第10話 優しさに触れて


「これ、コーヒーですか?」


 椿はカップを覗きながら質問する。出されたのが、椿が知っているコーヒーとは違ったからだ。

 ほぼ真っ黒な液体ではなく、甘い香りがする。

 見た目もコーヒーと言うよりは、


「カフェモカです。コーヒーとココアを合わせたもので、コーヒーが苦手な方でも飲みやすいですよ」

「カフェモカ、ですか」


 ココアみたいだと考えていたところでもそれを読み取ったかのように補足が入る。

 椿も名前だけは聞いたことがあったが、どうせコーヒーだからと頼む候補に入れていなかった。


「小林君から、東雲君は苦いのがあまり好きではないと聞きまして。クリームソーダを飲んでいらっしゃったので、甘さは平気ですよね?」

「はい。わざわざ気を遣ってもらい、ありがとうございます。えっと、いただきます」


 湯気のたつカップを両手で持ち、椿はゆっくりと口をつける。

 ココアが合わさっているとはいえ、飲めるほど平気かはまだ分からない。もしかしたら、カフェモカでさえも苦手な部類に入るかもしれないと、慎重になっていた。

 しかし、一口飲めば美味しいと、すぐに分かった。


「美味しいです」


 大丈夫だろうかと、椿の様子を窺っていた烏森も安心する。やはり駄目だと言われたら、次は何を出そうかと考えていたところだった。


「お口にあって良かったです。まだ時間はありますので、どうぞゆっくりと飲んでください」

「ありがとうございます。本当に美味しいです。もしかしたら普通のココアより、こちらの方が好きかもしれません」


 ただ甘いだけでなく、コーヒーがいいアクセントになっていて、とても飲みやすかった。

 椿はホッと息を吐くと、烏森に笑みを向ける。


「コーヒーだから全部無理だと決めつけて、他の飲み方を試したことがありませんでした。もっと冒険した方が良かったですね。あ、でも烏森さんが淹れてくれたから、こんなに美味しいのかも」


 なんともまあ嬉しいことを言ってくれると、烏森の機嫌が良くなる。


「それなら、また隙間時間に淹れますね」

「あ、そんなつもりではなくて。お金はきちんと払います」

「いえ。東雲君の素直な感想が、とても参考になります。お金はいりません。それに、従業員は一杯サービスしていますから、気に入っていただけたのであれば、どうぞ遠慮なく飲んでください」

「……何から何までありがとうございます」

「こちらこそ、東雲君が来てくれて本当に良かったです」


 温かい飲み物と雰囲気に、リラックスした椿は眠りそうになる、まどろみながら時間を過ごしていると、裏口の扉が開く音がした。

 そこから入ってくるのは業者か従業員だけで、烏森がそちらに行こうとしないので、小林が来たのだと椿は予想する。それは当たっていて、少しすると制服を着た小林が現れた。


「おはようございます」

「……おはよう」

「おはよう、小林君。東雲君の仕事が終わったから、ちょうどカフェモカを淹れたところだけど、君も飲みますか?」

「はい」


 従業員には一杯サービスしているのは事実のようで、烏森は小林にも飲み物を淹れる。彼にもカフェモカのようだ。甘いものが好きなのだろうかと、椿は彼に対する考えを変えた。


「あの、これからよろしくお願いします。迷惑をかけるかもしれませんが、なんとか頑張りますので」


 隣の席に座ったので、椿は話しかける。初めが肝心だと、好印象を抱いてもらうためだ。

 一緒に働くのだから、できる限り仲良くしたいと椿は思っていた。小林に対する好感度は高いので、嫌われたくなかったのだ。


「……ゆっくりでいい」

「はい、ありがとうございます。あ、そうだ。これ、いつでもいいので食べてください」


 椿はまだ残っていた飴を、ポケットから取り出して渡す。この前渡したのとは味が違った。


「ん。……これ」

「へ。あ、ありがとうございます」


 お返しに椿の手のひらに乗ったのは、一口サイズのチョコだった。大袋に入ったもので、椿も小さな頃に食べていた。懐かしいと思いながら眺めていると、じとっとした視線を向けられる。

 何が言いたいのか察して、椿は包みを開ける。そしてチョコを食べた。温度で甘みが広がり、カフェモカを続けて飲めば美味しさで頬が緩む。


「美味しいです。とても合いますね」

「……だろ」

「おやおや。いいものを食べていますね。私にも一ついただけますか?」

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。……懐かしい味です。疲れた時には甘いものですね」


 会って間もないというのに、椿にとってこの場所と人は安心をくれた。昔からの知り合いみたいで、千歳といるよりも穏やかな気持ちになった。しかしそれには見ないふりをした。

 開店時間ギリギリになるまで、椿は店に残っていた。烏森と小林も嫌がらず、椿の好きな飲み物の中にカフェモカがその日入った。

 しかしそれを、千歳に話すほどのことでは無いと言わなかった。彼は、椿がどこで働いているかも知らない。アルバイトをすることしか教えていなかった。聞かれなかったからでもあった。

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