第6話 喫茶店で



 コーヒーが飲めないという椿の言葉を聞いた店員は、眉間にしわを寄せた。表情は凶悪な部類に割り振られるぐらいだ。

 店員の険しい顔を見て、コーヒーも頼まないくせに何故喫茶店に入ってきたのだと、責められる覚悟を椿はする。そう怒られても仕方ないと思っていた。

 しかしこういった椿の心配は杞憂で、店員はすっとメニューを指す。


「……くりーむそーだ?」


 その文字を見て言葉に出し、椿は首を傾げる。知らないわけではなかったのに、すぐに何か分からなかった。そして理解すると、照れたように笑う。自身がこれを頼むのかと、気恥しい気持ちもあった。


「……それなら、これをお願いします」


 照れながらされた注文を聞き、店員は頭を小さく下げて、カウンターの中へ戻っていく。ようやく注文できたと、椿はほっと息を吐いた。

 最大関門を突破すれば、あとは待つのみである。緊張がほぐれたので、店内を眺める余裕も出てきた。

 長い年月を感じられる内装は、古いというよりも落ち着く雰囲気で、テーブルなどについている細かな傷も歴史という感じがした。木のテーブルについた傷をなぞり、ふふっと笑う。


 そうやって眺めている間に、いつしか椿の中にあった悲しい気持ちが小さくなっていた。コーヒーの香りが、彼にとってはリラックス効果を発揮したようだ。

 偶然だったが、この店に来て良かった。一人で家に帰っていたら、孤独に耐えられなかったかもしれない。思い出すたびに泣いて、立ち直れなくなっていた可能性もある。そう自覚していた。


 その点、店は静かだが人の気配があり、各々が自由に楽に過ごしていて、穏やかな空気が今の椿には心地よかった。

 確認しようとしたスマホをテーブルに置いて、ぼんやりと窓の外を見る。人が歩いているが、その中に千歳はいない。焦って追いかけてくる存在は、どこにもいなかった。それも当たり前だと、息を吐くように笑った。


 後はぼーっとしていたら、人の気配がしてテーブルにグラスが置かれた。注文した品だ。そちらに視線を向けた椿は、目を見開く。


「わ」


 思わず声も出た。

 クリームソーダが、彼が思っていたものとは違ったからだ。かなりいい意味で。

 まず色が違う。イメージであるような緑一色ではなく、下は濃い緑色で上に行くにつれて青、水色のグラデーションになっている。

 それだけでも綺麗なのだが、さらにコップの縁ギリギリまでアイスクリームが丸い山のように乗っていて、脇にちょこんと置かれたさくらんぼが色のアクセントになっている。

 店内の雰囲気と併せて、写真映えする。そういった見た目だった。

 シュワシュワと、炭酸の粒が動く様子を眺めているだけで時間が潰せるほど綺麗だった。


 これを崩して、食べるのがもったいない。

 触れられず、しばらく眺めていた椿は強い視線を感じた。店員がまだ立ち去っておらず、眉間にしわを寄せて見ていたのだ。

 何かしでかしたのだろうかと固まっていると、すっとクリームソーダを指す。


「あ、えと。いただきます」


 早く飲めというジェスチャーだと受け取り、椿は視線にさらされて気まずい中で、ストローに口をつけた。


「……おいしい」


 はじける炭酸と、甘いシロップがちょうどいい味だった。一緒に運ばれてきたスプーンでアイスをすくい、すぐに口に入れると美味しさが増した。

 見た目だけでなく、味も楽しめる。

 顔がほころび、アイスが溶ける前にと椿は飲み進めていく。色が混ざって、鮮やかな緑に変わったのも楽しい。いつの間にか店員の姿がいなくなっていたのに気づかないほど、夢中になっていた。


 椿は喫茶店に来るのにハードルの高さを感じていたが、こんなに美味しいものがあるならまた来たいと思った。

 すっかり器が空になると、背もたれに寄りかかる。気分は上向き、満足が悲しい気持ちを吹っ飛ばしていた。来て良かったと、偶然に感謝しながら席を立つ。

 その瞬間、スマホが震えた。見ると「千歳」の文字が。電話だったが、せっかくの気分を下げたくないと出なかった。


 レジに行くと、応対したのは無口な店員だった。近寄り難い雰囲気だが、おすすめしてくれたのは彼だ。それはとても美味しかった。

 椿はその人だけに聞こえるように、小さく声をかけた。


「あの、凄く美味しかったです。おすすめしてくれてありがとうございました。また、機会があれば来ます」


 その言葉に店員は驚き、椿を少し見つめる。

 とりあえずお礼は言えたと、会計を済ませて店を出ようとした時、店員がいきなり椿の手を掴んだ。すぐに離れて、そして何事も無かったかのように店員は戻っていく。


「……なんだったんだ?」


 店を出た椿は、突然の行動の意味が分からず困惑していた。しかし手の中に、何かがあるのに気づいた。店員が握ってきた時に渡してきたのだ。

 なんだろうと恐る恐る手を開いた椿は、そこに絆創膏があって驚いた。


「え」


 靴ずれしていることは言っていない。それなのにどうして。

 椿は聞きたかったが、店内に戻る勇気がなかった。

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