第九報 受け取られないなら押し付ける

 海歌人セレイネスの女性を助け出してから二日。


 今日もヴァルターは日課を終え、商業組合ロビーで装備確認をしていた。


 幸いにして、彼女の一件以降に救難要請は来ていない。それがイコール何も起きていない、という証拠では無いが。


 毎回ロビーでやっている訳ではないが、時々こうして点検をしていた。自室ではなく人の多い場所でやっているのには訳がある。自分では分からないを他の誰かが気付くかもしれないから。多くの場合はユーディタであるが、時折冒険者から気付かされる事もある。


 彼は遭難した冒険者を助けるが、彼もまた冒険者に助けられているのだ。


 救助人ヘルトゥーフに知識や情報を共有しておけば、自身が助かる可能性が高まる。ヴァルターに対して情報を出し惜しむ理由など、冒険者には存在しないのだ。


 まずはリュックサック、続いて応急処置用の道具と各種解毒薬。続いて、幸いにしてあまり使用する機会が無かった砕氷斧ピッケル鉄爪靴アイゼン。傷が目立った魔獣除けの魔石具は、その覆い部分を交換する。魔石カンテラには特に異常なし、魔石交換だけで問題なさそうだ。


「それ、内部の魔石固定具が緩んでいるわ。交換しておいた方が良くないかしら?」

「貴女は」


 いつの間にか向かいに座っていた女性。ヴァルターは彼女の事をよく知っていた。


「お身体はもう良いのですか、リジノーラさん」

「ええ、おかげさまで」


 海歌人セレイネスの女性、リジノーラは柔らかに微笑んだ。


 そう、彼女は先日ヴァルターが救助した女性だ。病院で二日休み、ようやく退院してきたのである。


「お礼が言いたくて。この時間にはここにいるって聞いて来たのよ」

「救助が俺の仕事ですから」


 リジノーラを一瞥し、ヴァルターは点検作業に戻る。彼女から助言された留め具を確認すると、その通りに緩みがあった。部品を取り外し、新品を取り付ける。


「そう、流石は専門家プロね」


 リジノーラは、ふふっ、と笑う。


 救助人は商業組合から給料を受け取っている。十分生活できる額だが、救助件数によって特別な報酬も支払われる。


 だが、救助人という仕事は命がけ。行きは兎も角、帰りは自分と同質量の大きな荷物を持って帰る必要があるのだから。単に冒険をするよりも、ずっと難易度も危険性も高いのだ。


 だからこそ、謝礼を求める救助人が大半なのである。そして、冒険者は法外な額でなければそれに応じるのが常識だ。そんな中で、ヴァルターの姿勢は少し異質である。冒険者側が支払うと言っているのに、その全てを断っているのだから。


「じゃあ、勝手にしようかしら」


 作業の手を止めないヴァルターの事を置いて、リジノーラは席を立つ。彼女は受付のリティに一言挨拶をして、そのまま組合を出て行った。その背を一瞥して、ヴァルターは自身の作業を継続する。


 魔獣除けの鋼鉄くいを一本一本確認。多少の曲がりが生じている物がいくつかある、そろそろ替え時だろうか。緊急時用のテントツェルトには、擦り切れが見える。破れてはいないが、念のため買い換えておこう。


 ロープはもうダメだ。以前の山岳救助の際に、岩場で擦れて摩耗していたようだ。気付かずに同じ救助を行っていたら無事では済まなかった、幸運である。と同時に、自身の未熟さも実感する。


 点検する用具は毎日変えている。場所と状況によって様々な物が必要になるので、その数も多いのだ。全てを毎日確認していては日が暮れてしまうし、集中が続かない。


 適度に休憩しつつ、出来る範囲の作業をしているのである。


「良かった、まだいたわね」


 がさがさと紙が擦れる音を伴って、先程出て行った人物が戻ってきた。


 上が開いた四角柱状の、取っ手の無い茶色の紙袋を机の上に置く。中身はそれなりに質量があるようで、紙袋はしゃんと自立したままだ。


「まだ何か用ですか、リジノーラさん」

「い~え、ここで食事をしようと思っただけよ」


 紙袋から厚紙で作られた箱を取り出した。おおよそ中指程度の高さがあり、手のひらよりも少し大きい。それが四つ、紙袋に入っていた。


 開けた箱には牛肉を塊のまま直火で焼いた物の薄切りや新鮮な野菜のサラダ。もう一つの箱には、炊かれた米が詰められていた。


健啖けんたんですね」


 リジノーラは一部の特徴的な部分を除けば細身だ。四つ箱があるという事は、残りの二つの中身も同じような物だと想像できる。これだけの量を食べるのは少々以外である。


 だが。


「買う数を間違ってしまったわ~。こんなに食べられない、どうしようかしら~?」


 頬に手を当て、随分とわざとらしくリジノーラは言う。考えるような表情をしておきながら、その目はしっかりとヴァルターに向いていた。


「礼は不要と言ったはずですが」

「お礼?何のことかしら?間違って買ってしまった物を食べてほしいだけよ~?」


 どうやら、こうしたやり取りはリジノーラの方が上手うわてなようだ。一つ息を吐き、ヴァルターは廃品処理する礼を受け取る事にした。


「ところで、貴女はなぜあの場所に?」


 食事を運ぶヴァルターの手は速い。いつ救助要請が来るか分からない事から、早食いが習慣クセとなってしまったのだ。


「うふふ、なぜだと思う?」


 サラダを口に運び、リジノーラは質問を問いで返す。ヴァルターは少し面倒臭そうにしつつ、黙った。機嫌を損ねてしまった事に少し笑いつつ、リジノーラは解答を始める。


「私は地質と海洋を調べている、そうね、学者、って言い方が正しいかしら」

「なるほど、道理で。冒険者と考えると違和感がありました」


 水が多く、道が狭いあの場所で軽装なのは特におかしくは無い。だが、彼女が海歌人セレイネスといえど、あまりにも荷物が少なかった。日帰りを考えていたとするには、奥へ進み過ぎていた。


「熱中してたら、いつの間にか奥へ行きすぎちゃって」


 先程までの人を翻弄するような感じは消え、無邪気な子供の顔で舌を出す。学者としては、興味を持った事に対して意識が集中してしまうのだろう。流石に死の領域デスゾーンでそれをやるのは、命知らずもいい所だが。


「あの場所にはもう近付かないから安心して、ね?」

「当然です。海の底で遭難したら救助は不可能なのでお気を付けを」

「あらら、手厳しい。海歌人として無理しちゃいそうだから肝に銘じておくわ」


 リジノーラはくすくすと笑う。

 瞬く間に食事を終えたヴァルターは、点検を終えた装備を手に席を立つ。海歌人の残念そうな溜め息が、彼の背中に投げかけられたのだった。

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