第二報 休日とは仕事に備える日

 ポールから頭が取れるほどの礼をされた日の翌日。ヴァルターはいつもより少し遅く起床した。といっても、たった五分だけだ。


 彼は常に同じ時間に起床する。日が昇るのと同時だ。まだ空が完全に光に満ちていないうちに、彼は着替えを済ませる。そして彼は鋼鉄製の箱を背負った。中身は鉄の鋳塊インゴットが隙間なく詰められている。


 しかし、彼は軽々と立ち上がり、部屋から出た。


 彼が居所きょしょとしているのは、商業組合窓口の上階。石造りの建物の二階である。彼が歩む度に石造りの床が、みしり、と鳴っている。背に負った箱は、それほどの重量なのだ。


 廊下の途中から彼の左手側の壁が無くなり、階段まで手すりが続いている。そして、そこからは一階を見下ろせるようになっていた。


 ふと、階下に目を向けると、一人の組合員が床の掃き掃除をしている。


 赤が混じる金髪は背中に掛かる程度の長さ。濃褐色の瞳を湛える目は、目じりが垂れて柔和な印象を受ける。上は白の半袖フリルブラウス。下は緑と黄、そして黒のチェック柄プリーツスカート。


 身長は高すぎず低すぎず、体形は太すぎず細すぎず。ヴァルターと比べると、顔一つ分は背が低いだろうか。全体的に清潔感と几帳面きちょうめんさ、そして誠実な印象を受ける人物だ。


「おはようございます、ヴァルターさん。今日もいつも通り、お早いですね」

「おはようございます、レリィさん。今日は少しだけ遅いです」


 彼女に挨拶をして出発するのも、いつもの行動なのである。


 五分は、一般人からすると誤差レベルだが彼にとってはそれなりの差なのだろう。朴訥ぼくとつとしながら一般人とはズレた認識のヴァルターに、彼女はくすくすと笑った。


 そんな彼女を意に介さず、ヴァルターは階段を一段一段降りていく。この建物が石造りではなかったら、確実に階段は崩壊していたであろう。幸いにして、ヴァルターは無事に一階へと辿り着く事が出来た。


 組合員の彼女の横を抜けて入口ドアのノブに手を掛ける。


「いってらっしゃい」

「ええ、行ってきます」


 短い言葉を交わして、ヴァルターは街へと踏み出した。




 彼には日課がある。それは朝一から身体を鍛える事。


 彼の仕事である救助人ヘルトゥーフは常に重量物を取り扱う。応急処置用の器具、食料に水、野営用の装備、対魔獣用の道具。それらが満載されたリュックサックを常に背負っているのだ。


 が、重量物はそれだけではない。


 先のポールは自ら歩く事が出来ていた。これはむしろ稀な事例である。大体は負傷しているか、意識喪失で行動不能になっているか、だ。つまり自分で歩く事が出来ない場合が多いのである。


 そういった時、どうするのか。


 救助に来て見捨てる選択肢は無い。であれば、運ぶしかないのだ。担ぎ上げて町まで運搬するのである。そして、それに必要となるのは純粋な筋力と持久力。


 魔力で身体しんたいの強化が出来るとはいえ、元になる物が無ければどうしようもない。だからこそ、彼は身体を鍛える事を日課としているのである。


 かといって、街中を歩き回るわけではない。重量のある足音を朝から街に響かせるわけにはいかないのだ。だから、彼は町の外を歩き回る。


 おおよそ三千人が住む町、ある程度の広さと大きさがある。一周するだけで十分な運動になるのだ。一般人からすると、そもそも彼が負う荷を持ち上げる事すら出来ないであろう。町の外を一周など、夢のまた夢である。


 彼が朝早くから起床するのは、この日課の為といっても差し支えない。


「おお、ヴァルターさん。おはよう」

「おはようございます」


 白い口ひげを蓄えた男性だ。町の南、鉄路の脇にある牧場の主である。


 牛や馬など、動物達と生きる彼も早朝から活動する一人。大体、ヴァルターが回ってくる時間は同じなので、こうして挨拶をしているのだ。その場で立ち話などせずに、ヴァルターは黙々と歩いていく。


 牧場主の男性は彼を見送り、自分の仕事へと戻っていった。


「おはよう、ヴァルター君」

「おはようございます」


 青の制服に身を包んだ、年齢五十くらいの男性がヴァルターに声をかける。その手には、線路の検査道具があった。


 彼はアーベンリズン駅の駅長である。始発列車が町に訪れる前に、毎日線路の状況を確認しているのだ。ヴァルターは彼が点検する線路を踏まないように二度跨ぐ。


 駅長は彼の背中に微笑みかけ、自らの職務を継続していった。


「ふぁぁ、あ、ヴァルターさん、おはようございます!」

「おはようございます」


 町の西の門を警備する青年は、夜間当直明けで眠たげだ。大あくびをしていた彼はヴァルターの姿を視認して、背筋を伸ばして敬礼した。


 緑の軍服を着る彼の手には、銃剣が装着されたボルトアクション式小銃ライフルがある。彼はその姿通り軍人だ。とはいえ、こんな僻地へきちに配属された者。職務に忠実ではあれど、それほど熱意のある人物では無いのである。


 ヴァルターが通り過ぎるまで敬礼を続けた彼は、すぐに気の抜けた顔に戻った。


「おやまあ、ヴァルターさん、おはよう。今日も早いねぇ」

「おはようございます」


 にこやかな老婆が声をかけてきた。七十を超えて、なお背筋が伸びている元気なご老人だ。アーベンリズンの北方は海。徒歩で沖合まで行ける程の超遠浅とおあさの海である。


 岩礁も多く、アーベンリズンは海に面していながら港としては機能していない。その代わり、貝類や甲殻類が良く獲れるのだ。


 彼女の手には麻袋、その中には遠浅の海で採った貝で満たされていた。かなりの重量を軽々と片手で持っている事が、彼女の壮健を物語っている。


 軽く手を振り合い、彼女は町へと戻っていった。


「やあ、ヴァルター。いつもの鍛錬か、精が出るのぅ」

「おはようございます、ユーディタ組合長」


 ヴァルターと比べると、顔二つ分は小さい女性が話しかけてきた。


 その姿は少女と言って差し支えないだろう。彼女は町から出てきたのではなく、草原の方から町へ戻ってきた所だ。ヴァルターより五十センチは低い超小柄。腰までの長さの金髪を首の後ろで結んでいる。


 緑の瞳が怪しく光る、少し吊り目がちな目は彼女の性格をよく示していた。前開きの黒のローブは、すそが風になびいている。


 その中は白のボタン付き長袖シャツと、深緑色の八分丈はちぶたけトレンチスカート。実を言うとスカートは一般的には、膝丈の物である。


 彼女こそ、冒険者たちが持つブローチの開発者にして商業組合の現組合長。そして、ヴァルターと比べると三倍以上の年齢の人物だ。


 彼女はエルフ。人間の三倍程度の寿命を持つ、長命な種族である。


 人間との違いは、せいぜいが耳の形が少々異なっている程度。一見しただけでは分からない。この世界では人間や獣人と同じく、世界中で生活している人々なのだ。


 二人の目的地は同じ。共に組合へと戻っていった。






 鍛錬を終え、ヴァルターは自室でシャワーを浴びる。


 魔石による水の生成が出来るからこそ、潤沢に水を使えるのだ。大した人口ではない僻地の町アーベンリズンでも、地下には簡単な下水道が作られている。帝国が大国であり、技術発展と整備がき渡っているからこその恩恵だ。


 さっぱりした所で、彼は装備の点検を始めた。救助に使う道具には様々な物がある。


 応急処置用の布や消毒薬、足場が無い所を移動するための頑丈なロープ。登山用の砕氷斧ピッケル鉄爪靴アイゼン緊急野営ビバーク用の簡易テントツェルト。これらは常に携帯している。


 砕氷斧や鉄爪靴は雪山で利用する事が多いが、それ以外の場でも使用するのだ。他にも、救助に向かう場所によって携帯する物は変わる。それらの特殊装備も一通り確認していく。


 全ての点検と整備を終え、ヴァルターはようやく部屋を出た。


 朝早くから活動していながら、この時点で九時を過ぎている。組合の業務も平常通り。九時ともなれば、冒険者たちが戻って来たり、あるいは出発する。一階の受付周辺は非常に混雑していた。


 この世界には、小銃ライフル野砲近代的大砲も、戦艦くろがねの艦巡洋艦快速戦闘艦も存在する。


 だが冒険者たちの装備は、剣や槍、斧や弓。前時代的とも言える武器の数々だ。


 彼らが最優先するのは、無事に町へと帰る事。即ち、未開未踏の地における継続戦闘能力だ。銃火器はどうしても弾薬の制限がある。野営用装備や食料を抱えている状況で、更に使い捨てとなる弾薬を持つ事になる。同じ飛び道具の弓矢は回収と再利用が出来るため、こういった点で銃よりも秀でているのだ。


 弾を撃ち切ってしまえば、銃剣付き小銃は手槍モドキ。奥地まで進む事を考えると、あまり便利な装備ではない。更に言うと、銃は魔力の運用と相性が悪いのだ。


 剣などは直接手に持ち、弓は鋼鉄製の矢を手にする。自身の魔力をそのまま流し込んで強化できるのである。対して銃は、装填時に弾に触れはするが発射まで触れ続ける事は無い。魔力が霧散してしまうのだ。


 集団戦闘を主として一定の補給状況がある事を前提とする銃は、多くは軍の装備だ。冒険者が護身用にリボルバー式拳銃を持つ事はあっても、多数派では無いのである。


 仲間たちと語り合い、共に出発していく冒険者たちをヴァルターは見送る。せめて無事に帰ってきてほしい、と願いながら。しかし、それはただの願いでしかない。


「ヴァルターさん!救助要請です!!」


 混雑する組合受付にレリィの声が響いた。

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