第23話 距離


 千歳は烏森に対して、椿に会いたいとしか言わなかったらしい。理由を話さなかったので、千歳の名前を知らなかった烏森もおかしいと感じた。そのため椿が働いていたことも言わず、上手く帰した。

 千歳が誰か分かってからは、今度来た時には店に入れずに帰すと息巻いていた。やりすぎないようにと椿は言ったが、聞いたかどうかは怪しいところだった。


「椿、こっち」

「う、うん」

「危ないからこっちを歩け」

「あ、ありがとう」


 このことがあってから、太一がかなり過保護になった。廊下で歩いている時も、人とぶつからないように椿を窓側に寄せて歩かせた。そこまで気にしなくても、椿は思わないでもなかったが好きにさせていた。


「烏森さんから俺に連絡がないけど……もしかして太一の方に来てる?」


 千歳が来たのを教えられてから一週間。何も音沙汰がないのはおかしい。そう考えた椿が質問すれば、太一はぐっと黙り込む。分かりやすい反応に、椿は隠し事が出来ないなと笑った。


「俺に話せないこと? 言わない方がいい?」

「今は、聞かないでくれると……」

「そう、分かった」


 椿は気になったが、烏森と太一がわざわざ知らせたくないならと聞かないことにした。2人を信じた。


「いいのか?」


 まさかそこまで簡単に諦めるとは思わなかった太一は、思わず聞いてしまった。


「うん、信じているから。え? それとも聞いてもらいたかった?」

「いや」

「それなら聞かないよ。困らせたくないし」


 椿の信頼に太一は胸がくすぐったくなる。彼にしては珍しく、自然と口がほころぶ。


「一度、烏森さんとは話しておきたいんだよな。親にも連絡して、そっちとも意思疎通してもらいたいし」


 千歳が千紘を、南津家を動かそうとしたら、烏森の店を潰しかねない。幼稚な行動をとる可能性があるので、椿も忠告しておきたかった。


「どうして、放っておいてくれないのかな。俺は望み通り姿を消した。静かに暮らしたいだけなのに。矛盾していることを、どうして向こうがするんだろう。……何考えているか、全く分からない」


 椿はため息を吐いた。太一には、悪いと分かっていても愚痴を言ってしまう。嫌がらずに聞いてくれるから、かなり甘えていた。


「惜しくなったのかもな」

「惜しくなった? 何を? ああ、もしかして東雲家との繋がり? そうだね。婚約は破棄、さらにこんなことがあれば付き合いも無くなるからなあ。それが惜しくなっても無理ないな。もしかして親にも言われたか? そういうところ、みみっちいから」


 ありえなくもない話だと、椿は呆れて笑った。しかし太一は微妙な顔をしている。


「そうじゃなくて。椿を」

「俺を? ないない。そんなわけないって」

「どうして?」

「俺のことを結婚相手として見られないって言って、しかも消えろとまで言ったんだよ? 惜しいなんて思うわけない。絶対に」


 椿は言い切った。太一はそれでも何か言いたげではあったが、椿は信じないだろうと口を閉ざした。

 椿と一緒にいるにつれて、太一はどんどん彼に惹かれていた。烏森に気持ちがバレたぐらい顕著なものだった。さらには、椿の母親にも気づかれていた。家に行った時に、よろしく頼むと言われたぐらいだ。知らないのは椿だけである。


「俺は、椿と離れたら辛い」

「ど、どうしたの。急に。そう言われると、なんか照れるな。うん、俺も太一と離れたら辛いと思う」


 椿は知らないどころか、太一の気持ちをあおるようなことを言い出す始末。天然で煽るようなことを言うので、彼はわざとやっているのではないかと何度も思ったぐらいだ。しかし本人に悪い感情が全くないから、抑えて我慢していた。


「そうだなあ。太一と結婚出来たら幸せだ。千歳とは幸せになれる気がしなかったけど、太一とは絶対に幸せになれる気がする」


 そんなところに、椿が爆弾発言を落とした。天然発言だとしても、そう簡単には許されないものだった。

 何も考えずにへらへらと笑っている椿の手首を、太一は無言で掴んだ。


「ん? どうした?」


 まだ何も分かっていない椿は、それでもまだ頭にはてなマークを浮かべていた。そのまま簡単に引きずられて、空き教室まで運ばれていった。


「あれ、もうすぐ授業始まるよ。どうした?」


 連れ込まれた後もはてなマークは出たままで、太一を上目遣いに見つめる。それも、太一をあおる結果となった。ぐっと奥歯を噛みしめた彼は、椿の頬を両手で包み込む。そして顔を近づけた。


「た、太一?」


 どんなに距離が近づいても、椿に警戒心はなかった。太一が何かしてくるとは全く思っていなかった。

 信頼しきっている椿を、ぐちゃぐちゃにしてしまおうか。そんな欲が太一の胸をよぎった。

 しかし実行せず、ポスリと胸に頭を乗せた。


「椿のことは、俺がちゃんと守るから」

「う、ん。ありがとう。太一は頼もしいな」


 今はまだ伝えられないと、太一は逃げた。椿を怖がらせたくなかった。そこで逃げられたら、一生後悔すると思っていた。

 いつかは絶対に伝える。そう考えながら、太一は椿を抱きしめる。抱きしめ返される腕が、恋人になるためへの距離のように感じて、彼は大きくため息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る