第53話 閉じ込められた椿


 スピーカーから声が聞こえなくなった。いくら椿が呼びかけても返事はない。向こうは話す気がないらしい。

 食事やトイレ、風呂などの生理的な現象はどう処理をすればいいのかと椿が心配したタイミングで、電子音が鳴る。


 その瞬間、壁だと思われていた場所の切れ目が現れた。壊れたのではなく、隠し扉になっていて開いたのだった。


 薄く開いた扉に、椿は罠を疑ったが好奇心には勝てず近寄る。隙間から中を覗くと、そこにはトイレとバスタブがあった。隠し扉にしているのは、おそらく椿が立てこもったりしないためだろう。扉を開閉できるのは犯人だけだ。


 プライバシーはどうなっているのかとげんなりしつつ、入れるだけマシかと椿はいい方向に考える。場所を確認すると安心したのか催してきたので、椿は見張られているのを覚悟しながらトイレを済ませた。

 部屋を出ると自動で扉が閉まり、壁の状態に戻った。表面に触れてみるが、ひっかかりを感じられない。技術の素晴らしさに感動しながら、これから先トイレに行きたい時は申告しなければならないのかとげんなりした。


 次に心配していた食事だが、これもすぐに解決する。

 また別の電子音がして、今度は天井に動きがあった。壁の一部が開き、そこからトレイに載せられた料理が、ワイヤーに繋がれてゆっくりとおりてきた。

 いい香りが部屋に広がり、空腹を訴える音が椿から聞こえ出す。

 トレイはベッドに座っている椿の目線と同じぐらいの高さで止まる。そこには、サンドイッチとコーンスープが並べてあった。簡素に思われそうだが、サンドイッチはボリュームがあり、種類も豊富だった。手間がかなりかかっている。店で売られているものだと、椿の目には映った。


 食事の中に、薬でも仕込まれている可能性があるかもしれない。そう考えて手を出そうとしない椿だったが、トレイは同じ位置で静止し続けている。

 怒って取り上げることもない。そのまま時間が過ぎるうちに、椿の空腹度合いが大きくなっていく。ぐーぐーと鳴るお腹をなだめるが、限界はあった。


 ――どうせ出られないのなら、少しぐらい食べても大丈夫だろうか。

 空腹に耐えられなくなり、椿の脳内に悪魔の囁きが聞こえてくる。お腹が空いたままだと、動くのがおっくうになる。体力も考える力も低下してしまう。


 脱出を試みるために、力をつけておくべき。自分に甘い判断を出した椿は、視界に入れないようにしていたトレイに手を伸ばした。

 そして部屋にあるテーブルに運ぶ。さすがにベッドの上で食べるのは、犯罪者の部屋だとしてもなんとなく嫌だった。


「……いただきます」


 食べ物に罪は無い。

 手を合わせて、椿はサンドイッチを一口食べる。

 薬を感じさせるような、妙な味はしない。美味しいサンドイッチ。厚焼き玉子が挟んでいるものを食べたのだが、出汁のきいた卵焼きとカリカリに焼かれたパンがマッチしていて、椿は目を見開く。


「……おいしい」


 思わずこぼれてしまった声。犯人に聞かれなかっただろうかと、慌てて口を抑えたがスピーカーから声が聞こえてくることは無かった。

 今はもしかしたら見ていないかもしれない。見られていたとしても気にする必要は無い。


 開き直った椿は、食べたことで制御が外れて、一気に他のサンドイッチにも手を付ける。

 それなりにボリュームがあったのにも関わらず、気がつけばスープまで飲み、完食していた。

 空腹が満たされたおかげで、椿はどこか肩の力が抜けた。先ほどまであった警戒心が小さくなり、トレイを元の場所に戻す。


「……ごちそうさまでした」


 言わなくてもいい挨拶を告げる気分になったのは、美味しい食事のせいだった。それぐらいの効力を持っていた。


 しかしトレイを戻した途端、モーター音とともにするすると上がっていく様子を見て、絆されては駄目だと考え直す。

 犯人は自分の一挙一動をカメラ越しに見ていて、そして言葉が確かなら椿を部屋から出す気がない。そんな相手に絆されれば、人生が終わる。大袈裟ではなく、椿はそう感じた。


 とりあえずの欲が満たされれば、後は自由時間といったことになる。

 部屋の中にある娯楽といえば、備え付けの本棚にある小説か、別の棚に入っているジグソーパズルぐらいだった。

 どちらも時間を潰すのにはいいかもしれないが、ずっとそれしか出来なければ発狂すること間違いなしだ。


「本当に、ここから出さないつもり?」


 機嫌を窺うように設備を整えられても、しかもかなり資金が使われたものだとしても、椿の心がなびくことは無い。むしろ用意周到な点で、どれほど前から自分を狙っていたのだとマイナス評価だった。

 合意なき行為。それは千紘も当てはまっていたが、彼と今回とでは決定的に椿の中で違いがあった。だからこそ、今回の犯人には強い怒りしか抱いていない。


 心を壊すことなく部屋から脱出して、千紘の元に帰るのだという決意をした椿は、ようやく気がついた監視カメラに向かって鋭い視線を向ける。

 相手を逆上させたとしても仕方ない。これは椿なりの宣戦布告だった。

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