第16話 警告


 苦しい。どうして。

 椿の脳内は、その言葉で占めていた。


 胸ぐらを掴まれ、千紘の方へ引き寄せられた。殴られると思った椿は目をつむる。しかし衝撃はなかった。


「さすがに殴らないよ。そこまでする男だと思った?」


 そう言っているが、首を絞める力を緩めない。

 椿はこのまま殺されるのではないかと恐怖した。やると決めたら、躊躇せずに殺す。千紘はそういう男だった。


 苦しんでいる椿の顔を見て、千紘は仄暗い喜びに満ちていた。殺してもいいと思ったぐらいだ。

 しかし殺すのは駄目だと、まだ残っていた理性で踏みとどまる。


「なあ、どうして家に帰ってこないんだ。千歳が寂しがっているのに」


 そんなはずはない。本人から直接邪魔だと言われたのだ。千紘は完全に嘘をついている。しかし、それを言えば千歳と上手くくいっていないのをバラすのと同じだから、椿は我慢した。


「おい、だんまりか」


 無視していたのではなく、考えていただけだった。それなのに、千紘は低い声を出して責めてくる。どうすればいいのかと、椿は叫びたい気分だった。

 面倒ごとに自分を巻き込まないでほしい。そもそも、千紘に責められる謂れはない。

 自覚は無いとしても、ぐちゃぐちゃにした犯人なのだから。


「な、にを言えば満足しますか。何を言ったところで……どうせ俺を責めるんでしょう」


 反抗的な態度をとったら、どうなるか分からなかった。せっかく殺意は消えたのに、また自分の身を危険にしている。


「……たまたま実家に帰っているだけですから。気にしないでください。そのうち戻りますから。千紘さんは、千歳と仲良くしていればいいじゃないですか」


 椿は目を開けて、千紘をしっかりと見た。かき乱されたくなくて、さっさと帰ってほしいという気持ちを全面に出せば、千紘は舌打ちした。その目は完全に据わっている。


「あー、本当にクソ生意気になったな。ちょっと見ないうちに、俺に逆らうようになったか。前まではあんなに、千紘さん千紘さんってうるさかったのに、どういう心境の変化?」


 また大きな舌打ちをして、静かに問いかける。それはまるで出来の悪いペットを見ているかのような態度で、椿が自分に従うのが当たり前だとばかりだ。


「俺だって、もう高校生なんです。違うと思ったら、反抗ぐらいします。自分の意見を言って何が悪いんですか。それに、千歳との問題に千紘さんが首を突っ込む必要はないでしょう。自分達で解決しますから、そっとしておいてくれませんか」


 ここまで来たらとことん言ってやれ、の精神だった。やけくそとも言う。

 しかし実際に思っていることなので、スラスラと言葉が口から出た。


「へえ。俺は関係ないって?」

「……そういうことと捉えてもらって、構いません」


 どこかで、千歳に懐かれている千紘に嫉妬していた。もはや八つ当たりぎみになっていると、冷静になろうとした椿だったが、その前に千紘が動いた。


「あー……本当ムカつく」


 低い声で呟き、椿を自分の方へ引き寄せた。あまりに近い距離に、吐息を唇に感じるぐらいだ。しかし、それを気にしている余裕はなかった。


「俺は、全てぶち壊してやりたい。こんな結婚クソ喰らえって思っている。なんで千歳が結婚するんだ? ありえないだろう」

「……ぶ、らこんもいい加減にしてくださいよ。それなら、もっと早い段階から反対すれば良かったじゃないですか。この話は、前々からあったんでしょう」

「知らなかったんだよ。あっちにいたから。知らされた時には、もう婚約発表済ませた後。……親だからしなかったけど、他人だったら制裁してる。聞いた時は、頭に血が上った。だから、こうしてわざわざ帰国したんだ」

「……ぶち壊すために?」

「そう」


 まさか、最初からよく思われてなかったとは。千歳と距離を置いているから、こうやって怒っているのだと勘違いしていた椿は驚いて声も出ない。

 ぶち壊すぐらい婚約を嫌がっている理由は、千歳が結婚するのをありえないと考えているからだけなのか。他にもあるのではないかと、椿は脳内で探す。

 椿そのものを嫌っていて、だからこそ結婚を認められない。これはありそうだ。千紘が優しくしてくれたのは演技で、ずっと嫌いだった。千紘なら、本心を隠して接することぐらい朝飯前だろう。


 しかし、もっと別の理由がある気がした。

 もしかして千紘は千歳のことを――そこまで考えついたところで、千紘がふっと笑った。

 この状況で笑う意味が分からず、椿はただただ彼の顔を見ていた。


「何も分かっていない顔だな。言っただろう。全部ぶち壊すって。今からそれをするから、せいぜいあがいてみろ。まあ、お互い想いあっているなら、どんな困難でも乗り越えられるさ」


 そう言って、また笑った千紘の顔がさらに近づいた。元々離れていなかった距離だ。そんなことをすれば、どうなるかは明白だった。

 唇に柔らかい感触。キスをされている。すぐに状況を理解したはいいが、椿はパニックになった。


 どうしてこんなことを。胸を押して止めろと訴えたが、相手の力の方が強い。

 何を目的としているのだろう。この行為にも、千紘の策略が及んでいるはず。

 そう考えた椿の耳に、呆然とする声が入ってきた。


「……なに、しているんだよ」


 その声の主は、千歳だった。

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