第五報 当然の事とそうでは無い事

 かつん、かつん、と金属が当たる音がする。


 机の上には整然と、鈍色にびいろの鋼鉄製の矢が並んでいた。


 先端は星型のすいとなっており、貫通力を上昇させる形状である。およそ腕の長さと同じそれは、一本一本がそれなりの重量を持つ。熟練の射手によって放たれれば、ごう鉄板すらも容易に撃ち抜く事が可能だ。


 古き時代から、長らく木製であった弓と矢。工業が発達して生産力を得た現在において、それらは金属を得る事となった。木製の物を使い続ける者もいるが、それは酔狂というものだ。実践においては、既に有用ではなくなっているのだから。


 木製の矢に魔力を纏わせて撃ち放つ。

 敵から距離を取って翻弄し、魔力で矢を導いて狙撃する。


 これは古くからある弓手ゆんでの戦術だ。


 だが、あくまで魔力を纏わせるだけ。誘導と加速は出来ても、矢の威力はさほど変わらない。強固な外殻を持つ魔獣を相手とすると、途端に手が出なくなってしまう。


 普及した金属矢はその問題点を解消した。魔力を矢に込めて放つ事が出来るようになったのだ。矢に魔力が籠るという事は、当たった瞬間にそれを放出できるという事だ。つまり魔力放出の衝撃で、外殻を粉砕する事を可能としたのである。


 弓は、かつてと比べると大型化している。おおよそ、人の足元から降ろした腕の肘までの長さ、といったところだ。金属の矢を放つ事に合わせた、最適な姿へと変わったのである。


 小銃ライフルと比べると、弓は熟達に時間が掛かる。しかし、それを補って余りあるほどの力を弓は持っているのだ。


 アルテアは弓の名手だ。冒険者としても既に三年、一端いっぱしの実力を持っている。が、残念ながら昨日は命の危機に陥った。


 自分は十分な力が有る。森の奥までは行かない、だから今回も大丈夫。


 だが、下調べが不足していたのだ。腐卵茸ファロイギルツという魔獣が、あの森にいる事を知らなかった。


 三年。油断が生じるには十分な期間だ。実際、冒険者は一定の周期で姿を消す。引退しているのではない、行方不明になっているのだ。


 三週間、三ヶ月、三年。


 この話を知らない者は存在しない。なぜなら、知らなかった者はことごとく冒険者ではなくなっているからだ。自ら悟って引退か、それとも自身の意思によらず行方不明か。それは定かではないが。


 不幸不吉とは、突然に襲ってくるのだ。しかし、ほんの僅かばかりだが、幸運の光が差し込む事もある。アルテアはその光によって、今この場で相棒弓矢点検メンテナンス出来ていた。


「あ!」


 希望の光を見付けて、彼女は椅子から勢いよく立ち上がった。後方へ椅子が跳び、がたん、と音を鳴らす。


「ヴァルターさん、昨日はありがとうっ!!!」


 飛びつかんばかりの勢いで、アルテアはヴァルターに近付いた。いや、本当に飛びついて突進タックルした。彼女の質量と勢いをまともに喰らっても、ヴァルターはビクともしない。


「お身体はもう良いんですか?」

「はいっ、おかげさまで!」


 少し後ろへ下がり、彼女はヴァルターを見上げて言う。無邪気な子供のような顔だ。行動も含めて、活発で純粋な印象を受ける。


「これ、騒がしいぞ」


 後ろからユーディタがアルテアの後頭部を叩いた。


 身長が足りないので、彼女の矢を反対に持って殴ったのである。金属棒の一撃に、アルテアは後頭部を抑えてその場にうずくまった。


「痛っづぅぅ……」

「子供とはいえやかましいわ、冒険者ならもう少し落ち着かぬか」


 腕を組み、呆れた顔でユーディタはアルテアに言う。


「子供、ですか。エルフの年齢はよく分かりませんが」

「まあそうじゃろうな。こやつは三十九、といった所じゃ」


 うずくまったアルテアの頬を矢で小突く。


「や、やめて~」


 年長のユーディタに強く出る事も出来ず、アルテアは虚空に助けを求めた。


「エルフは人間や獣人の三倍は生きる。三で割れば分かるじゃろう」

「三十九なら十三、ですか」

「うむ。ゆえに子供じゃ。エルブンの精神の成長は緩やかじゃからな」


 ヴァルターと目を合わせながら、ユーディタは矢でぐりぐりとアルテアの頬をこじる。


「むぎゅぎゅぅ……」


頬をねじじられ、アルテアは妙な鳴き声を発した。


「まあ、冒険者としての経験には関係ないがの」

「うぅぅ、結構痛かったぁ」


 後頭部と頬。攻撃を受けた二ヶ所を労わりながら、アルテアはようやく立ち上がった。


「油断、慢心、準備不足、知識不足、誤判断、全て死を招く。分かったな?」

「……はい」


 先程の明るさはどこへやら。ユーディタからの説教に、アルテアはしょんぼりこうべを垂れる。


「ふむ。十分に反省しておるようだの、この辺にしておいてやるか」


 矢で自身の肩をとんとんと軽く叩きながら、ユーディタは一つ息をく。手にしていたそれをアルテアに渡して、彼女は組合の奥へと消えていった。


「あ、改めて、ありがとうございました!来てくれなかったら今頃私は……」

「それが俺の仕事なので」


 アルテアの言葉を受けてもヴァルターの表情は変わらない。仕事として、ただ当然の事をしただけ、という事である。


「それでも、です!」


 胸の前で両手を握りながら、アルテアは鼻息荒く前傾姿勢。ヴァルターとは身長差があるので見上げる形である。


「アルテアさんの運が良かっただけです」


 彼女の事を見下ろしながら、ヴァルターは事実を告げた。


 先のポール、今回のアルテア。連続して遭難者を助けられるのは、中々に稀な事なのである。だからこそ、運が良かった、と彼は言うのだ。自身が救助に向かい、それを成し遂げるのは当然だと考えているから。


 気圧けおされて、アルテアの拳が少し下がった。


「そ、それでも、です!」

「偶然です」


 短い一撃で打ち返され、ぐっ、とアルテアは小さくうめく。


 握った拳は既に消え、両手は身体の横に下ろされていた。だが、アルテアは引かない。


「そ、それ、それでも、ですぅ!」

「助かる巡り合わせだっただけです」


 決して礼の言葉を受け取らないヴァルター。


 うがあっ、と大げさに叫び、アルテアがよろよろと後方に倒れる。遂に彼女が押し負けた。


「なんでそこまで受け取り拒否するんですかぁ」


 ほんのちょこっとだけ涙目になりながら、アルテアはヴァルターに問う。


「それが俺の仕事で、当然の事しかしていないので」


 一切表情を変えずに、ヴァルターはそう言い切ったのだった。

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