第4話 見て見ぬふり


 諦めの境地に達してから、椿の心は痛みに鈍くなった。

 どんなに千歳と女子の距離が近くても、いつものことだと辛くならない。笑って見守れるぐらいだ。

 婚約者が他の人、特に女子と仲良くしているのに、文句を言わず放置している。

 そんな椿を、懐が深いと尊敬する人もいた。痩せ我慢しているだけだと馬鹿にする人もいた。

 それ以上に壊れてしまっているのを、彼の近くにいる人は誰も気づかなかった。


 ♢♢♢


「椿、なんか最近冷たい?」


 千歳がそんな椿の変化にようやく気づいたのは、変わってから随分と日にちが経った頃だ。

 どこか一歩引いた様子に、椿に冷たくされているのだと受け取った。全くの見当違いだ。


「冷たい? そうか?」


 距離を置いているのは事実だった。あまり見たくないと、できる限り視界に入れないようにした。

 ここで認めずに否定しすぎると、後ろめたいことがあると白状しているのと同じなので、椿は分かっていないふりをする。


「そんなつもりはなかったけど、千歳が言うなら直すよ」

「う、うん」


 一番いい返答の仕方だと、椿は心の中で自画自賛した。これ以上は追求できず、千歳は勢いがそがれて大人しくなった。


「それなら良かったけど。ああ、もう。椿に避けられているのかもって、疑っちゃった」

「はは、どうしてそう思ったの」

「だって……」


 その先の言葉を、千歳は続けられなかった。後ろめたい気持ちがあったせいだ。

 恋愛対象が女子なのは変わらない。しかし、一緒に過ごしている間に、椿が尽くしてくれるのが申し訳なかった。彼も無理に婚約していると、勘違いしているので余計にだ。

 椿は結婚するための努力をしているのに、自分は好きになる努力を怠っている。さらには女子と遊んだ。有言不実行状態だった。

 それでも今の関係が心地よくて、現状維持でいいかと逃げていた。しかし、ないがしろにしている自覚はあるので、自分に対して怒っていないか心配だった。

 恐れていた答えではなく、求めていたものに近い言葉だったから胸を撫で下ろしていた。


「そうだ。最近、2人で遊んでなかったし、久しぶりにどこかで行く?」

「え、本当に?」


 その提案の、しばらく低かった椿の気持ちが上向く。

 千歳は、新しく出来た友人達と遊ぶのに夢中で、日用品の買い出しなどの外出以外に、椿とどこかに行っていなかった。

 機嫌伺いだったが、椿にはいい効果があった。


「本当本当。来週の日曜はどう? 予定空いてる?」

「平気。空いてる」

「それなら決まりだね。どこ行こうか。ああ、椿が好きな映画のシリーズ、来週まで公開してたよね。まだ観ていないなら、映画館に行く?」


 椿の好きな映画シリーズ最新作は、確かに公開中だ。観にいきたいと考えていたが、相手がおらず困っていた。

 千歳がそれを覚えていて、誘ってくれた。その事実だけで、胸いっぱいに椿はなる。


「行きたい。千歳と行きたい」


 幸せを噛みしめながら頷く椿を、千歳は一瞬可愛いと感じた。こういう表情が見られるならば、気まぐれでも誘って良かったと。

 それはまだ、友愛から来るものだった。


「楽しみだね」

「うん。楽しみ」


 しかし笑い会う姿は、幸せという言葉が似合っていた。



 ♢♢♢



「デート気分を味わうために、待ち合わせしよう」


 千歳のさらなる気まぐれな提案で、一緒に家を出るのではなく駅前で待ちあわせることになった。


 椿は、ここ最近感じていなかった喜びに胸をときめかせていた。準備をしている間ずっと、顔が緩み、この日のために新しい服を買ったぐらいだ。

 少しでも意識してもらえるように、そんないじらしいことを考えていた。


 待ち合わせ前に会ったらつまらないので、出る時間はずらしている。椿は後から出る予定だ。

 家の中でも、鉢合わせしないようにする念の入れようだった。

 千歳が家を出た気配を察知した時は、軽口で彼が言ったとはいえデートするのだと悶えていた。


 朝食がほとんど食べられず、お茶で流し込むように食パン1枚を何とかお腹に入れた。空腹で、鳴ったら恥ずかしい。

 特に今日観る予定の映画はホラーで、静かなシーンがある。そこで空気を台無しにする音を立てたくなかった。


 朝食を終えると、次は身支度を始める。

 購入したのは、最近伸びてきた背を活かすシャツと、細めのパンツの綺麗めコーデ。

 試着した際に、店員から太鼓判を押されたが、変なところは無いかと何度も鏡で確信した。

 口元に、パンのかけらがついていないのをチェックしても、全然安心できない。


 しかし出発予定時刻が近づいていたため、名残惜しくなりながらも家を出た。

 外に出てからも落ち着かない。駅に向かいつつ、建物の窓に反射して映る姿を見たり、忘れ物をしていないかカバンを探ったりと忙しい。


 それでも、ずっと嬉しくてたまらなかった。

 これをきっかけに、さらに恋人らしいことをしたい。

 千歳から提案したのだから、向こうも改善しようとしていると期待した。


 自然と歩くスピードも速くなり、時間の15分ほど前に駅前に着いた。

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