第12話 嫉妬
千紘が一緒に住むようになり、生活リズムが変わった。変わらざるを得なかった。
全てを千紘中心にするように、千歳が生活しだしたのだ。家にいる時はベッタリで、休みの日も友達と遊ぶよりも千紘を優先した。
自分の時はしてくれなかったことを、千紘に対しては簡単に行ってしまえるのか。椿の気持ちは複雑だった。
それでも千紘のおかげで、千歳が家にいる時間が増えた。おまけだとしても傍にいられて、椿は嬉しかった。アルバイトでどうしても家を出なければいけない時が、名残惜しいぐらいに。
「なあ、椿ってどこで働いてるの?」
アルバイトをしていることは言ったが、どこで何をして働いているかも教えていなかった。千歳にもだ。
だから千紘に聞かれた時も、言いたくなかったので答えに困った。
「……あー、まあ。いいでしょう。教えなくても」
「なんで? 俺は知りたいな」
「言ったら、絶対に来るじゃないですか。そうしたら仕事どころじゃなくなるので」
「えー。椿が格好よく働いているところ見たいのに」
「そういうのが嫌なんです」
「純喫茶ろまん」は椿の逃げ場所になっていた。千歳のことを忘れられる場所。穏やかになれる大事な空間。
そこを千紘に知られれば、必然的に千歳の耳に入る。店に来られてしまったら、空間は壊れて二度と戻らない。いつか手放さなければいけないとしても、先延ばしにしたいと椿は思っていた。
「千歳だって気になるよな?」
「え? あ、うん」
千紘はそこで千歳に言ったが、彼はずっと興味のなさそうな顔をしていた。気になっていないのは、どこから見ても明らかだった。それが分かっているはずなのに、何故か千紘は彼を味方に引き入れようとする。
その様子に、椿は嫌なものを感じた。わざわざ自分を傷つけようとしていると、そう思ってしまった。千紘の底知れなさを感じ、恐怖を覚えた。
「と、とにかく教えません。千紘さん、これからリモート会議するって言っていましたよね。そろそろ時間じゃないですか」
しかし恐怖を感じるのはおかしいと、椿はこの感情はバグだと決めた。憧れの人に対して、怖いと思うわけがないと。
「あ、本当だ。上手く逃げたな。でも、俺は諦めないから。椿がきちんとしたところで働いているのか、知っておくのも身内としての義務だろ」
とりあえず今は追求するのを止めたが、諦めてはいないと宣言して千紘わざわざはゲストルームに向かう。ヒラヒラと手を振る姿に、何とか隠し通せるだろうかと椿は不安になった。本気を出されれば、隠し事なんて一切できない。とにかく、千紘の興味が別に移るのを願うばかりだった。
「ねえ、椿」
「ん?」
そのまま、ぼんやりと千紘のいなくなった部屋を見ていると、千歳が話しかけてきた。こうして2人になれる時間が、最近はすっかり無くなってしまったので、椿は嬉しさを隠しきれず千歳の方を見る。しかし、視界に入った顔は険しい。
「え、と。千歳どうした?」
そんな顔を向けられる原因に心当たりがなく、椿は困惑した。笑みを浮かべていた口元がひきつり、知らず知らずのうちに拳を握っていた。
「あのさあ。椿、千紘兄ちゃんにくっつきすぎじゃない?」
「え?」
どの口が言っているのか。千歳の言葉に、まっさきに椿の頭にそう浮かんだ。くっつきすぎているのは、どう考えても千歳の方だった。本当に兄弟の距離感なのか、疑ってしまいそうになるぐらいに。
椿には兄どころか兄弟がいないので、一般的にどのぐらいの距離感なのか分からなかった。だからこそ、千歳がいくら千紘にベッタリしていてもたしなめることはなかった。
しかし、それほどくっついていないはずの椿に対して、千歳は文句を言ってきた。
「そう、かな。普通に接しているつもりだけど」
「普通? 千紘兄ちゃんに話しかけられるたびに、嬉しそうな顔してたでしょ」
「それは……嫌な顔できないから。愛想良く対応するのは当たり前で」
どんどん追い詰められていき、椿は言い訳のような言葉しか出なかった。
「当たり前? デレデレしてた。千紘兄ちゃんも、椿にばかり話しかけて……」
ふと、千歳はどちらに対して嫉妬をしているのか考えた。嫉妬して怒っているのは明白だが、どちらに対してなのか椿はまだ分からなかった。しかし、なんとなく予想ができていた。期待をするのを諦めたから。
「俺は、別にデレデレしてない。千紘さんも言っていたけど身内になるんだから、仲良くしようとするのは変なことじゃない。どうして、そんなに怒るの」
ようやく反論した椿に、千歳の苛立ちはピークに達する。とんとんと指でテーブルを強く叩き、大きな声を出した。
「だって、千紘兄ちゃんは俺のだからっ。椿はくっつかないでよ。そういうのを見ていると、凄くムカつく」
やはり自分を邪魔者にしていた。
椿は千歳の本音に、悲しみを通り越して納得する。
「とにかく、椿の顔なんてしばらく見たくない。千紘兄ちゃんがいる間は、家に帰っててよ」
ここが家じゃないのだろうか。
実家を帰るべき家と言われ、諦めて椿は弱々しく笑った。
「分かった。……ごめんな、千歳」
何に謝っているのか、彼には分からなかった。
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