第9話 初バイト


「し、東雲椿です。よろしくお願いします」

「はい、よろしくお願いします。制服、とてもよく似合っていますね」

「本当ですか。ありがとうございます。でも着なれていなくて、これで合っていますよね」

「はい。初めて着たとは思えないぐらい、様になっていて驚きました。小林君もそうですが、最近の子は背が高くて羨ましい」


 マスターの烏森が椿の制服姿を見て、ほっほと特徴のある笑い方をした。その様子に、椿は曾祖父を思い出す。

 田舎に住んでいて、長期休みの時しか会えなかった。しかし、会えば将棋や囲碁を教えてくれた。長い髭をさすりながら快活に笑う。今はもう見られない姿だからこそ、嬉しさと少しの悲しみが胸をよぎった。


「あ、あの。初めてのアルバイトなので、ご迷惑をかけることがあるかもしれませんが、精一杯頑張ります。ご指導のほど、よろしくお願いします」

「誰でも、初めは大変ですからね。失敗を恐れず、何かあればすぐに相談してください。私に話しづらかったら、小林君にでもいいですよ」

「はい。あ、そういえば今日小林さんは?」


 まだ客のいない店内を見渡すが、あの無口な青年の姿はなかった。


「ああ、今日は部活がある日なので遅れてきます」

「部活? え、もしかして高校生なんですか?」

「ええ、そうですよ。東雲君と同い年です」

「同い年」


 椿は小林のことを、大学生とばかり思っていた。そのため同い年と知り驚く。雰囲気が随分と大人びている。


「凄く、頼りになりそうですね」

「はい。誤解されやすい子ですが、とても優しいので、東雲君が来てくれて喜んでいます」

「それならいいですが」

「分かりづらいですが、本当に喜んでいますよ」


 椿が「純喫茶ろまん」のアルバイトになれたのは、小林のおかげだ。彼が烏森に、椿が仕事を探しているのを話したので、スムーズにやり取りができた。小林が紹介したから、そんな理由で面接も免除されたぐらいだ。

 本当にそれでいいのかと椿が確認したところ、小林には見る目があるから大丈夫と言われた。烏森は、かなり彼を信頼している。

 そういった経緯もあり、椿はすでに小林に対して恩を感じていた。今日も会えたら、お礼を言わなくてはと思っていたぐらいだ。そのため、姿が無くて焦った。しかし遅れていると知って、ほっと安心していた。


 椿は烏森に、アルバイトを優先できないと予め話していた。

 学業を疎かにはしたくない。家事も手抜きしたくない。そのため、とりあえずは様子見のために土日しか働けないと正直に伝えた。

 さすがにこんな条件では、雇う意味が無いと言われても仕方なかった。ほとんど戦力にならない。

 しかし烏森は、それを聞いても嫌がることなく微笑んだ。


「学業や、家のことを優先するのは当然です。こちらも無理して働かせたくありませんので、東雲君の生活スタイルにあった働き方にしましょう」


 その言葉に、椿がどれほど救われたことか。わがままを聞いてくれる仕事場に出会えた自身の運の良さに、神様に感謝したぐらいだ。

 こういった経緯もあったが、なんの障害もなく椿の採用は決まった。


「東雲君には、まずは接客を覚えてもらいます。アルバイトは初めてということなので、基礎からみっちり教えていきますね。分からないことがあれば、遠慮なく聞いてください」

「はいっ」


 そこから注文のとり方、メニューの種類やおすすめを聞かれた時の答え方、会計の仕方などを椿は学んだ。めまぐるしい情報量にパンクしかけながら、必死にメモをとって食らいつく様子に、烏森は孫を見ているような気持ちに何度もなった。やはり小林は見る目がある、とも。



「今日はここまでにしていきましょう。明日からは実践です。やはり経験しなければ、慣れていかないこともありますから。緊張すると思いますが、私も小林君もフォローしますので安心してください」

「はい、今日はありがとうございました。明日もよろしくお願いします」

「初めてだから緊張したでしょう。よく頑張りましたね。東雲君は覚えが早くて助かりました」

「そ、そんな、褒めすぎです」


 アルバイト初めてのため、今日はとりあえず教えるだけで、客が来る前に椿の仕事は終わりとなった。褒めて伸ばすタイプのマスターの言葉に、椿は嬉しさと気恥しさで頬を染める。

 高校生にしては擦れていない反応に、仕事も終わったので完全に孫として見ることにした烏森は、椿をカウンターに座らせる。

 そしてコーヒーを淹れ始めた。コーヒーが飲めないというのは客としてきた時に、小林にしか伝えていなかった。

 だからマスターは知らないのだろうと、椿は苦手と厚意を天秤にかけて、後者が下に傾いた。


「開店までまだ時間がありますから。どうぞ。今日の頑張りへのご褒美です」

「あ、ありがとうございます」


 できる限りミルクと砂糖をこっそり入れて、何とか飲み干そう。せっかくの優しさを無下にはしたくないと、椿は覚悟を決めた。

 そんな椿の微妙な顔の変化に気づいている烏森は、フォローすることなく優しく見守っていた。しっかりと見られていたら、砂糖などを入れる隙がない。

 ここまでかとカップを受け取った椿は、目を見開いて驚いた。

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