第31話:火の妖精
ヤルバリル大森林の中を歩き進めていくと、明らかに不自然な半透明の壁が見えてきた。
そこに物体があるとは思えない。これは外界との交流を遮断するための結界と見て、間違いないだろう。
「いよいよって感じだね。この先が聖域、か……」
人も魔物も近づかないのか、異様なほど静かな気がする。でも、不思議と怖いと感じなくて、神聖な雰囲気だった。
「ボクがやってもいいんだけど……。胡桃、この結界に手で触れてみて」
「う、うん」
シルフくんに言われて、ドキドキしながら結界に触れた。その瞬間、水の波紋が広がるみたいにして、結界に一人分ほどの隙間が生まれる。
特別なことは何もしていない。しかし、こうやって結界が反応するところ見ると、本当に自分が女神の使徒になったんだと実感した。
「ほらっ、早く通るよ。すぐに閉まっちゃうんだから」
シルフくんがタタタッと入っていくため、私とエマも後を追って入った。
すると、シルフくんの言った通り、しばらくして結界の隙間が綺麗に塞がる。
「不思議な結界だね」
「妖精の魔力に反応するようにできているんだよ。王族が入ってこられるのも、妖精の魔力を付与した特別なアイテムを持っている影響さ」
「王族の血が反応する、とかいうわけじゃないだ。じゃあ、盗まれたら大変だね」
「人類側は大騒ぎだろうね。ボクたち妖精側としては、脅威を与えるほどの人がいるとは思えな……」
言葉に詰まったシルフくんの先には、異界の道を開くほど魔法使いの腕をあげたエマがいた。
妖精に脅威を与えるほどの力を持つ存在だと発覚した瞬間である。
「まあ、エルフだからいっか」
改めてエマはすごいんだな……と思う反面、シルフくんのことが心配になった。
別にエマは聖域で暴れるような子じゃないから、いいと思うけどね。
聖域の中を歩き進めていくと、森とは違って日差しがよく入り、綺麗な花もチラホラと見えてくる。
魔物ではなくリスやキツネのような動物も住んでいて、鳥がチチチッと鳴きながら、空を飛び回っていた。
のどかな場所だなーと、見渡しながら歩いていると、森の中に建設されたとは思えないほど大きな神殿が見えてきた。
「うわぁ~。すごー……」
石を積み上げられて造られた神殿は、特殊な素材を使っていると感じるほど、神聖な波動を解き放っている。
近くで見るだけでも圧倒されてしまい、私とエマは自然に立ち止まって、神殿を眺めていた。
「こんな森の奥なのに、よくこんな大きい神殿を建てられたよね」
「うん。昔の人が建てたと言われても、しっくりこない」
「外観に傷がついていないのも、地味にすごいことだよ」
「よく見ると、真新しい。ずっと祀られているのに、建物が腐食していないのは、逆に変」
新築の神殿のような雰囲気に疑問を抱いていると、急にエマが後ろを振り向いた。
ギャオオオオオ
突然、火を纏った大きな鳥が現われ、口から炎を吐いてきたのだ。
瞬時にエマが風魔法で障壁を張ってくれたので、怪我はない。そして、その炎の妙な性質に疑問を抱く。
近くに炎があるにもかかわらず、不思議と熱を感じることはない。草木に燃え広がることもなく、普通の炎とは思えなかった。
おかしいなーと思っていると、一人だけ動揺していないシルフくんが、事もあろうにケタケタと笑い始める。
「目が見えなくなるくらいボケちゃったの? ホウオウのじいちゃん」
シルフくんの言葉を聞いて、火を纏った大きな鳥を見た私も、そこでようやく気づく。
ファンダール王国に祀られている火の妖精、ホウオウなんだ、と。
「その声は……シルフか。魔力が弱まっていて気づかなかったぞ」
大きな鳥が人の言葉を話した、と思った次の瞬間、どんどんと小さくなり、人の姿を取り始める。
燃えるような赤い髪に深紅の瞳が特徴的な、背の高い男性。シルフくんが『じいちゃん』と言うには失礼な印象を受けるほどには若く、見た目だけであれば、中年のダンディなオジサンにしか見えなかった。
……ただ、気のせいだろうか。神聖な妖精のはずなのに、ホウオウさんの肩に少しだけ黒いオーラが見える。
「久しぶりだね、ホウオウのじいちゃん。元気にしてた?」
なお、シルフくんは気にした様子を見せない。
ホウオウさんとは仲が良いみたいで、遠慮することなく気軽に話しかけていた。
「相変わらずってところだな。シルフこそどうした。随分と弱っているみたいだが」
「胡桃と契約したばかりだからね。今はまだ自分の役目を果たせるほど、魔力を保有していないんだよ」
「なるほど、そういうことか。随分と無理をしたみたいだな」
「ホウオウのじいちゃんこそ、ボクに口を出せるような状態じゃないでしょ。随分と闇に染まっちゃったね」
「ああ。このまま数百年もすれば、闇に堕ちるかもしれん」
ホウオウさんが意味深なことを言い始めたため、シルフくんに問いかけてみる。
「ねえ、シルフくん。闇に墜ちるって、どういうこと?」
「妖精は万能な存在じゃないってことさ。ボクが胡桃と一緒じゃなきゃ生きられないようにね」
シルフくんもホウオウさんも、深く気にしているような様子を見せない。
しかし、ホウオウさんの肩に纏わりつく闇のオーラは、明らかに聖域に相応しくなかった。
「シルフの言う通り、我ら妖精は完璧な存在ではない。瘴気や邪気を浄化する力を持ったとしても、己を浄化することはできないのだ。己を見失うまで瘴気を溜め込めば、魔物化する恐れがある」
ホウオウさんの言葉を聞いて、ようやく私は理解できたような気がした。
ノエルさんの言っていた聖女の仕事というのは、妖精が闇に堕ちないように瘴気を浄化してあげる行為なんだろう。
シルフくんがそれをまだ必要としていないと言っていたのも、浄化を必要とするレベルではない、という意味合いに違いない。
見て見ぬふりをするのは、ちょっと違う気がするけどなー……と思っていると、ホウオウさんが近づいてくる。
「お前がシルフの契約者か。俺は火の妖精であるホウオウだ。先ほどは驚かせてすまなかったな」
「いえ、お気遣いなく。私は胡桃で、こっちはエマです。勝手に入ったのは私たちですし、彼女に守ってもらいましたので、問題はありません」
「うむ。我の炎をいとも簡単に防ぐとは、なかなかの魔法の才を持っているのであろう。見事であったぞ」
ホウオウさんの熱い視線がエマに向けられると、彼女は恥ずかしそうにコクコクッと頷きながら、私の背中に隠れた。
「ほ、褒められた……」
エルフ族にとって、精霊に褒められることは、この上のない誉れなのかもしれない。
ここまで照れたエマを見たのは、これが初めてのことだった。
「立ち話もなんだ。我が神殿にて、お前たちをもてなそう」
「い、いいんですか?」
「構わぬ。シルフの契約者となったのであれば、それ相応に扱わねばならないからな」
「へえ~。意外にシルフくんって、妖精の中で序列が上なんですね」
純粋な感想をポロッと口にすると、シルフくんにムッとした表情を向けられてしまう。
「胡桃、最近ボクに冷たくない?」
「そ、そんなことないよ。小さいのに偉いのは不思議だなーって思っただけだから」
「確かに、ボクは小さくて可愛いだけじゃなく、とっても偉いからね。ふふーんっ、もっと褒めてくれてもいいんだよ」
「よしよし、いい子だねー」
ただ褒められたかっただけなのでは? と思ってしまう。
大人のホウオウさんと比較できるだけに、シルフくんの子供らしさが際立っていた。
「シルフは妖精を浄化する特別な存在だ。こいつがいなくなると大変な状況に陥るため、丁重に扱わねばならない」
「じゃあ、妖精同士に序列は存在しないんですね」
「ああ。シルフは目立ちたいだけだ」
なるほどなーと納得した私は、そのままホウオウさんと会話しながら、神殿の中に招いてもらうのであった。
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