第一報 帰るまでが救助です
ポールを小さく狭い穴から引っ張り出し、ヴァルターは歩く。
行き先は町、ではなく、もう少し大きい洞穴だ。
「あ、あの、このまま帰らないんですか……?」
彼の後を追いながらポールは問う。
ヴァルターは前を見たまま、その問いに答えた。
「ええ。今から帰ると原野に出た辺りで夜になります」
彼に言われて、ポールは空を見る。既に太陽は傾き、世界を
「よ、夜になると魔獣が襲ってくる、とかですか!?」
「それもありますが……」
ヴァルターはちらりとポールを
「単純に方角を失います。星によって大まかには分かりますが危険です」
話している、と言うよりは淡々と言葉を並べていく。彼の知識と経験をそのまま口に出している感じだ。
「俺の仕事は救助。遭難者を早く連れ帰る事では無く、確実に連れ帰る事です」
そこまで言って、歩みを止めて振り返った。
「貴方の事は確実に町まで連れ帰ります。ご安心を」
目つきは鋭く、瞳と表情からは何を考えているのか分からない。だが、駆け出しのポールにも確実に分かる事が一つある。それは彼が、
「よ、よろしくお願いします!」
「ええ、勿論」
さも当然と言わんばかりの短い返答。だがそれが彼の実力を示していると分かる。
ポールはようやく不安から逃れられた気がした。
十分な空間がある洞穴の中。
ポールをその中へ入れて、ヴァルターは荷物を置いた。
が、すぐに荷を解き、入口付近で作業を開始する。まず天井、次に壁、最後に地面。片方三点、合計六点に、手のひら程度の長さの鋼鉄製の杭を打ち刺した。鉤が付いたそれに緑色の布を留め、入口を塞いだ。
魔獣から襲われないようにするための偽装である。更に杭には魔石が仕込まれており、簡易的ではあるが魔獣除けの効果もあるのだ。続いて、瓶を取り出して厳重にはめ込まれた栓を抜く。それを入口付近と張った布にぶちまけた。
二人の臭いを消すための消臭剤である。厳重に栓がされていたのは、リュックサックの中での
人間の臭いが残っていると、魔獣が興味を示す。消臭剤によってそれがまばらになると出血と誤認する、視力の弱い魔獣もいるのだ。手負いと誤認した魔獣は活発になり、獲物を猛然と追いかける。不必要に、魔獣と遭遇する可能性を上げてしまうのだ。
そこまでの作業を終え、ヴァルターはカンテラを
とはいえ、昼間のような明るさではない。せいぜいが焚火をしている程度の灯りだ。これならば、入口の外まで光が漏れる事は無いだろう。
「あ、あの、ありがとうございます、救助に来て頂いて」
座った姿勢のまま、ポールは
「これが仕事ですから。あと、まだ救助は終わっていません」
「え?」
リュックサックから
「先程も言った通り、町へ、組合へ連れ帰ります。そこまでが救助です」
カンテラの灯りを受けて、なお、ヴァルターの目からは感情が読み取れない。しかし、確実にそれを成し遂げるという、強い意志だけは明確に示されていた。
ポールは差し出された紙皿を受け取り、一切れ口に放り込んだ。強い塩味を感じ、それが自身の生を明確に彼に知らせてくれる。
「では状況確認のために、遭難した経緯を確認させて下さい」
「あ、は、はい」
何が起きて彼があの穴に逃げ込んだのか。それが分からない状態で、不用意に動き回るのは危険だ。相手が喋れる状態であれば、ヴァルターは毎回こうして確認しているのである。
「ええと、小さな魔獣を倒して売れそうな物を回収してたんです」
その時の状況を思い出しながら、ポールは話を進める。
「で、その時に手のひら位の大きさの金色の虫を見かけて」
「ああ、そこまでで結構です」
ヴァルターは話途中のポールを制する。今の短い話で
「貴方が追いかけたのは、
その昆虫の姿は見ていないにもかかわらず、ヴァルターは断言する。それはつまり、過去にも同じように遭難した案件があった、という事だ。更に言えば、彼がすぐさま言い切る事が出来る程の数の人間が、である。
「あれは本来、自身から分泌する誘引成分で他の魔獣をおびき寄せる」
切り分けた乾燥腸詰を、ヴァルターも口に放り込んだ。数度咀嚼し、すぐに
「おびき寄せた獲物を強力な魔獣の下へ引き連れていく。獲物を狩らせるために」
「な、何のためにそんな事を?」
「おこぼれに
そこまで言って、まあ、とヴァルターは言葉を繋ぐ。
「人間には体色が誘引剤になっているようですが」
「うっ」
「この辺の人間はよく知っています。他の地域から来た初心者がよく掛かります」
「うぐっ」
他の地域から来た初心者、つまりポールのような者である。完全に直撃を食らって、彼は胸を押さえた。
「ですが、生存したうえに大きな怪我が無かったのは幸運です」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。今まで色々と回収してきましたから」
救助ではなく、回収。
それはつまり、遭難者は人間ではなく物体となった、という事である。
「腕一本のみ、頭だけ、骨も残らず剣一本。まあ、例を挙げれば限りありません」
「うっ、なんだか気分が……。本当に僕は幸運だったんですね……」
自身ははせいぜい、糞塗れになって死骸の臭いが頭からするだけ。魔獣の糞になったり、野に転がる物体になる事から比べれば幸運も幸運だ。
「さて、貴方は体力の回復に努めて下さい」
そう言ったヴァルターの皿は既に空だ。ポールよりも遅く食べ始めたのに、あっという間の早食いである。味わう事無く、吞み込んだのではないか、と言わんばかりの速さだ。
実際、ヴァルターは早食いである。それは食欲に突き動かされて、ではない。早く食べ終われば、次の行動も早くなる。救助に向かう人間である以上、時間の節約は重要なのだ。
そして、彼は一度もポールから発せられている悪臭に反応していない。救助の現場において、要救助者が失禁脱糞など日常茶飯事。物体となっていたら、当然ながらそれから臭いもする。
人間が溶解されている場合すらあるのだ。魔獣の糞の臭いなど、どうという事は無いのである。
翌朝。
日の出と同時に二人は洞穴を後にした。夜行性の魔獣が行動を終了し、昼行性の魔獣が動き始める前の時間だ。安全なうちに可能な限り進む。堅実確実を旨とするヴァルターだが、
丘陵地帯をあっという間に抜け、草木が生い茂る原野に突入した。
この時点でおよそ十時頃。昼行性の魔獣も活発となる時間だ。
ヴァルターは一旦歩みを止め、リュックサックから何かを取り出した。ガラスで作られているであろう円筒形のそれは、カンテラの三分の一程度の太さだ。内部の中心には紫色の魔石が取り付けられている。
魔石によって動く魔獣除けだ。とはいえ、強力な魔獣には効かない簡易的な代物。更に言えば、そうした魔獣はこれの魔力を追って人を襲う事もあるのだ。
街道や町の近くならば問題ないが、場所と時によっては危難を呼び込む事もある。町まで距離はあるが、原野から草原にかけてはそれほど強力な魔獣はいない。ここからならば大丈夫だと、彼は判断したのである。
起動した魔獣除けをリュックサックのカンテラの反対側に吊った。ほのかに紫に光るそれが彼の歩みと共に僅かに揺れる。
足が少々悲鳴を上げつつ、十二時。
歩きながら、昨日と同じ乾燥腸詰を食べる。今回は切り分けただけで薄切りにはしていない。そのまま齧れ、と言う事である。
十四時過ぎ。
小高い丘の上に辿り着く。遂に二人は草原を抜けたのだ。
「見えましたよ、アーベンリズンです」
ヴァルターは指をさす。
帝都から帝国北西部へ伸びる鉄路の果て。それが繋がる終点の町。
冒険者たちの拠点がそこに在った。
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