C.
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翌朝、眼を醒ますと午前七時過ぎだった。同室したのは〝鉄ちゃん〟らしいのが二人、ライダーがふたり、と云う構成だったが、
慶一はあてがわれていた二段ベッドの上段から床にとび降りると、洗面所で顔を洗ってだいたい身仕度を済ませ、食堂へと急いだ。一階の食堂は今が忙しさの盛りらしくて、ペアレントは捉まえられそうになかったので、のほほんとした表情をして入口でトレイを配っていたヘルパーの女の子を傍に呼んで、一.連泊は可能か、二.妙なことを聞くが、この辺りに沼や沼地はあるか、と二つ質問を出した。
このユースホステルの食事は、朝は黒糖パンと珈琲に新鮮な牛乳、と決まっているそうで、慶一は
「追加宿泊のご希望がおありだそうで?」
「済みません、スケジュールの都合でちょっと急なんですが……」
「いえ。――一泊であればお引き受けできますよ」
「あ、そうでしたか。それはどうもありがとうございます」
「それから」
「……は?」
「いや、この辺に沼地があるかどうか、とかそんなお問い合わせがあったようで」
「ああ、――そうなんです」黒パンの味のせいで
「それであれば」とペアレントさんは一枚の刷り物をとり出し、「これは、このホステルで作成しているこの辺の簡単な地図ですが、宜しければご参考になさって下さい」
「ああ、それは助かります。どうも恐縮です」
「レンタサイクルがありますので、よろしければどうぞご利用下さい」
「はい。ありがとうございます」
慶一はぺこりと
――そうそう、こう悠長なことをしている訳には行かないんだっけ。
慶一は早速ホステルのフロントに行き、ヘルパーを呼んで貸し自転車を一台見繕ってもらい、靴を履いた。幸い丁度よい大きさの自転車が見つかったので、チューブに空気を入れる手間もそこそこに、出かけることに決めた。
クマは出たことがない、とは
慶一は和寒町内だと聞かされて来た、旨いと云う話のラーメン屋を目指すつもりでペダルをこいだ。
山のなかである。夏休み中とは云え、特別に観光地という訳でもない土地でしかも平日のこと、周囲は人影もなく、聞こえるのはほぼ鳥のさえずりくらいである。慶一は道が進むにしたがってだんだん怖くなって来た。いっときなど前に進むのに困難を覚えて、自転車をこぐのも止して降りて
「それは……」
「ん? ああ鋤さて」いいなあ、懐かしいや、そうだな、そうだったな、と気を取り直して取り敢えず奈々湖さんだと
さて、慶一は緑豊かな道を半ば
慶一はそこで
ラーメンはとんこつだったが、
食べ終えると代金八〇〇円也を支払い帰途につく。帰り道は行きと道を違え、前日バスでたどった幹線道路に沿って南下した。総じて云えることだが、北海道の人びとは自動車の乗り方が荒い。土地が広く、建築物もそんなに密集していないせいかも知れないが、制限速度四〇キロとされている平凡な地方道でも七〇、八〇は当たり前で出すのだ。慶一が〝車校〟に通って普通自動車免許を取得したのは二年ほど前の話で、この時ついてくれた教官は大型トラックの運転手上がりだという人だったがごく
慶一はその静けさの中にふと窒息的な息苦しさ・胸苦しさを覚えて室を離れ、暗く静かに冷たい廊下に出た。
その時だった。
「斜里へ急いで来てくれ」
紛う方ない、瑞生の大音声が
それに雷で打たれたかの如く反応した慶一は、思わず腕時計を見た――、午後九時五〇分である。
――どうしよう。どうすべきか。
だが、瑞生の声が言うことには間違いないのだし、ここはやはり出なければなかろう。
終列車は午後十時三〇分だったのはうろ覚えで記憶にある。
慶一は荷物をまとめて階下に降りると、食堂で片付けをしていた最前の女性ヘルパーに声を掛け、これこれでかくかくしかじか、とかいつまんで
慶一はフロントで慌ただしくカネを払うと、いそいそと真っ暗な北海道の闇のなかに姿を没した――。
そして慶一は予定どおり午後十時三〇分発の「マイタウンかえで」なる快速列車、これが塩狩駅から旭川方面へ出る終列車なのであるが、それを無事捉まえて旭川へ向かった。列車は闇の中から一条の光となってすべり出てきた。
キハ四〇系の車輛が使われており、慶一が腰を掛けると一体どこから出現したのか分からぬのだが、まるで夏の夜の蛾のように濃い印象を残す女性がつとやって来て、慶一が座ったのと同じボックスに腰を下ろした。窓際に席をとるので、しぜん慶一とは膝を突き合わせ向き合って座る
慶一は幾度か不審そうに女をちらちら見たが、女はじっと窓の外を見ている。
――その内列車は徐々に速度を落とし、隣の無人駅・
女は立ち上がった。
だが、その
パンプスの靴底をかたかた言わせて通路に出ると、ついと慶一の方に身をかがめて、
「朝ご飯を食べる時、分かるわ。きっとね」
と言って、慶一が返辞のへの字も言う前にささっと姿を没して
慶一は
旭川駅では二時間ほど待って、午前一時十五分発の石北本線夜行急行「大雪」号に乗れた。14系客車の四輛編成で、B寝台車が二輛に座席車が二輛という列車である。慶一はむろん座席車、それも自由席しか残っていなかったので、オンシーズンで客の多い車輛に乗り込んで、床の上にごろ寝をする他なかった。眠れ、という方がどだい無理な相談である。
ここで、先に載せた慶一の手になる未完の
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「いや」と院長は考えながら言葉を口にした。「もう望みはあるまい。我われにできる手は尽くした、といっていいだろう。この
二人は眼を瞑り、それから弛緩してベッドに横たわる青年の身体を見下ろした。放っておくと硬直が来るな、と栄は思った。だが、この青年の出自が判らぬ以上、これ以上手を触れるには及ばなかった。
「では、死亡診断書を…」
「要らん」栄は短く云った。「
「では…」
席を立って外へ出ようとする三上を栄は引き留めた。
「いや、きみにはここにいて貰わなくては困る。誰も来ないよう、見ていて欲しいのだ。――当院の全職員には、313号室への立ち入りを禁じる旨、触れを出すが、患者が迷い込むかも判らん。そういった
「判りました」
「それから、この件は無論だが他言無用だ」
「承知しております」
「宜しい。――では、宜しく頼みますよ。所用が済み次第、直ぐ戻ります」
栄は313号室を後にして、院長室に戻った。
室に入ると念の為ドアに施錠し、それから直ぐに電話に向かい、石井憲吉の携帯電話を呼び出した。何もなければ、憲吉は県立療養所の相談室にいる筈だった。
相談室にひとがいるような場合は大概留守番電話に切り替わるのだが、その日は好運なことに、憲吉は三度目の呼び出し音で出た。
「はい」
学生時代から変わらぬ、
「朝話した、急患のことなんだが」
「うむ。どうだ?」
「今さっき、旅立った」
「そうか…。まあ、
「いや、それが…」
栄は憲吉にことの次第を
「そいつぁ…
と呟くように云った。栄は、
「そうなんだよ」と云った。そこに至って、改めて栄は、自分の胸に暖かな血潮が流れ込むのを感じたのである。「他には誰にも話す訳には行かんのだ…。警察にも話せない、と云うのは、個人的な
憲吉は、
「まあ、落ち着けよ。――今日はおれも幸い暇だ。厄介ごとは持ち込まれていない。だから、風邪を引いて熱っぽい、とでも云って、午後…そうだな、二時か三時にはここを出よう。で、お宅をお伺いする。お客さんは、それまで安置しておいてくれないか」
「判った。済まない。そうして貰えると大変有難い」
「なに、お互い様だ」
そう云って、憲吉は笑った。
電話が切れた後も、栄は暫く受話器を耳に当てた儘呆然としていた。
けれども、入院許可の書類への署名や、障害者年金の受給申し込みに必要な診断書の作成など、院長としての事務仕事が待っていることを
――さて、
栄は考えながら、胃の痛みを覚えていた。
その時、誰かが院長室のドアを控え目にノックした。ドアの
「はい」
と掠れ気味の声で返辞をし、立ち上がって解錠した。
「失礼します」と云って入って来たのは雪村師長だった。「院長――」
「うむ」
雪村は後ろ手にドアを閉めると、低声で、
「あの急患、なくなられたそうで」
「ああ」
「それで、この後は…」
云い差す雪村を、栄は手で制し、
「何とかする。心配は無用だ」
とだけ云った。
「そうですか、何か…」
「もう、良い」河原は幾らか大きな声で口を挟み、再び「心配は無用だ」
雪村は何か感ずる所があったらしく、最前よりは落ち着いた態度で
「判りました」
と云った。それから、弁当箱の載った
「お昼は、もう召し上がりました?」
と問うた。栄は吐息を漏らして、
「いや、未だなのだ。どうしても食慾が湧かない」
と云って
「院長、これから何があるか判りませんし、今のうち召し上がっておいた方が身の為ですよ」
と忠告した。院長は、
「うむ。併し、一寸胃が痛んでね」
雪村は、
「判ります」少し笑って、「わたしも、昼食を取るのに
栄が、
「用はそれだけかね?」
問うと、
「――あ、浜田さんの障害者年金の件で…」
「ああ、それなら書類はもう出来ている」
栄は卓上から診断書を取り上げて手渡した。栄は、
「有難うございます。――では、わたくしは失礼致します。お邪魔しました」
と云い残して院長室から
――憲吉は一体どうするつもりなのだろう? 何か当てがあるのだろうか?
栄は食べながら考える。
――
併し、それは避けたかった。話の筋立て、配役、情況、どれを取っても汁気たっぷりのスキャンダルの種になる
考えながらではあったが、栄は何とか弁当を完食した。
昼食後、自席に座った儘の姿勢でいた栄は、満腹感と神経の疲労からゆくりなくも
それから覚醒して時計を見ると、午後一時半を回っていることに心付き、慌てて立ち上がった。革製のデスク・チェアが背後の灰色をした事務用ラックにぶつかった。
――しまった。うっかり寝入ってしまったか。
栄は白衣に袖を通すと、院長室を後にした。
ノックをし、三上の返辞を確かめてから313号室に入ると、青年は全裸に剥かれており、着ていたものは各病室備え付けの床頭台の上に畳んでおかれ、青年の身体には白い
「何か、異常な点はなかったかね?」
栄が問うと、三上は、
「ええ、先ず、今朝方も指摘した、
「ふむ」院長栄は気難しい返辞をした。「その他。何かなかったかね? パンツのポケットに何か入っていたとか…」
三上看護師は
「いいえ。身元の特定に繋がるような物品は
「そうか…」
「先生、この
「うむ。早急に地下に移した方が得策だな。――が、もう少し待って欲しい。わたしの知り合いが来て、見てくれることになっている」
「そうですか。…あの、それから、あの足首の刺突傷のことなんですが」
「うむ。どうかしたかね?」
「はい。傷周辺部の組織をごく部分的に採取して、長野さんに顕微鏡で見て頂いたんですが」
「ほう。どうしてそんなことを?」
栄が問うと、三上看護師は
「あのう、余計なことかとも思ったのですが、余り気になったものですから、わたしが個人裁量でお願いいたしました」
と答えた。
「ふむ。――それで、
「それが…、ヒトの組織細胞に混じって、繊維状の植物細胞と思われるものが確認されたそうなんです」
「なに? 植物細胞だって?
「ええ。細胞壁に、葉緑体、それから中心液胞も見られるので、恐らく間違いないだろう、と
「ふうむ」河原栄は思わず右手を顎下に当て、考える姿勢を取った。
その時、
「どなたかな?」
と小声で問うた。すると、同様な囁きが、雪村師長の声で、
「お客さまです、院長」
と返って来た。栄はドアを開けた。
雪村師長の後から入って来た姿を見て、栄は幾分か救われた気がした。眼鏡を掛けた浅黒い顔はそろそろ還暦を迎える頃だったが、相変わらず
「よう」栄は昔の学生言葉にならぬ様気を付けて話した。「元気そうだな。よく来てくれた」
憲吉は微笑を
「おい、ここにいるひとたちは大丈夫なのかい?」
と問うた。栄は頷き返し、
「ああ、大丈夫だ。早速見てくれないか?」
憲吉は雪村と共に313号室に
「ちょっと、この
との言葉を受けて、看護師は手早く布を剥がした。五月の湿っぽい天候という季節柄、青年の身体からはもはや
憲吉は、青年の
それを聞いた憲吉は、
「なに、植物細胞だって?」と
「長野くんは、敏腕の薬剤師だ」栄は云った。「若し疑義があるのなら、下の臨床検査室を訪れて、顕微鏡を覗かせて貰ったら良い」
憲吉は、
「そうだな。間違いがあると困るし、百間は何とやらと云うし、一寸行ってみるか。河原、案内を頼むよ」
長野は検査室の中で、退屈そうに新聞を読んでいた。二人が
「院長、何でしょう?」
栄は隣の憲吉を指し、
「
「ええ、その細胞でしたら、未だプレパラートが顕微に載っています。さ、こちらへ」
と云って、二人を部屋の一隅へ連れて行った。憲吉は眼鏡をかけた
「…うむ、これは確かに葉緑体、それにこれは中心液胞、こいつはゴルジ体だな。――うむ、確かに植物細胞だ」
「だろ?」
と栄。
「ああ。――併し、
「植物学者なんか呼んで、どうするんだ?」
栄が問うと、憲吉は、
「勿論、この植物細胞のDNA解析をして貰うのさ。遺伝情報さえ判れば、この草本だか木本だかの正体も分かるからな。――
四階へ帰るエレヴェーターの中で、栄は、
「これ、単なる痲薬乱用以上の犯罪の臭いがするんだがね。お前はどう思う?」
「ああ。これには十中八九、犯罪が絡んでいるね。確実だと思う」
憲吉は即答した。栄は、
「ううむ。この儘、無縁仏として闇の中に葬って
「
「うむ。それが
「判った」憲吉は間を
それを聞いた栄は「ええっ?」と云って片眉を上げた。
その時、エレヴェーターは四階に着き、二人は籠から出た。院長室まで二人は無言で歩いた。室に入ってから、
「……何か、
栄が問うと、憲吉は、
「うむ、ないでもないさ」
「どんな? ――それも、闇、かね?」
「まぁ、半分は闇だな。それがバレなきゃ、堂々と表に出せる」
「具体的に、どんな話なのだ。もっと具体的に聞かせてくれんか?」
「ああ。実はな、おれの一寸した知り合いに、警察犬訓練所の管理をしている、――つまりその地所の所有者なんだが、
「ほう。そんな知己がいたとは、初耳だな。どこでどうして知り合ったんだね?」
「いやぁ。平たく云ってみりゃ、只の酒飲み仲間さ」
「ふうむ」
栄が少しく
憲吉の話に
「ほう。それは
憲吉は美男子ではないが愛嬌があり、医師を目指していただけあって、本人も元々ひとが好きなのだろう、それがそんなことを云うとは栄には
「どうして、って…、形容するべき上手い表現が見当たらんが、随分剣呑な表情だったからね」
「へえ。じゃあひょっとしてこっちの…」
「いやいや。――まぁ、八九三も怖いには怖いが、そういう怖さとも違うな。云ってみれば、おれは見たことは一度もないが、亡霊に遭遇した時はああいう怖さなのかな、と思ったが」
「ふん。それでお前、
「いやぁ、元は喧嘩の仲裁さ」
「そうか」
「うん。――ある時、おれは止まり木に座ってジントニックか何か
石井の話に拠ると、今埜は田部井が足許に置いていた鞄に
「おい
ともの凄い剣幕で喰って掛かった。石井はそこを、
「まぁ何だな、酒呑みの怒り上戸、ってやつだな」
と評する。
温順な性質の田部井は
そこへ、憲吉は割って入り、何とか仲裁を試みた。憲吉は、
「ま、幽霊氏はいつも隅っこの席で大人しく呑んでいたから、若しかしたら
と後顧する。
さて、憲吉は止まり木から降り立つと、田部井と共に雁首そろえて頭を下げ、
「これは連れ合いの不注意ですが、気付かなかったぼくも悪かった。どうぞ、田部井さんを殴ると仰有るなら、ぼくも一緒に殴って下さい」
と云った。そこで今埜は漸っと怒りが幾分か和らいだようで、拳を解いた。憲吉は自分の右手の席に今埜を座らせ、
「さ、よかったら一献参りませんか?」
と誘った。憲吉が、ビールでも、とすすめると、案外固辞せずに、
「一番搾り、いいね」
と
「ああ、済まね」
と云い置いて、後も振り返らず、
「
と
「いやいや。こう見えて、
と云って涼しい顔でショート・ホープに火を点けたものである。
そこまで聞いて。
「ふうむ」と河原栄は云った。「それが、馴れ初めかい」
今埜はそれから数週間して復た姿を見せるようになったのだと云う。
「ああ、そうなんだ。それからは今埜くんも田部井さんもおれに頭が上がらないみたいでさ、おまけに二人とも仲良くなっちゃってさ」
「おいおい、幽霊だの何だの、
「うん。あの仁は、元々孤独癖が強いんだね。職業を聞いてハハァ、と思ったよ」
「一体何をやって生業にしてるのさ」
「芸術家さ。地元では結構名の通った画家らしい」
「ふん。絵だけで喰って行けるのかい」
「そこさ。実家は土地持ちなんだね。地代が入るから、好きなことをして
「そうか。…で、その
「ああ、こういうと何か作り話めいているけど、近頃は二人して近所のバーを飲み歩いてるよ」
「ははは」栄は一寸笑った。頬の筋肉を緩めるのは久し振りのことであるような気がした。「そういう訳か。で、その今埜さんという方が、その警察犬訓練所の地主だ、ということだな」
「ああ、そうなんだ。こういう関係だし、場合によってはちょいと
「ふうむ。
憲吉は微かに
「
「口は堅いのかい?」
「うむ、それは請け合うよ」
「そうか」栄は
「だが、この儘では
「ああ、そうだ」
石井は人差し指を一本立て、
「放置しておくのが
「判っている」
「特に怖いのはマスコミだよ。この病院で死んだことが
「ああ、そうだな」
「いっその事、警察に申し出たら
「――いや、それにはもう遅い。発生から時間が経ちすぎている。警察には話せない」
「じゃあ、やはり今埜に頼るしかないだろうが」
「警察犬なんか連れて来て、一体何をする積もりだ?」
「無論、調べるのさ」
「調べる? おれは警察犬の扱い方なんざ知らんぜ」
「その辺は
「…後でバレたら、問題になるぜ。そうなったら、その今埜さんも巻き添えにすることになる」
「大丈夫だ。一と晩、恐らく一、二時間借りるだけで事足りるだろう」
栄は腕組みをして
「うむ、じゃあそうするか」
と吐息混じりに答えた。
「よし」憲吉はにやりと笑って云った。「じゃあ、早速呼んでみるか」
栄は戸惑って、
「おいおい、ここは
「無論さ。今夜、〝レッド・ダイヤモンド〟へ来るようにいうだけさ」
と云うと、憲吉は早速隠しからiPhoneを取り出し、電話を架けた。三〇秒ほど待ったところで、相手が出た様子だった。
「やあ、石井ですが。今、構わない? ――ああ、そう。…それで、今夜一寸話したいことがあるんだが、今日は来られる? あ、そう。じゃあ、午後七時でどう? OKね。はい判った。諒解」
と口早に送話口に向かって言葉を吹き込むよ、電話を切り、
「奴さん、来る、って云ってるよ。今夜の呑み代は、お前持ちだな」
「ああ、それは構わんが…、おいそれとバーでできる様な話じゃあない」
「判ってる。一寸だけ小出しに持ち掛けて、相手が乗り地なら、二軒目に連れていく
と云って、また別の番号に架けた。
「ああ、〝砂場〟さん? 今日三名、座敷の個室で八時からお願いしたいんだけど…、あそうですか、じゃあ宜しく。――はい、石井です。じゃあ」
と云って通話を終えた。余りにも話の展開が
「大丈夫かね、そんなに簡単に話を進めてしまって…」
と云ったが、憲吉は涼しい顔で、
「なに、ことは急を要するのだろう? だったら、手早く
「で、犬を借りて、あの仏さんの臭いを
「そうだ。その際、あの、…何つッたかね、あの第一遭遇者は?」
「又蔵だが」
「そうそう、その又蔵さんにもご同行願わなくてはなるまいね。一体どの辺で
「うむ。伝えておく」
石井は腕時計を見た。
「おう、もうこんな時間か。――おれ、今日は退院の可否に関する三者会議に出なければならなくてさ。…じゃ、七時に〝レッド・ダイヤモンド〟に来てくれよ」
「判った」
石井はポケットから車のキィを取り出し、ちゃりちゃりと右手で弄びながら院長室を出た。栄も後を追った。憲吉は、
「おい、階段使わせて貰えねえかな。おれ、健康のために、
「そうか。…おれも階下へ降りるから、序でに送ろう」
院長室を出る際に、栄は階段室のキィを取った。
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