第18話 保護
ボロボロの椿を見つけたのは、アルバイト帰りの小林だった。
椿は知らず知らずのうちに、喫茶店のある方へと進んでいたのだ。帰巣本能だったのかもしれない。安心できる場所として、そちらへ向かっていた。
小林は、いつもとは違う道を通って帰っていた。普段ならこんなことはしないが、なんとなく気分を変えようと考えた。
歩いていると、前から下を向き肩を震わせている人が近づいているのが見えた。明らかに泣いている様子に、面倒な気配を察知して関わらないようにしかけたが、それが椿と分かれば別だった。なりふり構わず駆け寄り、その顔を覗き込んだ。
小林が気づいた通り、椿は泣いていた。鼻水まで出ていて酷い状態だった。小林を視界に入れても、誰だかすぐに認識しないぐらいボロボロだった。
こんな椿を一人にさせられない。どうすればいいか迷ったが、小林は来た道を戻ることにした。こういう時に頼るには、烏森が適任だと考えたからだ。
「どうぞ中へ入ってください」
住居が上の階にあるタイプの店だから、烏森はいた。自分用にコーヒーを淹れていたところに、小林が鍵のかかっている扉を叩いたので、驚きながらもすぐに鍵を開けた。
小林だけでなく椿も一緒にいるのを知り、そして泣いている姿を見て、なんとなくの事情を察した烏森は中へ招き入れる。
小林に支えられるような体勢だった椿は、足をふらつかせながら中に入った。小林は、ボックス席へ優しく誘導する。
席に座った椿は、何も言わずにテーブルを見ていた。普段の彼だったら、迷惑をかけている状況に恐縮していただろう。しかし今は、何の反応もしない。この様子だけで、椿がいつもとは違うと小林も烏森も分かった。
先ほど、前よりも元気になって帰ったはずなのに。さらに酷い状態で戻ってきた。
烏森は視線で、小林にどうしてこうなったのか聞く。しかし彼も詳しい事情は知らないので、首を横に振った。ただ、原因はその好きな相手が関係しているだろうことは、2人共確信していた。それ以外に、ここまで椿が追い詰められる理由がない。
まだ茫然自失の状態だから、もう少し回復するまで話しかけるのは止めておこう。視線だけでそこまで決めると、小林は椿の隣に腰かけた。烏森はカウンターへと戻る。
話しかけないと決めたが、放置するのも嫌だった小林は、ゆっくりとテーブルに置かれている椿の手に自分の手を重ねた。椿は拒否しなかった。そのことに安心しながら、少しでも自分の体温が慰めになればいいと祈った。
しばらくして、烏森がトレイにカップを3つのせて来た。テーブルに置くと、椿と小林の正面に座る。
カップには温かいカフェモカが入っていた。湯気を立てて、甘い匂いを漂わせている。
嗅覚が刺激された椿は、のろのろと顔を上げた。自分が喫茶店に戻ってきたことも、分かっていない顔。
涙のあとが痛ましくて、小林と烏森は見えないところで拳を握った。彼をここまで追い詰めた原因を、2人は許せなかった。どんな理由があったとしてもだ。
椿はカップに、小林の手がのせられていない手を伸ばし包み込む。温かさが手から伝わり、涙がまたあふれてくる。
本当は泣き止んでほしかったが、無理に止めるのも良くないと、2人は何も言わずに見守った。それでも、椿がアクションを起こしたら、すぐにでも対処できるように構えていた。
温かさを感じていた椿は、ようやくカップを持ち上げて一口飲む。甘くて安心させられる味。
そこでやっと、喫茶店にいるのだと自覚した。
「……すみません」
ずびっと鼻を鳴らしながら、出した第一声が謝罪の言葉。気を遣う椿に、2人は胸が打たれる。
「謝らないでください。ちょうどコーヒーを淹れていたところなので。一緒に飲めて、私も小林君も嬉しいですよ」
「ああ。謝るな」
こんな自分にも優しくしてくれる。千歳に見捨てられた自分を。
椿はどこまでも優しい2人に、頼りすぎていると悲しみを押し殺そうとする。これ以上、2人に迷惑をかけられない。
話を聞いてもらえただけでも幸せなことで、関係の無いのに巻き込めない。優しくされたら、どこまでも自分が甘えてしまうとブレーキをかけた。
へらっと笑った椿は、なんてことないようにアピールするためにひらひらと手を振って話す。
「なんでもないです。ただ、ちょっと転んだだけで。こんな歳になって、泣いていたなんて恥ずかしいですね。2人が心配する理由は無いですから、これを飲んだら帰ります。これ以上、時間を割いてもらうのは申し訳ないです。あ、ちゃんと料金も払いますから」
途中で止めると弱音を零しかねないと、早口で一気にまくし立てた。そのまま実行できなくなる前に、早くここから出なくてはとカップを一気に傾けようとしたが、その前に手首を掴まれる。
掴んだのは小林だった。力はそこまで強くはなかったが、椿の行動を止めるのには十分だった。
視線で離してくれと訴えたが、小林は椿を見つめたまま離さなかった。そして、はっきりとした声で告げる。
「頼ってくれ。受け止めるから」
何故か、椿は抗えなかった。その瞬間、奥へと隠そうとしたものが一気にあふれ出した。
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