第六報 人は思わぬ事で簡単に
アルテアを助けてから二週間。
その間もヴァルターは二度、救助に赴いていた。だが、その結果は
一人目は人間の特徴が多い、茶色毛並みの猫獣人の女性だった。人間の外見に猫の耳と尾がある、という姿である。
彼女の遭難地点はアルテアと同じ森林地帯。救難要請の発信地は、彼女よりも町に近い場所だった。先日と同じく、森の中の獣道を進む。途中で何度か魔獣に襲われたが、あるいは倒し、あるいはやり過ごした。
そして、その場所を発見する。
木々が累々と倒れている異常な光景。その切り株は斜め、切り口には一切のささくれ立ちが無い。鋭い何かで、素早く断ち切られたような姿であった。
警戒しつつ倒木を跨ぎ、奥へ進む。ふと、不可思議な物を見付けた。他とは違い、倒れてはいない樹木。だが、その幹には縦に一本の切断痕がある。その痕はヴァルターの頭から膝ぐらいまで一直線だ。完全に貫通しており、向こう側の木の幹が覗けた。
不可思議なそれに近寄ると気付いた。木の陰から、何かが見えている事に。
それは人間の脚だ。
救助要請が発された場所に人間の脚。つまり、木の陰にいるのは要救助者であると推察できる。ヴァルターはその人物を驚かさないように、ゆっくりと樹木の裏に回った。
結果から言うと、彼の気遣いは無用のものだった。
木の陰から見えていたのは彼女の
おそらくは祈りを捧げるように胸の前で強く握っていたのだろう。だが、彼女の胸から上は赤黒く染まっていた。
血だ。それも
視線を上げる。
彼女の口は、ぽかん、と呆気に取られたように開いている。
彼女の目は、右と左で眼球がちぐはぐな場所を見ていた。
そして、彼女の頭は。
ヴァルターは先程、木の幹の切断痕から向こう側を覗く事が出来た。腰を下ろした人間がそこにいるはずなのに、だ。つまり、切断痕は彼女の頭にも有ったのである。
眉間からV字に肉と骨と、その中身が無くなっていた。見下ろしているヴァルターからは、彼女の内容物を確認できてしまっている。
この状況からヴァルターは考察する。
彼女を襲ったのは、おそらく
それと遭遇した彼女は、この場所で逃げ回った。だからこそ、木々が
何とか逃げ延び、木の陰に隠れて救難要請を発した。祈りを込めるように強くブローチを握り、身体を縮こまらせて。
蟷螂の視界からは逃れ、既に物音もしない。これで助かる、と彼女は思った事だろう。
その時に頭上から物音がした。何が、と思い、目を開ける。そんな彼女が見たのは、眼前に迫る緑の鎌。
何が起きたのか、彼女は認識できなかった事だけが幸運だったと言えるだろう。苦しむ事無く、人生を終えられたのだから。
布で頭を多い、何も落とさないようにきつく縛り付けた。アルテアの時と同じように担ぎ上げる。事切れた彼女が座った姿勢だったのが、僅かばかりの幸いだ。硬直した体、その脚と腕をへし折るかのように無理やり自身の前に移動させた。
荷物は、もはや彼女には必要ない物。その場に捨て置いて、ヴァルターはアーベンリズンへと戻っていった。
二人目は人間の男性。短い茶髪の初心者だった。
比較的安全な、町の北部に広がる遠浅な海。その一角にある岩礁地帯に彼は出かけた。岩礁は人間の身体よりも圧倒的に大きい。その間を縫うように出来た空間は、必然的に人間が通る道となっている。
岩礁地帯の進入地点から、それほど奥に行っていない場所からの救難要請。誤起動か、それとも悪戯か、誰もがそう思うような地点だった。
ヴァルターが赴くと、そこには男性が倒れていた。不必要な救難要請では無かったのだ。うつ伏せ状態で倒れていた彼は、既に命を落としていた。
小さな小さな、人間の顔がギリギリ浸かる位の
ふと、ヴァルターは気付く。彼の左足、
そして、足下には拳二つ分程度の大きさの白い貝が転がっている。
ヴァルターはそこで理解した。
倒れ伏す彼は、途轍もない不運に見舞われたという事に。
彼は岩礁地帯を歩きながら、石などを集めていたのだろう。アーベンリズン周辺は特殊な海岸、何気ない石でも売れる事があるからだ。金欠な初心者には、良い小遣い稼ぎにはなる。
彼は今日も同じようにこの場所へ訪れた。だが彼は、たった一つだけいつもと違う事をしてしまった。
それは白い貝を蹴飛ばしてしまった事。
彼の足下に転がっていたそれは、一見するとただの貝。しかしその実態は、一瞬で人間を麻痺させる程の毒を持つ魔獣なのだ。だが、積極的に人間を襲う事は無い。刺激しないように持ち上げれば、移動させる事も容易な貝である。
それを蹴ってしまった。つまり、攻撃してしまったのだ。
貝は反撃として、毒針で彼の足を貫いた。一瞬で身体が麻痺し、うつ伏せに倒れ伏す。ギリギリで救難要請は発した。しかし、彼は哀れとも思える程に不運だった。
倒れた場所、彼の顔が落ちる先が潮溜まりだったのだ。
普通なら絶対に溺れるような場所ではない。しかし彼の身体は麻痺し、動けなかった。だが、意識は明瞭。不幸な事に貝の毒は麻痺毒であって、意識を失うような効果は無かったのである。
溺れる、だが身体が動かない。
苦しい、でも顔を水から出す事が出来ない。
たった数
どれほど無念だったかは、計り知る事が出来ない。しかし、苦悶の内に命を落とした事だけは明白だ。彼の最期の表情が、それを示していたのだから。
命無き器と数少ない彼の荷物を回収し、ヴァルターはアーベンリズンへと帰還した。
これらもまた、彼の日常だ。
彼がポールとアルテアを幸運と言ったのは事実である。五体満足で生存できたのだから。そして、今回の二件もまだ幸運な方だ。体を回収する事が出来たのだから。
五体満足や一部欠損なら幸運。一部だけならまだマシ。装備品だけ回収なら遺品が残る。完全に行方不明、が一番多いのだ。
魔獣に一呑みにされたのか、それとも人が入り込めぬどこかに落ちたのか。それとも救助人が発見できなかったのか。事実、数年後に白骨化した誰かが見つかる事もある。
一攫千金を求める代償は、自身の
そして今日も、組合の中にレリィの声が響く。
「ヴァルターさん!救難要請、北の海岸
果たして今回の遭難者は幸運か、それとも不幸か。
どちらにせよ、ヴァルターがやる事は同じ。装備を整えて、彼は組合を後にした。
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