第七報 自然は迷宮、迷宮は死地なり

 海岸洞穴どうけつ


 アーベンリズン北部の超遠浅の海岸。その各所で、冒険者を呑み込まんと口を開けている洞窟の事である。その外見は、珊瑚や貝類がへばり付いた巨大な岩礁の如く。大昔から水と風に浸食され続けた、無軌道な迷宮だ。


 内部は非常に複雑にして、正道せいどうを選ぶ事は難解。いや、そもそも正解があるのかどうかも判然としない。通路、と呼んでいいものかは分からないが、人が通れる場所はある。しかし右に左に曲がっている事が多く、更に上下にもが生じている。


 その様はまさに、海原に生じる荒波だ。だからこそ、内部へ進入した冒険者は自身の現在地感覚を喪失する。入った場所から、どの程度奥に進んでいるのか。幾つの分岐を曲がったのか、東西南北のどちらへ進んでいるのか。


 坂を下っているのか、それとも登っているのか。そもそも、いま自分はどの程度の高度深度にいるのか。


 奥へと進めば進むほど、その全てが怪しくなる。外を見る事が出来ない洞窟の中であるからこその脅威なのだ。


 そして、この洞窟にも魔獣は生息している。襲われて我武者羅がむしゃらに逃げたらどうなるかなど、分かり切った事だ。だからこそ、自然が作り出した迷宮へ挑む者には十分な実力を要するのである。


 ヴァルターは遭難者の情報を今一度思い出す。


 要救助者は女性、年齢は三十手前。


 背中まで伸びた波がかった髪形で、髪の色は薄青。瞳の色は薄紫で、左耳に巻貝を模した白い耳飾りイヤリングを付けている。


 出る所はしっかり出ていて、引っ込む所はちゃんと引っ込んでいる女性らしい体形。身長はヴァルターより三十センチ低いくらい。


 上はバックレスドレスのように背の部分が開いた服。それぞれの肩から逆の脇腹に掛けて、背中で布が交差している。身体の前面の布には優美なひだドレープを有する。色は白と薄青で、上から下に掛けて階調グラデーションとなっている。


 下は膝下丈で薄青のキュロットスカート。こちらにも自然なひだドレープがある。


 足元は、爪先に覆いのある黒の編み上げサンダルだ。


 特徴的な髪色と服装、見間違える事など無いだろう。問題は発見できるかどうか、である。


 ブローチによる救難要請は、ほぼ正確に位置の特定が可能だ。だが、高度深度はどうしても不正確になりやすい。これが感知装置の限界なのだ。ゆえに救助人は、救難要請が発された場所の地形も考慮して捜索に向かうのである。


 ヴァルターが向かっている海岸洞穴は、その最たる場所の一つと言って良い。


 道は無軌道に枝分かれして、立体的に交差する。大きく沈み込んだと思ったら、螺旋状に上昇している。一部の箇所は水没していたり、崩落していたり。浸食された岩石の塊だからこそ、危険性も高いのである。


 そんな場所に冒険者は入り込む。家一軒が容易に買える額で売れる、大珊瑚さんご硬玉翡翠真珠を求めて。


 今回の要救助者も、そのために洞穴へと入ったのだろうか。それを確かめるには、ヴァルターが彼女を助け出すしか無いのである。


 彼は立ち向かう環境によって装備を変える。


 平原や丘陵地帯では、動きやすさを重視して半袖。森林地帯では、枝による擦過傷さっかしょうや虫を避けるために長袖。そして今回の海岸洞穴では、上は黒のインナーのみ、下はいつものズボン。ブーツと手袋はそのままだ。


 リュックサックの中身はいつもより少ない。


 食料と魔獣除け、魔石カンテラ、替えの赤の魔石。リュックサックを覆う防水カバーと潜水用の眼鏡ゴーグルも一応詰めておく。洞内でテントを設営する事は出来ないため、今回は留守番だ。


 何よりも洞穴内は狭い場所が多い。リュックサックを満載にすると通り抜けられない可能性があるのだ。


 適宜てきぎ適切に、臨機応変に。環境と状況に合わせるのは、冒険者にとっても救助人にとっても重要な事だ。






 洞穴内へと足を踏み入れた。外の光は入らず、だがぼんやりと緑の光が見える。内部に生息するこけの一種が発光しているのである。だがカンテラの様な明るさは無い、万が一の時に助けになるかならないか、程度だ。


 リュックサックに吊っていたカンテラを取り外し、左手に持つ。魔石が放つ光が暗いほらの先を照らした。暫く進むと道が分岐する。


 左と右、そして上。


 左は僅かに下り坂。先は見通せないが、奥へと続いているようだ。


 右は少し先で右方向に道がうねっている。少し覗いてみると、入口の方に向かって道が続いているようだ。


 そして、正面には真っすぐ奥へと伸びる坂がある。ヴァルターの胸の高さの段差はあるが、登れない程ではない。


 彼女はどこへ行ったのか。まず、彼女の服装を思い出す。


 爪先に覆いがあるとはいえ、編み上げサンダルで正面の段差を登るだろうか。更に言えば、彼女の身長はヴァルターより三十センチは低い。ヴァルターならば登るのは容易だが、彼女の場合は中々大変だろう。


 となれば、正面は有り得ない。


 左と右。


 この二択は、この場の状況だけでは正解を導き出せない。だが、救難要請の発信源は分かっている。洞穴の奥だ。


 となれば、少なくとも要救助者が進んだのは入口の方へ戻る道ではないはず。一先ず、左へと進むのが良いだろう。


 そう判断して、ヴァルターは湿り気を帯びた坂を下っていった。






 次第に天井が低くなる。身を屈め、天井に右手を突きながら奥へ奥へ。


 湿気が更に強くなり、天井からは水滴が地面へと落ちる。気温は低く、冷涼な空気が奥からヴァルターの身に当たって来た道を抜けていった。


 おおよそ、彼の背の三分の二程度の狭さになった所で行き止まりに突き当たった。正面には壁、下は水が溜まっている。水には深さがある様で、暗い水底を確認する事は出来そうもない。


 ここから先に行く事は出来なさそうだ。


 先程の分かれ道での判断は間違っていた。ヴァルターは来た道を戻ろうと、屈めた身体をひるがえそうとする。


 そこでカンテラの光が何かに反射したのを、彼は見逃さなかった。


 足元、水溜まりの手前にそれは落ちていた。小指の三分の一程度の大きさの白い巻貝。いや、それを模した耳飾りイヤリングだ。それ即ち、要救助者の耳に輝いていたはずのもの。


 つまり、彼女はこの水の先へと進んだのだ。


「なるほど。彼女は海歌人セレイネス、水は問題とならない」


 耳飾りをリュックサックに仕舞いながら、ヴァルターは呟いた。


 海歌人セレイネスとは海中と地上、二つの世界で生きる種族。


 姿は人間と全く変わらないが、唯一、腰あたりから伸びる長い尾が特徴的だ。魚の腹鰭はらびれから後ろ、とでも言えばいいか、海豚いるかのような滑らかな尾を持っている。


 そんな彼女達は、水中での呼吸を可能としている。人と変わらない姿でそれが出来るのは、海歌人特有の魔力が作用しているらしい。種族の神秘、というやつだ。


 海の中を歩き、泳ぎ、そして地上でも問題なく生活できる。人や獣人、エルブンとも交流し、子を成して世界を構成する一員だ。


 だが救助の場面においては、その特性は厄介極まりない。


 彼女達が道として進めるとしても、救助人はその限りでは無いのだ。事実、ヴァルターはただの人間、水中で呼吸する事など出来はしない。水中呼吸を可能にする魔法もどこかにあるとは聞くが高等な魔法だ。そこらの魔法使いや救助人が会得えとくできるものではない。


 つまり今この場において、海歌人の彼女の救出は非常に困難である、という事だ。彼女と同じ種族の救助人を連れてくるのが一番良い選択肢。だが、そんな都合の良い者はいない。


 救助人はそもそも数が少なく、その中で海歌人を探すなど何日かかるか分からない。アーベンリズンまで来るのにも時間が掛かる。即ち、救難要請を発した彼女は物言わぬ帰還となる事が確実だ。


「救助出来る可能性が僅かでも有るのならば」


 ヴァルターにとって、それは彼の矜持きょうじに反する事。いま出来る事を出せる力の全てを使って成し遂げる。それこそが救助人の役割だ、と彼は理解しているのだ。


「先へ進まないという選択肢は無い」


 彼は暗い水をたたえる、底知れぬ水面を見た。

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