第50話 千歳の気持ち
それからは和やかな会話が続き、声が荒げられることは一度も無かった。
あれほど怒っていた母親達は憑き物が落ちたかのように、穏やかな表情で帰っていった。
「前向きに考えましょう」
「ちゃんと対策をしなきゃね」
すぐには変わらないとしても、いい方向に向かっていくと期待できる言葉を残して。存在感の薄かった父親達は、安心させるように頷いた。尻に敷かれているため、すぐに味方できなかったのを申し訳なさそうにしながらも。
料亭には、椿と千紘、そして千歳が残った。
彼等を残したのは気を遣ったのと、親同士で行う話し合いのためだ。これからのことをどうするか、綿密な話が必要になる。
一日貸切にしているから、時間はたっぷり残されていた。
親が出て行くと、まっさきに千紘が動く。
「助かった。ありがとう」
千歳がいなければ、親への説得は無理だった。自身の情けなさを痛感しながら、素直にお礼を言う。
「俺からも、ありがとう」
頭を下げる千紘の隣で、椿も感謝の言葉を口にする。千歳のおかげで、2人の関係を認めてもらえた。
「別にそこまで感謝されるほどのことはしてないよ。母さん達も引くに引けない様子だったから、俺のタイミングが良かっただけ。俺がいなくても、いずれは2人を認めていたはずだって」
「いや、千紘のおかげだ。それに、椿の相談を乗ってくれた。いくら感謝しても足りない」
感謝をなかなか受け取ろうとしない千歳に、千紘がさらに言葉を重ねると、千歳は小さく息を吐いた。
「千紘兄ちゃんのためっていうより、辛い思いをさせた分、椿には幸せになってもらいたいから。これは償いでもあるんだ。俺が傷つけた椿への」
「千歳……」
その表情を見て、まだ彼は椿が好きなのだと千紘は気がついてしまった。椿について話す時、それほど甘さを含んでいた。
千歳は自覚するのが遅すぎたけど、千紘よりも先に椿を好きになっていた。
その気持ちを傍で見ていた千紘は知っていたが、自覚させようとはしなかった。むしろ積極的に邪魔をした。ライバルになれば、勝ち目がないと分かっていたからだ。椿が誰を好きだなんて、どんなに鈍くても伝わってくる。
もしも千紘が恋路の邪魔をしていなかったら、椿の隣にいたのは確実に千歳だった。
弟の恋を成就させなかった罪悪感で、胸がしめつけられるほどの苦しみが襲いかかってくる。自分で選びとった道でも、誰かを不幸にしたかったわけではないからだ。
「俺は椿が幸せなら、それで十分だから。気にしないで。千紘兄ちゃんは申し訳ないとか、そういうのを考えなくていいよ」
それとなく邪魔されていたのも、自分に罪悪感を抱いているのも、全て千歳は分かっていた。
それを責めることも出来たが、結局はしなかった。
いくら妨害があったとはいえ、行動したのは自身だった。責めたとしても、椿の心は変えられないと分かっているから。
彼は祝福を選んだ。
「あ、ちゃんと式には呼んでね。気まずいからって、勝手に仲間外れにしたら、その時は許さないよ。いいね?」
千歳は気持ちを押し殺して、あえて明るく笑う。
今は辛く悲しみを訴えている心が、時が経てば思い出になればいいと、吹っ切るためにも笑った。
「もちろん招待する。千歳にはぜひ来てもらいたい。そうだ。婚姻届を出す時は、千歳も保証人になってほしい。……なってくれるよね?」
「……うん、もちろんだよ」
空元気を察していた椿だったが、同情した対応をとる方が失礼だと、ふっきれさせるための後押しをした。
「椿、少しだけ千紘兄ちゃんと2人っきりにしてもらってもいい?」
「え、あ、分かった。それじゃあ、ちょっと庭を見てくるね」
「ありがとう」
突然、千紘と2人っきりにしてほしいと言われて戸惑ったが、素直に願いを聞く。
兄弟でしか出来ない話をするだろうと、悪いことにはならないだろうと信用した。
庭を見てくると言って彼が部屋を出ると、千歳は千紘に視線を向ける。射抜くような鋭さに、千紘は両手をあげた。
「一発殴ってもいい。いや、何発でも受け入れる」
それほどのことをしたと、千紘は殴られる覚悟をしていた。椿を手に入れたのだから、甘んじて受け入れる覚悟だった。殴りやすいように顔まで寄せて、千歳に殴られるのを待っていた。
千歳は、拳を強く握った。
血管が浮き出るほどの力だったが、殴らずに手を開く。
「……殴らない。殴っても手が痛くなるだけだから……それでスッキリされてもムカつく」
「そうか……」
千紘は謝ろうと口を開いたが、言葉には出来なかった。千歳の目が、謝罪を受け入れないと忠告していたからだ。
「椿は、俺の全てをかけて幸せにする」
その代わりに、椿を幸せにすると誓った。
「当然。今回は椿のために身を引くけど、もし悲しませるようなことがあれば、その時は……後は言わなくても分かるよね」
「ああ、肝に銘じておく」
「椿のことよろしくね」
「任せてくれ」
力強く頷く千紘に、きっと自分の出る幕は二度と無いと千歳は確信した。
「そうだ。ついでに言っておきたいことがあるんだけど――」
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