第三報 危険が溢れる森の中

 救難要請ブローチからの信号は商業組合に届く。


 組合では当直が決められており、どの時間であっても要請は受け取られるのだ。そして、ヴァルターが組合の二階を居所としているのにも理由がある。何時いつ如何いかなる救難要請にも対応できるからだ。


 届いた救難要請は受付裏の受信装置で確認される。どの方角のどの地点からの要請かを判別するのだ。全ての冒険者に配られているブローチは、それぞれが個人と紐づけられている。


 誰が、どこで遭難しているかが一目で分かるのである。組合長ユーディタの実力がよく分かる、高度な魔法技術なのだ。


 今朝、彼女が町の外に出ていたのにも理由がある。町の八方、およそ二キロメートルの場所に設置された感知装置の点検だ。これらがブローチからの信号を受け取り、それを組合に送っているのである。


 点検は毎日行っているわけでは無いが、定期的に実行しているのである。そんな受信装置は壁に掛けられた大きな地図。町を中心として、周囲の地形が描かれたものだ。


 とは言え、町から離れれば離れるほど前人未踏の地。描写も想像の域を出なくなる。そういった場所から救難要請が送られてきた場合、要救助者の生存は容易ではない。ある程度のアタリを付けて救助人ヘルトゥーフが向かうため、時間が掛かるからだ。


 奥地へ赴くならば、生存と戦闘の双方の十分な能力が必要なのである。だが、今回の救助要請は幸いにしてそうした場所からでは無かった。町の西、森林地帯の中ほどの地点だ。奥地のいびつな森には至っていない場所だろう。


 ヴァルターは組合員から要救助者の名前と特徴を聞き、装備を整えて出発した。




 森の中というのは、人間が想像する以上に危険だ。


 まずは虫。


 魔獣ではなくとも危険な虫は多い。神経毒を流し込んでくるようなものも生息している。だが、これらの対処法は比較的簡単だ。一部の植物から発される成分が忌避きひ剤となるのである。


 その上で手足を隠すような服装であれば、よっぽどの事が無い限り大丈夫だ。


 続いて魔獣。


 これは全ての場所で同じだが、見通しが悪い場所ではその危険性は跳ね上がる。町の東の原野でもそうだが森は木々が密集して影が多いため、更に危険だ。また、木々の葉が擦れる音が魔獣の足音などを消す効果もある。


 こちらの対処は魔獣除けを使うか、常に警戒を怠らないか、である。草原や原野よりも森の方が熟練者でなくてはならない、とされる要因だ。


 更に環境。


 森は影が多く、冷涼だと思う者が多い。それは一応は事実である。


 しかし、森の奥へと入った場合は異なる。森の中には小さな川が多く流れており実に涼やかだが、それは時として人間に牙をむく。湿気が森の木々に遮られて滞留し、日光を受けて体感温度を上昇させるのだ。


 川まで出れば良いと思うかもしれない。しかし、そう考えるのは人間だけでは無いのだ。川の周辺は魔獣の生息域。不用意に近付くと、そこを縄張りとしている魔獣と挨拶を交わす事になる。


 熟練の冒険者ほど、川へは近付かないものなのだ。もちろん、状況によって例外はあるのだが。


 これらが複合されているのが、アーベンリズン西方の森。


 ここに入る者は大体が軽装備だ。大鎧を身に着けていては、あまりの暑さで早々に帰還する事になるからである。革製の鎧や胸当て、手足については金属製の防具、というのが多い。着ている服が見えている部分の方が多いのだ。


 偶然にも西門を警備していた青年軍人が、前日の朝に要救助者を確認していた。


 緑髪艶のある黒髪の女性で髪は肩に掛かる位セミロングで毛先が波打っている。透き通るような肌の色をしていて、瞳は淡褐色ヘーゼル


 首元から左脇腹に掛けてボタンが付いている緑の斜めボタンシャツを着用している。白の裾絞りドローコードパンツと白靴下ソックス。足元は茶色の編み上げサンダルであった。


 背にはリュックサック、魔獣除けの装備は未所持に見えたとの事。武器は弓を持っていた。活発そうな印象で、ちゃんと確認は出来なかったがおそらくはエルフだそうだ。


 なお、彼がなぜここまで詳細に話せるかと言うと、ナンパする気だったからである。勿論、昨日の朝の彼は絶賛勤務時間中だった事を合わせて報告しておこう。


 子細な情報を得たヴァルターは森へと踏み込んだ。






 森林浴をするには、あまりにも険しく薄暗い。風が通らない事で湿気が逃げず、散った葉は虫たちによって分解される。


 足が少し沈み込むような感覚。それと同時に、水分を含んだ枯れ葉によって足が滑る。木々が立ち並んでいる事で見通しはかなり悪い。


 ヴァルターが進む獣道から外れたら、道に戻るのは不可能に近いだろう。そして、その影の向こうには魔獣が潜んでいるかもしれない。気は抜けないが彼にとって、それはいつもの事。


 救助に向かう以上は、途中で自身が倒れる事など有ってはならない。警戒は解かず、常に周囲に気を配る。だが悠長に進むわけにもいかない、要救助者は助けを待っているのだから。


 しかしそれはあくまでヴァルターの事情。魔獣はそんな事を考慮してはくれないのだ。がさがさと木々の奥から音がする。


 そして。


「っ!」


 狼の魔獣が飛び掛かってきた。


 首元が白く、体は黒。大型犬よりも一回り大きい。鋭利な牙でヴァルターの首を捉えようと大口を開ける。


 突然の襲撃。完全なる奇襲。


 狼は獲物を捕らえた事を確信しただろう。しかし、その確信は夢想に終わる。


 素早く身体を動かして狼の牙から逃れたヴァルター。右脇に抱えるように、反対に狼の首を捉えたのである。


 みしり、と狼の首がきしむ音がする。げぼっ、とかの魔獣が苦しそうに息を吐いた。


 だが、狼には他にも武器がある。爪だ。牙と同様に鋭利なそれは、狩った獲物を容易に切り裂く。逆に捉えられたとはいえ、相手は人間。爪が皮膚を突き破らないわけがない。


 そう、狼は思ったはずだ。実行に移す前にヴァルターが行動したため、真実は分からないが。


 右脇で締め上げながら、暴れる狼を揺さぶる。左腕を右へ、魔獣の体を跨ぐような形で通して狼の前脚を掴んだ。そして狼の脚を持ったまま、勢いよく左腕を左へと引き抜いた。


 首は正常な方向に留まったまま、だが腹が天へと向く。首を固定して、狼の体を反時計回りに百八十度回転させたのである。


 ぼぎん、という鈍く低い音が、ヴァルターの右脇に絞められた首から鳴る。天地反対となった体がだらりと重力に従い垂れ下がった。最期に僅かな呼吸音を吐き、狼は絶命する。


 ヴァルターは安堵からか、息を一つ吐いた。狼の死骸を脇から抜く。


 そして。


 右手一本でそれを持ち、振りかぶって思いっきり投げ飛ばした。木々の狭間を通り抜け、視認できない辺りで樹木に衝突した音が響く。


 それを確認して、ヴァルターは先を急ぐ。




 森に入ってから二時間程度。

 頭の中に地図を思い浮かべながら、獣道から外れて歩く。


 救助人ヘルトゥーフとして、記憶する能力スキルは欠かす事の出来ない物だ。組合と通信が出来る訳ではなく、地図が詳細に作り上げられている訳でもない。救難要請が発された位置を記憶し、そこから見える目標物ランドマークを確認する。


 詳細な地図は無くとも、山脈や大木、大岩や湖などはどこにあるのか明確だ。それと救難要請発信地を合わせて、救助人は要救助者の下へと向かうのである。


 百パーセントの救助成功は不可能だ。だが、ゼロパーセントを二十から三十パーセントにする事は出来る。確実に死を迎えるはずの冒険者だ。命が救われる可能性が少しでもある、と言う事だけで幸運なのである。


 先へ先へ。


 通常の姿を保つヴァルターの歩む森。その更に奥にあるのが『いびつな森』だ。木々はうねりくねり。大木もあれば足よりも小さい、草と見紛う樹木も存在する。


 不可思議な植物も多く、魔獣も危険なものが多い。そんな森の中心にそびえ立つ大樹。森の中にあって、どこからでも視認できる巨大な木だ。それを木々の葉の間から認識しながら、ヴァルターは進む。


 救難要請地点はもうすぐのはずだ。


 木を、藪をかき分けた先。森の中にぽっかりと開いた、日の光が差し込む広々とした空間に。黒髪の女性が一人、倒れていた。

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