ…。暑いので脱いで左手にかけていたシャツを探ると、ポケットにがさがさした紙片の慥かな手触りがあった。

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