救助人ヴァルターの遭難冒険者救助記録(トラブルログ)

和扇

命知らずを助ける命知らず

 水と火、魔法と鋼鉄。


 人はそれらを融合し、蒸気機関を作り出す。


 一年かかる道のりが三ヶ月に。食べる事はおろか、見る事すら叶わなかった食材が市に並ぶ。以前よりは遥かに世界は小さくなった。


 魔獣の溢れる世界でありながら、人は平和に生きていた。


 そんな世界でありながら、未踏未開の場所は存在する。


 一つは空。

 龍や巨鳥が自在に飛び交う、人が入る事を許されぬ天の世界だ。


 人々は早々にそこへの到達を諦めた。地を這っていても世界は広がるのだから、と。


 一つは海。

 くじらしゃちが泳ぐ、されど人と共に在った青の原だ。


 人々はそれを船をもって開拓した。遠くと海運を行い、国を豊かにしたのだ。


 そして、大地。


 既に開拓されきった、都市に住む者はそう考える。


 だが、それは真実ではない。


 平野に丘陵きゅうりょう、森林に山岳、一部の海に洞穴どうけつ。それらに人は到達しておらず、開拓が進んでいない。


 だからこそ、人は挑む。自身の命を天秤にかけて、まだ見ぬ何かを得るために。


 彼らの名は、冒険者。


 世界を広げるために未開の地へ挑む、命知らずたちだ。






「ああ、レマ。すまない、僕はここまでのようだ……」


 丘陵地帯で偶然見つけた小さな洞穴で、男は諦観の境地にあった。


 彼の名はポール、冒険者である。


 といっても初心者に毛が生えた程度。至らぬ事の方が多い駆け出しだ。それを示すように彼の装備は粗末である。


 胸当てに手甲、脛当て、その全てが革製。しかも擦り切れが多い中古品だ。彼の足下には既に根元からへし折れて、刃の殆どを無くした長剣が彼の隣に転がっている。もはや武器にも杖にもならない、ただの荷物だ。


 彼は今、暗い洞穴の中で湿っぽい天井を見上げていた。


 途中までは順調だった。魔獣は大した脅威ではなく、原野から丘陵地帯へと入る事が出来た。意気揚々と奥へ進んでいくと、珍しい昆虫の魔獣を見付ける。手のひら大の黄金虫こがねむしのような姿で、体が金色に輝き、随分と目に付く姿だ。


 捕まえれば高値で売れるかもしれない。彼はそう考えた。


 結論から言うとそれは失敗だった。奥へ奥へと虫を追って行ったら、牛のように大きな狼の魔獣と出くわしたのだ。


 剣を抜き、必死になって応戦した。だが自身の三倍近い質量の相手に対して、剣術を知らぬ者の剣が効くわけがない。結果、振った剣に噛みつかれて、砕き折られてしまったのだ。


 そこから先は死の鬼ごっこ。足を滑らせては転がり、立ち上がろうとしては転倒し。魔獣の糞で全身をコーティングし、腐敗した魔獣の死骸に頭から突っ込み。よくもまあ、生きながらえたものだ、と言われるような醜態を晒す事になった。


 運よく洞穴を見付けて飛び込み、何とか魔獣の追撃をかわす事が出来たのだ。


 だが、今度は穴から出られなくなった。武器も荷物も放り出してしまった以上、今度遭遇したら確実に死ぬ。しかし、食料も水も何もないので、ここにいたとしても餓死を待つだけ。


 つまり進むも死、戻る……事は出来ないので、立ち止まっていても死である。進退きわまるとはまさにこの事、という状況だ。


「ああ、色々あった人生だなぁ……。もう一度、君に会いたいよ、レマ……」


 ポールの脳裏に、かつて彼に微笑みかけた彼女の事が浮かぶ。


 正確には、彼がバカな事をしたので笑われていたのだが。彼と彼女は別に恋仲でも何でもない事を補足しておく。立身出世すれば振り向いてもらえるのでは、と思って、彼は冒険者になったのだ。


 頭の中に走馬灯が流れていく。


 幼い頃から順番に、なんだか灰色だった青春時代を通り過ぎる。上級学校を卒業して大学へ進むつもりだったが、そんな頭は彼には無かった。愛しい彼女はそこでお別れ、彼は畜産業に従事する事になる。牛に蹴手繰けたぐられて糞を顔面に浴びた光景が、ありありと思い出された。


 全てが嫌になり、冒険者になった。


 だが資金は無く、親兄弟に掛け合ったが呆れられるだけ。仕方なく中古の防具と剣を手に、地道にやってきたのだ。


 他地域で仕事をしてきたが基本は安全な地域、大きな稼ぎは得られなかった。環境が悪いのだ、と彼は考えて未開の地に囲まれた、ここへとやってきたのである。


 そして、ここに至る前に組合に顔を出して諸々の説明を受け……。


「あ!!!!」


 随分ゆっくりと流れた走馬灯の終わりあたり。彼は思い出したのだ。組合で説明され、渡された物があった事を。


 懐に手をやり、それを取り出す。


 渦を巻いて吹き抜けるような、もしくは鳥が広げた翼のような。親指大の小さなブローチだ。中心には白の魔石が埋め込まれている。


「万が一の時はこれを使えって……ええと、確か魔力を……」


 両手で包み込むように、ポールはそれに魔力を流し込む。すると魔石が輝き始めた。心臓の鼓動のような数秒おきに、一定の感覚での発光だ。ブローチを石の上に置き、ポールは祈りを捧げた。


 この世界、神は無数にいる。それゆえに明確な信仰を持つ者の方が少ない。彼は名前を知っている全ての神に願った。滅茶苦茶である。出産の神に祈って何になるのだろうか。


 まあ、そんなこんなでおよそ三時間。知っている神への祈りが十六回りしたくらいだ。


 ざくざく、と足音が近付いてくる。


 びくっ、とポールは身体を跳ねさせた。自分を襲った魔獣が戻ってきたのだろうか。彼の祈りが強く速くなった。神の名前も何だか色々混ざっているような気がする。


 そして。


「ポールさんでしょうか?」

「へっ?」


 低い男の声だ。


 小さく暗い穴の中から入口を見ると、そこには人影があった。


 年の頃は三十を過ぎたぐらい。茶色の革手袋に包まれた手を、穴の入口の天井に突いて覗き込んでいる。百九十センチ半ばはあるだろうか。


 その身体は筋肉質。だが肥大しているのではなくしなやかだ。


 くすんで痛んだ短い茶髪は、厳しい環境を乗り越えてきた風格が滲む。猛禽類のような鋭い目つきは、体格と合わせて少々威圧感を覚えさせる。その瞳は灰色で、しっかりとポールの事を見ていた。


 焦げ茶色の鉄板入りブーツが入口の地面を僅かに削って、ざりっ、と音がする。上半身は厚手の緑色の半袖服。だが肘から先は黒いインナーが見えている。魔獣の素材で作られた、薄い黒革のような防護服だ。


 下半身は薄灰色のズボン。こちらは伸縮性がある魔獣の素材で作られた耐水性ズボンである。


 彼の背には薄緑色のリュックサック。荷物が満載されているようで、それに耐えている事から非常に頑丈そうだ。リュックサックの横に吊られた魔石式カンテラが、カロン、と音を立てた。


「あ、あ、あなたは?」


 その人物の風貌に気圧されつつ、ポールは恐る恐る問う。無表情に近い感情が見えない顔のまま、男は口を開く。


「俺ですか」


 冒険者たちは危険に挑み、危難に呑まれる。


 だが、窮地におちいった彼らを助ける者も存在する。


 それこそが。


救助人ヘルトゥーフです。」


 救助人ヴァルターは短く、そう言った。

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