第2話 考えの違い


 ――ありえない。

 その言葉に、椿は呼吸を忘れるぐらい衝撃を受けた。

 笑っている千歳の姿が信じられず、固まったまま動けない。早く何かを言わなくては。

 そう思って、何とか声を振り絞る。


「あ、はは。確かに、信じられないな」


 椿と千歳では、その言葉の意味合いが違った。しかし千歳は気が付かず、一緒になって笑った。


「いくら結婚できる法律ができたとはいえ、まさか自分がそうなるとは思っていなかった。あーあ。俺は普通に女の子と結婚するつもりだったのにな」


 千歳が話すたびに、椿の心が傷つけられていった。もしも彼の傷が見えたとしたら、死ぬかと心配されるぐらい血まみれだ。

 ズキズキと痛むのを抑えて、椿は笑う。

 自分が好意を抱いていても、それと同じ感情を相手が返してくれるとは限らない。そんな当然のことを、彼はどこかで忘れていた。

 嫌われているわけではないとしても、向こうは親愛しか持っていない。事実を突きつけられて、椿は泣く寸前だった。


「まあ、でも」


 そこで、千歳の声色が変わる。明るいものだったので、椿は最後の望みと視線を彼に向けた。


「もう婚約者になったから、椿を好きになれるように努力するよ」


 もしも他の人が言っていれば、馬鹿にするなと椿も怒っていただろう。しかし千歳がそう言ってくれるだけで、椿の胸は高鳴った。


「う、ん。俺も……努力する」


 ――千歳に好きになってもらえるように。

 その日、椿は誓った。彼と結婚するために、どんな努力も惜しまないと。


「それじゃあ、これからよろしくね」

「よろしく」


 涙は流れなかったけど、胸はまだ痛んでいた。



 ♢♢♢



 それから、椿と千歳が婚約したことが発表され、世間が少し騒いだ。家柄が良いのもあったが、まだまだ数の少なかった同性婚だったためだ。

 成人したら籍を入れ、式を挙げる。お披露目パーティーで、たくさんの人に祝福されながらも、椿の不安は消えなかった。


 それから何かが変わったかと言うと、すぐには大きな変化がなかった。

 本来ならばすぐに仲を深めるために同棲、と進みたかったが、まだ2人とも15歳。きちんとした生活を送れるほどの、家事能力が備わっていなかった。

 しかし、これまでのような頻度で会うのは良くないと考えられた。それでは、婚約者としての仲が進展しない。

 そこで、高校入学と同時に住む場所が用意され、生活を共にすると決まった。


 椿は母親に、一通りの家事を仕込まれた。共同生活を送るにあたり、出来ないよりは出来た方が相手の好感度をあげやすい。

 胃袋を掴みなさい、そう言って母親は笑った。

 千歳に美味しいものを食べてもらいたい、自分の料理を美味しいと言ってもらいたい。そのために、椿は特に力を入れて料理を学んだ。努力のかいもあり、誰に振舞っても美味しいと言ってくれるぐらいの腕前になった。


 一人暮らしになっても問題ないぐらいの家事レベルになり、そして椿と千歳が同じ高校に合格したタイミングで、同居生活が始まった。

 用意されたのは、学校から近いマンションの一室だった。セキュリティもしっかりしていて、歩いてすぐのところにスーパーもある。立地がいいので家賃もそれなりだが、両方の家が資金を出してくれたので、椿達に負担はなかった。生活費まで支給されるので、至れり尽くせりの状況だ。

 しかし、椿は落ち着いたらアルバイトを始めようと決めていた。気にしなくていいとは言われても、全て面倒見てもらうのはやはり申しわけない。少しの足しにしかならないにしても、気持ちの問題だった。


 荷物を運び終えて、いざ同居生活の始まりの日、椿は死にそうなぐらい緊張していた。しかし、千歳には全くその様子はなかった。


「友達とのルームシェアって憧れてたんだよね。一人暮らしも魅力的だけど、絶対生活できないから、家事のできる椿がいてくれて良かった」


 椿の脳裏に、ちらりと体のいい家政婦という言葉がよぎった。お互いに協力しあって生活するのでは無いのかと思ったが、それを言って空気が悪くなるのが嫌で飲み込んだ。


 自分が尽くすタイプだと、椿はすぐに自覚する。

 本人が申告していた通り、千歳の家事能力は最低レベルといっても大げさではなかった。とにかく何も出来ない。

 掃除をすれば逆に汚し、料理をすれば消し炭かダークマターを作り出し、洗濯をすれば泡まみれ、食器洗いをすれば必ず何か一つ割る。やればやるほど、逆に後片付けが大変な結果となった。

 ここで根気よく出来るまでやらせれば、そのうち何かしらは人並みレベルになったかもしれない。しかし椿は、自分がした方が早いと先回りして全部一人でやってしまった。

 最初は申し訳なさそうにお礼を言っていた千歳も、段々とその状況が当たり前になっていった。

 自分がやるのが当然になっても、椿は全く不満はなかった。好きになってもらうためなら、何でもすると誓ったから、このぐらいは普通だと。


 同じ家で生活を共にするようになって、しばらく経っても、2人の関係が幼なじみ以上にはならなかった。

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