第55話 不思議な生活


 部屋に閉じ込められてから、はや1週間。

 椿は犯人の顔を、未だに見たことがなかった。


 相手は四六時中といっても過言ではないほど、椿の行動に対して先回りをする。

 トイレなどに行く際、ボタンを設置しなければ絶対に上手くいかないと椿は思っていた。しかし、今のところ支障はなかった。彼が次に何をしたいのか読まれているのではないかというぐらい、気づけば扉が開かれている。時間で開閉しているわけではなかった。


 その気味悪さを除けば、椿は至れり尽くせりの状態で暮らしている。

 3食きっちりとバランスのとれた食事が用意され、外部と連絡のできるツールが入っている物以外であれば、希望すると翌日には部屋に届けられた。


 初めは相手が犯罪者なのに変わりないので、椿は頼むのをためらっていた。しかし段々と、拘束されているのだから遠慮する必要は無いと、考え直すようになった。


 そのため隙間のあった本棚は、ギュウギュウになるまで本が増え、娯楽用品も何個か届けてもらっていた。

 人によっては、快適といえる環境である。


 しかし椿は、もちろん黙って部屋にい続けるつもりは無かった。

 物を頼むと、食事やトイレとは違った場所から届けられる。その場所は備え付けられている机に面している壁で、一辺が30センチほどの正方形で内側に向かって開けるようになっていた。


 その場所以上に大きな品物は、頼んでも届けてはくれなかった。代替品やコンパクトなものに変えているので、要求を無視しているわけではない。

 椿は、脱出するならそこを上手く利用するしかないと考えた。


「さすがに運動不足になりそうだから、ここにフィットネスバイクがほしい」


 欲しいものを頼む時は、ようやく位置を把握したカメラに向かって話しかけながらアピールをする。

 椿は部屋の隅を指して、いつもみたいになんてことないように告げた。


「他のものは嫌だ。フィットネスバイクが運動しやすい」


 ただ頼むだけでは代替品にされる可能性が高いので、そうはさせないと相手の選択肢を減らした。

 どんな小さいものを探したとしても、パーツごとに渡そうとしても、30センチの壁に引っかかるのは間違いない。


 そうなれば、相手に残される行動は限られてくる。

 用意できないから諦めろと言うのが、一番楽な方法である。しかしそれはしないはずだと、椿には自信があった。

 自分を好いているからこそ、できる限りの望みは叶えようとするはず。嫌われたくないのだ。


 どうやって頼まれた品を部屋に入れるのか。脱出するチャンスがあるとするなら、その時だった。

 品物を用意するのに時間はかからない。今日か明日が勝負だと、椿は普段通りに生活しながら機会を待った。


 いつ相手が動くか不明なので、徹夜も覚悟していた。気を抜くことなく、常に入口を警戒した。

 寝たフリをするために布団に入っても、眠気に勝つために自分の腕を強くつねっていた。




「……はっ!?」


 目を覚ました途端、椿は寝てしまったと自覚した。しかし、すぐには信じられなかった。


「う、そだ。ありえない」


 嘘だと口にしても事実は変わらない。部屋の隅、昨日までは無かった存在が現実を突きつけていた。

 フィットネスバイクが、すでに設置されている。新品で、確実に30センチの穴では通らないほど大きい。

 どうやって運ばれたのか。考えられるとしたら、扉しかない。しかし扉が開けば、椿は絶対に気づいていたはずだ。いくら寝落ちしてしまったとしても。全く物音を立てずに、設置するのは無理だからだ。


 明らかにおかしい状況。

 椿は自分の過失だとは、どうしても考えられなかった。そもそも1日ぐらいであれば、寝ないで待てるはずなのに、気づけば朝になっていた。寝落ちした瞬間を覚えていないのも、おかしな話だった。椿は眠気に襲われた記憶もないのだ。

 こんな大事な瞬間に、のんきに寝ているほど愚かではないつもりだった。


「……まさか、薬を盛られた……?」


 寝てしまった事実に変わりないとしたら、外的要因があったとしか考えられなかった。

 穴から運べないと分かった犯人が、椿に邪魔されることなくフィットネスバイクを部屋に入れる方法を模索して、辿り着いた先が睡眠薬だった。


「食事か……部屋にガスでもまいた?」


 マイクに拾われないように、ほとんど音にならない声で椿は呟く。自然と親指の爪を噛んでいて、ストレスで頭をかきむしりたい気分だった。

 しかしその姿を見られてしまえば、カメラの向こうで見ている犯人に気づかれてしまう。椿が脱出するために、この計画を立てていたことを。そのせいで警戒されてしまえば、いくら脱出計画を練っても実行は不可能になる。

 監視体制が厳しくなったら、もし誰かが助けに来てくれたとしても、椿の部屋まで辿り着けないかもしれない。それだけは避けたかった。


「……この手は使えないか……」


 次を頼んだとしても、また同じようになる。この手は使えないと、椿は諦めるしか無かった。

 強く噛んだ指から、気付かぬうちに血が滲んでいた。

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