第30話 ホテル生活
日本ではなく海外となると、椿もそう簡単に動けない。
パスポートは持っていたが、いつの間に連れていかれたのか。寝ていたとしても、警戒心が無さすぎた。
千紘の言うことが正しければ、椿は現在フランスのパリにいる。窓の外からはエッフェル塔が見えて、外に出られない椿の慰めになった。
観光できるなら、まだ楽しめたかもしれない。学生の身であり、千歳から姿を隠していたので、そうそう海外に行けるはずがなかった。
許されるのであれば外に出たかったが、部屋の扉は椿では開かない。開けられるのは、千紘だけだった。カードが無ければ、内側からも外側からも閉まったままだ。
食事やその他もろもろ必要がある時は、千紘が外に出て調達する。その際、椿はおかしな行動をしないよう、部屋のベッドに手錠で縛られていた。念を入れすぎて、絶対に逃がさないという気持ちが強い。
椿は隙を見つけ何度か逃げ出そうとしたが、その隙が見つからなかった。それほど千紘の徹底ぶりは凄まじい。
「椿は、ここから出ないでくれ。ここにいてくれないと、俺はおかしくなるから。大事なものを守りたいだろう?」
遠回しに脅された時は、その言葉に隠された本気を察して逃げる気力を奪われそうになった。
しかし千紘の言う通り、ずっと部屋に居続けられるわけがない。
自分が消えて、みんなどう思っているのだろう。探してもらえるのだろうか。椿は窓から外を眺めながら、ぼんやりと考える。
親にはどう連絡されているか、ただでさえ心配をかけていたのに行方不明だとなれば、その度合いは大きくなる。そう考えたら、椿は申し訳なさでいっぱいになった。
「太一は……どうしているのかな……」
太一は心配しているのかと、椿は頬杖をついてため息を吐いた。心配してくれればいいけど、そうではなかったら悲しいと胸を痛める。
しかしその悲しみを表に出せば、千紘を怒らせるだけなので考えないようにしていた。
「なあ椿、まさかあいつのことを考えていないよな」
「あいつって、誰のこと?」
千紘が太一の話をしていると分かっても、椿はとぼけたふりをした。そうしないと機嫌を損ねると分かっていた。自身で話題を出したのにも関わらず、太一の話はタブーだった。
「知っているだろ。椿が駆け落ちした、あの陰湿な男だよ。太一って言う、あいつ」
椿は反応せず、ただ千紘の顔を見た。太一の名前に、少しでも表情を変えたくなかった。
「椿は知ることが出来ないから、向こうがどうなっているか教えてやるよ。俺は優しいから。椿も気になっていただろう」
答えなかったが、図星をつかれた。分かりやすい椿の反応に、千紘はおかしくなる。しかし同時に苛立ちも感じていた。まだ太一のことを忘れていないのかと、そんな理不尽とも言える怒りだった。
怒りはまだぶつけない。これから言う話で、椿が絶望すると確信していた。
「椿を探してない。学園で知り合った子と、よろしくやっているみたいだ。探していたと思っていたなら残念だったな」
「……そんな嘘、つかないでください」
嘘だと思いながら、その声はかすれる。自信が無かった。それをきっぱりと嘘だと言える自信が、椿にはなかったのだ。
「嘘だなんて信用がないな。俺はこんな悪趣味な嘘はつかないから」
本人はそう言うが、千紘であればこのぐらいの嘘は簡単につく。その考えが顔に出て、千紘はまだ抗おうとする姿に可哀想で可愛く感じる。
「それなら、証拠を見せてやれば信じるか? どうせ見せられないって思っているだろうけど、残念でした。用意してあるんだよ」
焦った様子もなく笑ってスマホを出す千紘に、本当に証拠があるのかと椿は恐ろしくなる。
耳を塞ぎたくなったが、千紘はその前に目的の画像を見せた。
「ほら、これ椿の大好きな太一君だろう?」
確かに画面に映っているのは、太一だった。他人の空似だとしたら、双子レベルのそっくり具合だった。本人に違いないと椿は判断した。
写真の中に写る太一は、1人ではなかった。その隣では、寄り添うように西井が傍にいて微笑んでいた。その距離は、どう見ても恋人だった。幸せの絶頂にいて、お互いのこと以外は考えられない。
「こんなに可愛らしい恋人がいたら、椿のことを考える時間は無いな。別にこいつと恋人だったわけじゃないんだろう。それなら、探されなくても文句は言えないし、悲しむ理由もない。この太一と椿は、関係性で言えば良くて知り合いなんだから」
信じられない様子でスマホの画面を凝視する椿に、その顔をずっと眺めていた千紘は優しく甘く耳元で囁く。
自然な手つきで肩に手を添えて、するりと撫でる。しかし、椿はそれを気にする余裕が無い。
画面に見るのに夢中で、写真から他に何かを読み取れないか探していた。
「なあ、椿。誰にも探されていないなら、ここ以外に行く場所なんてないよな。出る理由もないだろう。俺は椿にずっといてほしい。望まれている場所にいるのが一番だろ」
千紘の言葉は、悪魔の囁きだった。しかし今の椿にとっては、この上ない救いの言葉に聞こえた。
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