第39話 再会
「さすがに早すぎたな」
椿が千歳と待ち合わせをしているのは、『純喫茶ろまん』だった。
烏森に元気な姿を見せて謝罪したいのと、千歳とする話はかなりデリケートなものになるので、他人に聞かれたくないという理由からだ。さらに、何かあった時に烏森がいてくれると椿は安心できた。
太一を通さず、椿は烏森に直接頼んでおいた。
椿のことは色々と聞いていたみたいで、連絡を取ると初めはかなり叱られた。
心配をかけてしまった椿は、自分が全て悪いと説教を大人しく聞いた。
それだけ気にかけてくれる証拠であるから、同時に嬉しさも噛みしめた。
電話でのやり取りだったが、千歳と話し合いしたいから店を使ってもいいかどうか聞くと、すぐに許可が出た。
『東雲君のために、温かい飲み物を淹れて待っていますね』
その言葉は、怒られるよりも椿に響く。
「……はい、楽しみにしています。ごめんなさい」
自分が捨てようとしたのは、こういう小さな優しさだった。
突然消えてしまったことへの罪悪感を、椿はひしひしと心に受けた。
そういった経緯もあり、烏森に会うのも含めて緊張していた。
前までは何度も通った道であるのに、しばらく来なかっただけで知らない場所のように見えた。
時間に余裕があるからゆっくり歩こうとしていたが、気がつけば店の前だった。自然と早足になっていたせいだ。
店内に客がいれば、他のところで時間を潰してから行こう。そんな椿の考えをあらかじめ読んでいたかのように、『本日貸切』の看板が立てかけられていた。
まさかここまで気を遣ってくれたとは、店の営業に支障をきたしている。簡単に頼ってしまった代償が大きいと、椿は申し訳ない気持ちでしばらく動けなかった。
貸切にしてもらったのなら、もう仕方ない。せっかくの厚意を無駄にしていられないので、ぼんやりとするのを止めて恐る恐る扉を開けた。
ゆっくりと開けたつもりでも、扉についたベルが鳴る。椿は風に運ばれてコーヒーの香りがして、思わず泣いてしまいそうになった。
ベルの音を耳にして、奥から烏森が現れた。
一瞬驚いた顔をしたが、すぐに優しく微笑む。
「東雲君」
名前を呼ぶだけでなく、もっと他に言いたいことが烏森にはあった。
太一の話でしか椿のことを知ることが出来ない中で、行方不明になったり、栄養失調で倒れたりしたのを聞き、命に別状がなかったと言われても不安だった。
そういったことを尋ねようとしたが、久しぶりに見た椿の姿に何も言えなくなった。
多少やつれてはいても、死にそうなほど酷い様子ではない。
順調に回復しているならば、詰め寄って負担をかけるのは避けるべきだと考えた。
しかし椿は名前を呼んだ声から、中に含まれているたくさんの気持ちを受け取った。
椿もたくさん言いたいことがあった。謝る時はこれを言っておこうと、シミュレーションをしていた。それは言葉にならなかったが。
「か、烏森さん」
彼に駆け寄り、椿は抱きつく。両親にも見せられなかった溜まったものが、一気に解放された。
子供みたいに必死にすがり、相手の服が濡れるのを考える余裕もなく顔を押し付ける。ぐりぐりと涙やら鼻水やらがつくのを構わず、烏森は椿の好きなようにさせる。
優しく背中をさする手に、椿の涙腺は一気に崩壊した。
♢♢♢
「お見苦しいところを……すみません。クリーニング代は払います」
大号泣した椿は、開けられないほど目を腫らして謝る。
「お気になさらないでください。洗濯すれば落ちますから」
涙と鼻水でカピカピになった服を着替えた烏森は、冷えたタオルを渡した。
「どうぞ、目に当てて冷やしてください」
「ありがとうございます」
お礼を言ってタオルを目に当てた椿は、気持ち良さに風呂に入った時のような声を出す。
烏森はくすっと聞こえないぐらいかすかに笑うと、コーヒー豆を挽く。ゴリゴリと豆が砕かれる音を聞きながら、椿は口を開いた。
「……電話でも言いましたが、今日話をする相手は前に店に来たことがあります。覚えていますか?」
「老いてはいますが、まだ記憶力はしっかりしているので覚えていますよ。それに、随分と印象に残る方でしたから」
「詳しく聞きませんでしたけど、もしかして何か仕出かしましたか?」
「いいえ。必死でしたが、なにかしてくることはありまえんでした。東雲君から話を聞いていたので、こちらの態度が悪かったかもしれません」
タオルをとろうとすると止められたので、視界を塞いだまま話が続けられる。
「初めから良くない印象を抱いていたせいで、色眼鏡で見た可能性があります。こうして思い返してみますと、もう少し落ち着いて話を聞くべきでした」
烏森は、当時の千歳の様子を思い出す。
店に入ってきて、まっさきに椿がどこにいるのかと叫んだ。怒っていたが、それ以上に焦りと悲しみの感情が大きかった。
椿のためを思い、烏森はさっさと帰らせた。しかし、もっと相手の話を聞くべきだったと後悔している。
「何かあれば私もいますので、東雲君も本気でぶつかって平気ですよ。言いたいことや知りたいことがたくさんあるでしょう」
「……はい、その時はよろしくお願いします」
まだタオルを乗せていたが、ベルの音がしたので店に誰かが入ってきたと椿は気づいた。烏森が追い返さないということは、誰が来たのか分かる。
冷やしたおかげで、ようやく開くようになった目を椿は入口に向けた。そして緊張している相手に笑いかける。
「久しぶり、千歳」
向こうはかたい表情のまま、ほんのかすかに頷いた。
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