第四報 森の中の死の領域

 綺麗に何もない空間。


 花畑は無いが、物語の中ならば妖精のたぐいでも舞っていそうな場所だ。


 その中心からヴァルターの方に向かって、一人の女性がうつ伏せで倒れている。エルフである彼女の容姿も相まって、物語の中の登場人物として眠っている様だ。


 だが、そんな事は有り得ないとヴァルターは知っている。何故なら、周囲に彼女の得物である弓と矢筒が転がっているからだ。


 彼女の事を観察する。野営道具が綺麗に仕舞われたリュックサックを背負っている。少なくとも致命傷とおぼしき出血は無い。となると、単純に魔獣に襲われて救難要請をしたわけでは無いだろう。


 弓と矢はあるが、それを射た形跡がない。矢筒の蓋が閉まったままなのだ。魔法を使って魔獣を撃退したとしたら、その血があってもおかしくない。救難要請から数時間で、それが跡形も無く消えるとは思えない。


 毒を撃ち込まれた可能性を考える。


 野営を終えて荷物を纏め、出発しようとした所で虫の魔獣か何かに襲われた。だが対応する事も出来ずに毒針を撃ち込まれ、そのまま昏倒こんとうした、としたら。


 しかし、もしそうなら不可思議な事だらけだ。


 毒を撃ち込んだ魔獣が彼女を捕食しないわけがない。巣に持ち運ぶ可能性も高いだろう。五体満足で眠る様に倒れている、などという事は考えにくい。頭の一つでも無くなってないと妙である。


 その時、微かに彼女の身体が動く。呼吸した事による、上下運動である。


 つまり、彼女は生きている。


 救難要請を出しながらただ寝ている、などという事は有り得ない。


 では、何なのか。


 意識は無いが生きている。生きてはいるが行動不能。救難要請はおそらく意識を失う寸前に出したものだろう。つまり、危険に気付いてから昏倒するまでに逃げる時間は無かった。


 しかし、捕食はされていない。彼女を昏倒させたのは何か。


 毒性の気体ガスが生じるような場所ではなく、盆地ではないため滞留する事もない。だが数時間、彼女をこの状態のままにさせたのであれば、それが一番現実的だ。


 それらを総合して考えるならば。


 彼女は囮か何かではないだろうか。


 そして、この場所は。


死の領域デスゾーン


 ヴァルターは思わず、小さくその名を吐いた。


 あらゆる場所、あらゆる環境に存在する人間を容易に殺す状況である。あるいは魔獣の縄張りであり、あるいは絶望するほどの断崖絶壁。あるいは一寸先も見えぬ猛吹雪の雪山、あるいは竜の眼前。


 それは人間が踏み入ったならば、死が待ち構えている状況だ。


 今、彼女が倒れている森の中の開けた空間。

 だが、ここには確実に『何か』がいる。


 ヴァルターは足元のこぶし大の石を掴む。そして力を調節して、それを空間の中心に届くように投げ込んだ。石は弧を描き、倒れている彼女の上を飛び越える。そして、大地に着地した。


 その瞬間。


 大地を割り、太く巨大な槍が天へと伸びた。


 否。それは槍などでは無かった。


腐卵茸ファロイギルツ


 紫に黒まだら模様の笠に灰色の太い軸を持つ、人の背丈より巨大なきのこの魔獣だ。その名の通り、腐った卵のような悪臭を放つ。その臭気を吸い込んだ者は、人であろうが魔獣であろうが意識を失うのだ。


 倒れた獲物を放置して身を隠し、それを捕食しようと寄ってきた者も獲物とする。狡猾であり、残忍な生態を持つ存在である。


 彼女が生かされていたのは、彼女を捕食する魔獣を呼び込むため。もしくは、救助人ヴァルターを道連れにさせるためだ。


 脅威の対象が腐卵茸ファロイギルツと判明し、ヴァルターは考察する。


 おそらく彼女は、この場所で野営をしたのだ。起床し、荷物を纏めた所で腐卵茸に襲われた。


 危険を認識し、この場を離れようと走り出した所で意識が遠のく。最後の力を振り絞って救難要請を出した。


 こういった事だろう。


 彼女が腐卵茸に背を向かる形で、うつ伏せに倒れているのが証拠と言える。


 なぜ彼女は夜間に襲われなかったのか。それは腐卵茸が完全昼行性の魔獣だから。夜間は一切活動しない、冒険者と非常に相性が悪い生態をしているのだ。疲れて休息をとった野営地が、まさか死の領域などとどうして思えるだろうか。


 ならば、彼女の救出を夜まで待てばいいのか。しかし、それも不可能だ。


 腐卵茸は夕方頃に獲物を捕食する。頭から齧り付くわけでは無い、菌糸を使って地中に引き込むのだ。地中に引き込まれた獲物は窒息して絶命する。そのまま、ゆっくりゆっくりと分解、消化されるのである。


 現時点で太陽は天頂にある。時間が無いわけでは無いが、時が進むほど彼女が目を覚ます可能性は減るだろう。


 ならば仕掛けるしかない。


 ヴァルターは背の荷を置く。リュックサックの脇に吊っていたカンテラを手にした。内部にはめ込まれていた赤の魔石を取り出す。カンテラをともし、それを維持するための物である。


 それは即ち、火を生じさせる魔石である、という事だ。


 ヴァルターは立ち上がり、姿を現している腐卵茸を見た。茸は彼を認識しているのかいないのか、ただそこに整然と生えている。大きく振りかぶり、先程の石とは比べ物にならない程の力で魔石を投擲とうてきした。


 鍛え上げた肉体から生じる力と、それを増幅する魔力の作用。全てが魔石を加速させ、真っすぐに腐卵茸へと送り届ける。ばぁんっ、と、砂が詰まった袋サンドバッグを思い切り叩いたような音が響いた。


 魔石は茸を貫通しなかった。ヴァルターは手加減をして投擲したのだ。しかし深く深く、魔石は茸の中心に突き刺さった。


投げる瞬間、ヴァルターは魔石に魔力を流している。カンテラの灯すためには魔力を流し込む事が必要だ。


 つまり。


「よし」


 火炎が生じて腐卵茸を焼き焦がし、遂には巨大な炎の柱となった。


 カンテラは魔石の力を制御して便利に使うための道具。そのタガを外した魔石は、魔力を注げば爆弾と似たような物なのである。


 本体が燃え続けた事で、周囲に充満していた腐乱臭が消失する。倒れ伏す彼女を助けるには今しかない。ヴァルターは念のために息を止めて、彼女に駆け寄った。


 ひょい、と肩に担ぎ上げ、彼女の武器である弓と矢筒もついでに回収。自身の荷物を置いた場所まで駆け戻った。


 時間にして三十秒もかかっていない。迅速かつ確実、完璧な救出だ。


 念のため、彼女の外傷を確認する。倒れた時にった軽い傷と打撲の痕はあったがほぼ無傷、処置は不要だろう。呼吸によって毒物を吸い込んだ以上は、彼女の肺に薬を送り込むしかない。


 リュックサックの中から、小指よりも細い瓶を取り出した。中には、僅かに緑の色を持つ粉末が入っている。


 続いて、彼女の口と鼻を摘まんで呼吸を阻害する。次第に顔が赤くなっていく。頃合いを見計らって、鼻だけを解放した。待ちに待った吸気に、彼女は思いっきり空気を吸い込んだ。


 その瞬間。


 ヴァルターは瓶を彼女の鼻に突っ込んだ。吸気と同時に肺に粉末が流れ込む。まさかの事に、彼女は思いっきり咳き込んだ。それこそ、肺の中の物をすべて吐き出すほどの勢いで。


 咳をし終えると、彼女の顔が僅かに血色けっしょくを取り戻した。


 かなり乱暴だが、吸気による毒ならば応急処置はこうするしかない。せめて肺の中にある毒だけでも吐き出させるのだ。身体に吸収されてしまった毒はどうにもならない、あとは彼女の回復力に賭けるしかない。


 だが、十分な回復のためには良い環境が必要。こんな森の中で野営するわけにはいかない。ヴァルターは己の荷物を背負う。彼女のリュックサックを自身の身体の前に来るように抱えた。


 彼女の脚の間に右腕を通し、首の後ろに彼女の腹が来るように担ぎ上げる。だらりと垂れ下がった彼女の右手首を、自身の右手で掴んだ。右腕で右脚を抱え、右手で右手首を掴む。つまり、左腕は自由となっているのだ。


 ヴァルターはその場から町へ向かって歩き出した。






 狼と戦闘を行った地点まで戻ってきた。


 ここから森を抜けるまで、そんなに時間はかからないだろう。がさがさと木々の奥で音がする。だが、今度は何も現れなかった。


 何故か。それは、彼がここで行った事に起因する。


 狼を排除した後に、彼はその死骸を投げ捨てた。なるべく遠くに届くように、木々の合間を狙って。


 襲い掛かってきた狼を憎く思って、憂さ晴らしをしたのではない。死骸は他の魔獣を引き寄せる餌になるのだ。多くの魔獣は自身で狩りをする。だが、狩りには労力がかかるもの。


 何もせずに餌が手に入るなら、それに越した事は無いのである。そして、それが新鮮ならば、なお良し。つまり、ヴァルターが投げ捨てた狼は餌だ。帰り道で自身が襲われないようにするための保険である。


 その結果は、今まさに出ている通り。

 ヴァルターは町への道を足早に進んでいった。






「よくやった、褒めてやろう!」

「いえ、仕事ですから」


 ユーディタの言葉をヴァルターは回避した。二人は組合の受付脇、小さな応接スペースで向かい合って座っている。


 あの後は特に何もなく、ヴァルターと女性は無事に町まで帰ってこれたのだ。エルフの彼女は、組合二階の一室にてレリィが介抱している。


 医者代わりにユーディタが彼女の身体を確認したが問題無し。一日しっかりと休めば大丈夫、との診断である。


「いや~、ヴァルターがおると助かるのぅ。他の救助人では、こうはいかん」

「そうでしょうか。みな、この位は判断出来るかと」

「まあ、そう言うな。出来ん奴も結構おるんじゃぞ?」


 手にしたティーカップを突き出して、ユーディタはニヤリと笑う。


 その言葉に、彼女の後ろで受付と話していた駆け出し救助人ヘルトゥーフが肩を跳ねさせた。駆け出しとはいえ、冒険者としての歴もある人物に酷な言葉である。


「さぁて、お主が持って帰った情報を地図に落とし込まねばな」

「ええ、お願いします」


 ユーディタは立ち上がった。空になったティーカップの持ち手に人差し指を通して、くるくると回す。そのまま、受付裏へと歩いて行った。


 そのすぐ後、何かが盛大に割れた音が組合に響いたのだった。

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