第22話 近づく気配


 千歳が、自分のことを聞きに烏森を訪ねてきた。

 その話は、椿の精神に大きなダメージを与えた。彼のことを忘れようとしていたからこそ、余計に打撃があった。

 ふらふらと学園長を出たが、直前まで自分が何を話していたのか全く記憶になかった。椿があまりにもショックを受けたので、さすがの美間坂学園長も気を遣った。


「どうしよう。なんで」


 椿は誰もいない廊下を進み、親指を噛んだ。ストレスから来る行動だったが、彼にこんな癖はなかった。大きすぎるストレスに、押しつぶされそうなのを必死に耐えていた。


「消えろって言ったのは、千歳なのに」


 ショックから抜け出してくると、椿の胸を占めたのは怒りだった。烏森に迷惑をかけた千歳への怒り。消えろと言ったくせに、自分の周囲に姿を現した千歳への強い怒り。

 知らせを聞いたが、椿は千歳に会う気は全くなかった。どんな理由があったとしてもだ。


「落ち着け。頭に血がのぼっていたら、周りが見えなくなる。ちゃんと対処方法を考えておかなきゃ」


 千歳はどこまで自分のことを調べているのか。どうして烏森まで行き着いたのか。

 椿の頭には、1人の姿が思い浮かんでいる。その人物とは千紘だ。


「千歳から離れたのに、どうして俺を放っておいてくれないんだよ」


 椿は髪を乱暴にかき乱す。

 気がつけば、寮の自室前にいた。中にはすでに太一がいる。そう考えると、扉を開けて入ることが出来なかった。

 椿の様子がおかしいと、彼はすぐに気がつく。理由を話すまでは絶対に解放しない。そして千歳が関わっているのを知れば、何するか分からなかった。

 どこかで時間を潰そうかとも考えたが、帰りが遅れれば心配するのは目に見えていた。

 どちらにしても心配されるのであれば、きちんと説明しておいた方が誤解されずに済む。


「……ただいま」


 中へ入り帰宅の挨拶をすると、すぐに太一が玄関まで迎えにきた。


「おかえり。……何があった」


 疑問ではなく断定する言い方に、やはりすぐにバレたと椿は苦笑してしまう。隠そうと考えたら拗れていた。自分の選択は間違っていなかったと、太一に手を伸ばした。


「えーっと、まあ。落ち着いて話したいから、荷物置いてからでもいい?」


 待ったをかけて告げれば、椿が帰ってきたばかりだと思い出したのか、太一は大人しく提案を受け入れた。ただ絶対に話してもらうと、逃げないように見張りながらだが。


「それで? 学園長に何を言われた?」


 ソファに座り落ち着いたところで、太一は間を持たせることなく問いかけた。細かいことも見逃さないという圧が凄かった。

 話しづらい雰囲気だが、それほど心配してくれているのだと椿はくすぐったい気持ちになる。しかし真剣に答えなくてはと、顔を引きしめた。


「……千歳が、烏森さんのところに来たらしい」


 それだけで、太一はぶわりと怒りを湧き上がらせた。あまりに大きなものだったから、さすがの椿も驚く。


「そいつは何しに来たの」

「や、それは分からない。俺も驚いて話を聞くどころじゃなくて」

「それで? 椿はどうするつもり?」

「どうするって……そこら辺、まだ考えていないんだよね。放置はまずいかな?」


 千歳が調べようと、この学園まで行き着くのは難しい。事情を知っている両親から漏れる可能性もゼロだ。

 自分からアクションを起こすことなく過ごし、卒業したら千歳や千紘からも逃れられるような場所で、ひっそりと生きていくつもりだった。

 それを椿が正直に話すと、太一は渋い顔をする。


「相手が本気で探したら、ここもいずれバレる」

「本気で探すかなあ。ああ、でも恨んでいたら探すか」


 千歳に恨まれる理由に心当たりは無いが、相手がどう思っているかなんて分かるはずがない。椿は千歳が分からなくなっていた。一緒にいる時間が短い太一の方が、椿にとっては何を考えているのか読み取りやすい。言葉数が少なくてもだ。


「恨みかどうかは分からない。とりあえず聞くべきだ」

「そうだね。烏森さんには、迷惑をかけた謝罪もしなきゃ。口止めしなかったけど、俺のために隠してくれたらしいし……本当にお世話になりっぱなしだな」


 電話をかけるか迷ったが、忙しいかもしれないと考えて、椿はメッセージアプリを起動する。そして手短に謝罪とお礼の言葉を送り、どういう経緯だったのか問いかけた。手が空いていたようで、向こうからすぐに返事があり電話したいと頼まれた。

 椿は太一に許可を得ると、烏森に連絡する。


「もしもし」

『もしもし、東雲君ですか』

「はい」


 久しぶりに聞く烏森の声に、椿は一気に涙腺が緩んだ。しかし泣くと心配をかけてしまうと、何とかこらえる。太一にはバレてしまったが。


「あの、話を聞きました。ご迷惑おかけしてしまったみたいですみません」

『おや。迷惑だなんてとんでもない。これぐらいしか力になれませんので、謝らないでください』

「ありがとうございます。……その、あの店に来たのは俺の婚約者だった人なんです。教えておかなくてすみません。何をしに来たのか言ってました?」

『それがですね。とにかく東雲君に会いたいと、その一点張りで』


 何をいまさらと、椿はスマホを持つ手に力が入った。

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