第8話 アルバイト探し


 まだ、椿のアルバイト先は決まっていなかった。面接で落とされているわけではなく、働きたい場所が決まっていなかったのだ。

 そろそろ本気で見つけなくてはと、さすがに椿も焦っていた。

 面接の前から選んでいる場合ではないと、椿は自身の考えの甘さを痛感した。仮にいい条件があったとしても、そこに必ず受かるとは限らない。とにかくどこかに面接してもらわなくては。


 そう思いながらも、次の休みに椿は例の喫茶店に向かっていた。


「いらっしゃいませ」


 マスターに出迎えられ、椿は前回と同じ席に座る。注文を取りに来たのは、無口な店員だった。


「えっと、クリームソーダと……たまごサンドをお願いします」


 注文を聞いてすぐに戻りそうになった彼に、服の裾を掴んで引き止める。もっといい引き止め方があっただろうと思ったが、やってしまった行動は取り消せない。

 恥ずかしさから顔を真っ赤にさせた椿だったけど、それでも目的を忘れなかった。


「あ、あの。この前、絆創膏ありがとうございました。靴ずれしていたから、本当に助かりました。えっと、これ嫌いじゃなければ……」


 そう言いながら、カバンの中に入れていた飴を取り出して渡す。最近お気に入りのシュワシュワするもので、喫茶店のクリームソーダを思い出して舐めていた。

 食べ物を渡すのは良くないかとも考えたが、簡単なお礼として他に思いつくものがなかった。いらないと言われれば素直に引き下がろうと、震える手を差し出していた。

 店員はしばらく飴を見ていた。椿が腕を下ろそうと諦めかけたところで、手のひらから飴が消えた。


「……どうも」


 去っていく店員を眺めて、椿はぽつりと零す。


「話すんだ」


 当たり前で失礼な考えだが、今まで一度も声を聞いていなかったので、そう思っても無理はなかった。

 無くなった手のひらにくすぐったくなって笑いながら、待っている間に求人雑誌を開いた。


 完全にいいとは言えなくても、ここならというものに印をつけていれば、人の気配を感じた。誰が来たのか見なくても分かったので、急いで雑誌を閉じる。そして邪魔にならないように、テーブルの隅に寄せた。

 そうすると、グラスと皿が置かれる。


「すご」


 クリームソーダは、前回と色が違っていた。シロップの色を変えて、今日は赤とピンクのグラデーションになっている。

 見た瞬間凄いと口にした椿は、皿の上に乗ったたまごサンドにも驚く。タマゴサラダを挟むタイプではなく、厚焼き玉子が挟まっていてかなり分厚い。大きく口を開けて、なんとか食べられそうな厚さだ。

 しかし、とにかく美味しそうである。芳ばしい匂いに、椿はいただきますと手を合わせて一切れとる。ずっしりとした重みと、ギリギリ持てるぐらいの熱に、素早くかぶりついた。


 口にものを入れている時は話さないように幼少期から躾られているので、椿は感動を言葉には出来なかった。カリモチッと焼かれた食パンに、出汁のきいた玉子焼きがよく合う。

 こんなにも美味しい食べ物を、椿は久しぶりに食べた。誰かが作ってくれた料理を、食べるのがとても久しぶりだった。

 作るのが嫌なわけではない。千歳が喜んで食べてくれるのも嬉しい。しかし、人に作ってもらう料理は、また違った。


「美味しい、なあ……」


 思わず涙が出そうになって、指でぬぐった。もったいなくて、ゆっくりと食べ進めていく。ひと口ひと口が小さくなっていき、とうとう手が止まる。

 この時間がずっと続けばいいのにと、食べられなくなったのだ。

 クリームソーダは溶けたら溢れてしまうから、少しずつストローで吸っていく。ずびっと変な音を立てながら飲んでいれば、傍に店員がいた。


「あ、すみません」


 さすがに音を立てすぎてうるさかったかと、椿が慌てて謝れば、ゆっくりと首を振られた。そして、テーブルの上に置かれた求人雑誌を指す。

 何も言ってこないので、椿から話しかける。


「あの、どうしましたか?」

「……バイト」

「えっと、探しているんですけど見つからなくて。いい条件って難しいですよね。選り好みするべきではないって分かっているけど……」


 頬をかいて言い訳を口にしていると、店員がさっさと中に戻っていく。拍子抜けしながら、ずずっとクリームソーダを飲む。

 たまごサンドをいつ食べようかと考えていると、また人の気配が。店員が来たのかと、そちらを見た。そこに立っていたのはマスターだった。


「え、あの。すみません?」

「注意しにきたわけではありませんので、どうぞリラックスしてください」


 怒られるのかと、混乱しながら謝罪すればマスターは目を見開き笑う。穏やかな笑い方に、椿の緊張は抜けた。


「今、小林君から聞いたのですが、アルバイト探しをしているとか」


 小林というのは、無口な店員だろうと椿は頷いた。


「は、はい。そうなんですけど、なかなか見つからなくて」

「それなら、うちの店で働きませんか?」

「え?」

「1人辞めて手が足りなかったので、ちょうど募集しようとしていたところでした。あなたさえよろしければ」

「ほ、本当ですか? ぜ、ぜひお願いしたいです」


 渡りに船だと、椿は勢いのまま頭を上下に振った。

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