第40話 話してみる
店の入口に立ったまま、千歳は動こうとしない。
入っていいのか、椿に近づいていいのか分からないといった様子だった。
このままだとずっと動かなそうなので、椿が助け舟を出す。
「ほら、ここに座ればいいよ」
「……うん」
ポンポンと自分の隣席を軽く叩き、座るように促す。
千歳は険しい表情を崩さず、ぎこちなく中へと入ってきた。そして、カウンターに座っている椿の隣席に腰を下ろす。できる限り距離をとってだ。
椿のためか、自分のためか。どちらにしても、彼の行動で椿は少しだけ傷ついた。
烏森は気を遣って気配を消した。それでも素早く対応ができるように、この場からは離れなかった。空間に溶け込み、最小限に動いている。
席に座ってから、目を合わせようとしない千歳に、これでは集まった意味が無いと考えて椿から話しかける。
「元気にしてた?」
ただ話しかけた。それ以外のことはしていない。しかし千歳は大げさに肩を震わせる。
「別に取って食べたりしないよ。怯えられると話しづらい」
「ご、ごめん」
少しでも怯えなくさせようと、何もしないアピールをしたが千歳の態度は変わらなかった。椿の一挙一動を伺っている。
椿は烏森に助けを求めたくなる衝動を我慢し、体ごと千歳の方を向く。そして驚いているのを無視して、手を掴んだ。
突然の行動だったが、その手つきはあくまでも慎重である。逃げられてしまったら元も子もない。
驚いてはいても振り払われないのを確認すると、ゆっくりと頭を下げた。
「色々とごめん」
「え?」
まさか謝罪されるとは思わなかった千歳は困惑する。
謝るとしたら自分の方だ。椿は悪くない。
その衝撃で、怯えがどこかへ吹っ飛んだ。重なっている手の上に、彼は自分の手をさらに重ねた。
「椿は何も悪くないよ。謝るのは俺だから。……消えろなんて、酷いこと言ってごめんなさい」
椿に頭を下げた千歳は、ようやく謝れたと少し肩の荷がおりた。ずっとずっと後悔していたので、椿が本当に姿を消したせいで直接言えなかった。
許されたわけではないから、まだ楽になるのは早いと分かっていたが、それでも気持ちが落ち着いた。
「……もう、消えろって思ってない?」
「最初から思ってない。あの時は……頭に血がのぼって。訳が分からないまま酷いことを言った。本当にごめん」
「本音じゃなかったならいいよ。本気で消えろって思われていたらどうしようって、そんなに嫌われていたのかって悲しかったけど……違うなら良かった」
椿は当てこすりではなく、本当に心から良かったと胸を撫で下ろす。その姿に、千歳は自分がどれほど愚かなことをしたのか再確認する。
こんなふうに無邪気に笑う椿を邪険に思っていたのが、自分のことながら信じられなかった。
千歳はあの時、ただ焦っていた。千紘という存在が現れたせいで、冷静にものを考えられないほどに焦っていたのだ。
千紘は、千歳にとって憧れの兄であり、それと同時に絶対に追いつけない存在だった。
何をしても兄には勝てない。
千歳も決して駄目だったわけではないのに、千紘が規格外すぎて素晴らしさが埋もれてしまった。
千歳はそれに反発することも出来た。自分の才能を開花させて、千紘よりも優れた部分を見つけられる道も存在した。
しかし千歳は、諦めて楽な道を選んだ。千紘に敵うわけないと、自分の才能を押しとどめてしまった。
程々に要領よく生きていく。それは、とても簡単だった。器用な千歳は、上手く自分の位置を確定させていった。
心はどこか冷えきっていたが。
そんな千歳が、唯一千紘に勝っていると確信していることがあった。それは椿から受ける感情の多さだ。
家同士が仲が良かったため、椿とは幼い頃に引き合わされた。
幼い椿は、まだ体が小さく引っ込み思案でもあった。初めて会った時も、両親の後ろに隠れてずっと出てこず、完全に人見知りをしていた。
「こんにちは!」
そんな椿を見て、幼い千歳は諦めることなく後ろに回り込んで話しかけた。まさか話しかけてくるとは思わなかった椿は、ぴゃっと驚いて逃げた。
それで怯む千歳ではなく、逃げる椿の姿が面白くて追いかけながら更に話しかけた。
「ぼく、ちとせ! きみのなまえは?」
どんなに逃げても、ずっと追いかけてくる千歳に椿は恐怖する。大人達は子供のじゃれあいが微笑ましく映り、助けてくれる気配がなかった。椿の両親は、あえて助けようとはしなかった。
椿が引っ込み思案で人見知りばかりしているので、このままだとずっと友達が出来ないと心配していた。それが少しでも治るならばと、しばらく見守ることにした。
千紘は2人の様子を見ていて、椿が困っていると千歳をたしなめようとした。小さい子が困っているのだから助けてあげなくてはと、声をかける寸前、千歳がとうとう椿を捕まえた。
抱きついた千歳は、ぷるぷると震えている椿の頭を優しく撫でる。
「だいじょうぶ。こわくないから。ともだちになろう?」
傍で見ていた千紘は、椿の変化を間近で見ていた。怯えが無くなり、潤んだ目をしながらもふにゃりと笑った椿の顔を。
「……うん」
その瞬間、千紘は恋に落ちた。
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