第29話 起きると


「……ん、んぅ……」


 椿はふかふかのベッドで目を覚ます。

 そして、ここはどこかと一気に覚醒した。ベッドから勢いよく起き上がり、辺りを見回す。

 見覚えのない豪華な部屋で、椿は困惑する。ホテルだと分かっても、どうしてここのいるのかが不明だった。


「おれ……どうしたんだっけ……」


 眠る前のことが記憶になく、椿は頭を抱える。一つ一つ思い出していこうと、脳みそをフル回転させた。


「確かメールが来て……」


 送られてきた内容に嬉しくなって、何も考えずに自室を出た。


「……そうだ。太一と……」


 その先は言葉に出来なかった。

 2人が抱き合っているところまで鮮明に思い出してしまい、それを振り払うように勢いよく頭を振った。


「ちゃんと話を聞けば良かった」


 衝動的に飛び出してしまったが、もしかしたら理由があったのかもしれない。言い分を聞いてから判断するべきだったと、椿は反省した。


「ここ、どこだろう?」


 森の中でさまよっていた時に、会った人が連れてきてくれたのだろう。ホテルまで連れてきて保護してくれたらしい。

 自分の置かれている状態を冷静に分析すると、その人に会わなくてはとベッドを抜け出そうとした。


「ぅ」


 しかし急に動いたせいかめまいに襲われて、こめかみを押さえてうめく。

 ちょうどそこで、扉の開く音がした。


「起きたか。急に動いたら駄目だろう」


 くらくらしている中でも、誰の声か気づく。

 冗談ではないかと思いつつ顔を上げた先には、お盆を片手に笑う千紘の姿があった。


「ど、うして?」


 気持ち悪さなどが段々とおさまってきて、椿は千紘に問う。

 全く予想していなかった。椿の中では、一番ありえない人物だった。


「おーおー、随分と驚いた顔をしているな」


 前とは違い、千紘の表情は穏やかだ。

 そこに含まれる甘さを感じて、椿は思わず震える。どうしてそんな顔を向けられるのか。知らないから怖い。


 怯える椿に、千紘は舌なめずりをしそうになる。しかし、さらに怖がらせるのは良くないと我慢した。


「どうしてかって、泣いている椿がいたら連れて帰るのは当然だって」


 当たり前のように自信を持って言うので、椿は自分の方がおかしいのかと思う。

 千歳と決別し、千紘とも連絡をとっていなかった。あの時起こったことを考えれば、椿の反応が合っていた。


「あの、ここはどこですか?」


 まだ会話が成立しているならと、現在どこにいるのか聞く。

 どのぐらいの長さで寝ていたか分からないから、予想をつける術がなかった。


「どこだと思う?」

「……分かるわけないですよ。なんの情報もありませんから。そうやって聞くということは、県は確実にまたいでいそうですね」


 すぐに教えてくれないので、からかわれていると分かり、ため息を吐きそうなのをこらえて答えた。まだ逃げる手段を考えついていない中で、相手の機転を損ねたくなかったのだ。

 椿の答えを聞いて、千紘は耐えきれずに笑う。予想の範囲内な答え。正解を知ったら、どんな顔をするのか想像したら笑えてきた。

 口元を押さえて笑う千紘に、椿は嫌なものを感じた。答えを聞いたら後悔しそうな、そんな気がしてくる。しかし聞かなければ、どうするか計画も立てられない。千紘の笑いがおさまるのを、大人しく待つ。


「まあ、半分正解ってところかな。確かに県はまたいでいるよ。それは間違いない。ただ……」


 そう言いながら、千紘はカーテンの閉まっている窓に歩いていく。

 途中で持っていたお盆をテーブルに置き、両手で勢いよくカーテンをあけた。


 眩しい光が入ってきて、椿は目の前で影を作るために腕を交差させる。しばらくすると目が光に慣れてきたので、千紘が何を見せようとしているのか確認するために腕をおろした。


 豪華なホテルだからか、身長よりも大きい窓ガラスは汚れ一つなかった。その向こうにある景色を、くっきりと鮮明に映している。とても美しく、感動するレベルだった。


「……え」


 しかし椿は感動するどころではない。信じられない思いで、窓の方へと近寄る。足がもつれるが、なんとか転ばずにたどり着いた。指紋がつくのも気にせず、ベタっと窓に手をつけて外を見る。


「うそ……そんな……どうして?」


 窓の外は晴れていて、景色はとても美しいが、そこは明らかに日本とは違かった。建物や空気が海外の雰囲気を醸し出していた。日本ではない。その事実を受け入れられずに、首を横にふるふると振ったがどうすることもできない。


「実は国も跨いでましたー、ってね。どう、驚いた? 嘘じゃない、これは現実だ」


 確信犯の千紘は、椿の背後に立ち彼の手の上に手を重ねる。いわゆる恋人繋ぎのように指を絡められて、椿は身体を震わせた。

 背中にいる千紘の存在が、火傷しそうな程に熱い。はくはくと口を意味無く動かし、椿は小さく息を吐いた。


「気に入ってくれたら嬉しい」


 千紘は椿の怯えを知りながら、あえて追い詰めるように背中にくっつく。その熱から逃げたかったが全く動けず、椿はただただ震えているしかなかった。

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