第19話:街のパン屋さん

 パン屋さんにたどり着くと、すぐにエマが動き出す。


「異界のパン、芸術すぎ……!」

「ショーウィンドウに張り付かないでもらってもいいかな。さすがにそれは恥ずかしいよ」


 食欲に支配されたエマにとっては、楽園のようなものだったらしい。


 もはや、普通の言葉ではエマの耳に届くことはなく、ピッタリとショーウィンドウに張り付いていた。


 どうやらこういう場合は、強めの言葉に切り替えた方が良いらしい。


 なぜなら、エマはまだ子供だから!


「エマ、パン屋さんにご迷惑をかけてしまったら、もう二度とこのパンが買えなくなるよ?」

「……ッ! 大人しくする」

「はい、いい子だね。三個までなら買ってあげるから、欲しいものはちゃんと教えてね」


 従順なペットと化したエマとウキウキするノエルさんを引き連れ、パン屋さんの中に入る。


 昼のピークを過ぎているため、売り切れの品が出ているものの、まだまだ店内には多くのパンが並んでいた。


 迷惑をかけないように注意しておいたこともあり、エマは大人しくパンを厳選している。その目はとても真剣ながらも、キラキラと輝いていた。


 そんな何気ない姿が絵になるエマの方に、自然とお客さんの視線も集まっていく。


 現実世界のはずなのに、非現実的な光景と勘違いするほど、彼女は魅力を放っていた。


「し、試食!? この店、できる……!」


 なお、本人はパン屋の策略にいとも簡単にハマり、早くも胃袋を捕まれている。


 とてもおいしそうに試食の品を口にしているため、あのパンの売り上げに貢献しそうな気がした。


 ちゃんと試食は一回で止めて偉いなーと思いながら、エマの行動を注視していると、ノエルさんが近づいてくる。


「胡桃ちゃんがエマの扱い方をわかってくれているみたいで、安心したわ」

「食べ物に興味を示す分、わかりやすいだけですよ。マナーとかモラルはある子なので、最初だけ気をつけていれば、大丈夫そうですね」


 異世界に不安があるのか、もともとの性格なのかはわからないが、エマは周囲の目を気にして、怒られないようにしている節がある。


 エマの性格を考慮すると、猫をかぶっている様子もない。異世界での姿を見る限り、迷惑をかけるようなタイプじゃないと思った。


 そんなことを考えていると、隣でエマを見守るノエルさんは真剣な表情を浮かべている。


「あの子は魔法の才能がありすぎた反面、どこか意欲や興味を抱きにくくてね。ああいう姿を見るのも、異世界向こうでは珍しかったのよ」


 確かに、異世界で一緒に過ごしていたエマは、どことなく素っ気ない態度が多かった。


 最初こそ、その姿が素なんだと思っていたけど……、実際は違うんだろう。


 きっと日本で目をキラキラさせている姿が本当で、異世界でキリッとしている姿は、社会に馴染もうとした結果なんだと思う。


 エマを見ていたらなんとなくわかるけど、人付き合いは不器用なのかもしれない。


「エマを思いきってこっちに連れてきたのは、正解だったと思うわ。あの子が私以外にベタベタするのは、胡桃ちゃんが初めてなのよ? 今まで友達は一人も作れなかったし、話しかけようともしなかったもの」


 まだ出会って二日目だけど、そこまで酷いとは思わなかった。


 昨日、私がピクニックに誘った時、エマはどういう気持ちだったんだろう。


 私の圧に押し負けたのか、食欲に動かされたのか、それとも……。


 この世界では、友達を作りたいと勇気を振り絞った結果だったのか。


「そんな状況だったなら、エマと二人で異世界向こうに行くこと、よく許可を出しましたね」

「だって、あの子が初めて自主的に行くって決めたんだもの。ママとしては、応援してあげなくちゃいけないでしょう?」

「お弁当に釣られただけかもしれませんよ?」

「細かいことは気にしてはいけないわ。きっかけはなんだっていいの。前を向いてくれることが大切だから」


 微笑ましい表情でノエルさんが見守っていると、その視線を察知したのか、急にエマが近づいてくる。


「胡桃、こっちに来て。向こうに試食がないパンがある。おいしそうなだけに、胡桃の意見を聞きたい」

「三個までは買うんだから、一個はそれにしたらいいじゃん」

「今のところ、十個まで絞ってる」

「全然絞りきれてないね。もう……仕方ないんだから。私はエマに付き合うので、その間にノエルさんも買うパンを決めておいてくださいね」

「わかったわ。エマのこと、よろしくね」


 あんなことを言われたら、突き放すような対応も取れない。突き放す気もないから、別にいいんだけど。


 食欲に動かされて積極的になったエマに連れられてくると、そこにはカリカリとパン粉をまとった茶色いパンがあった。


「見て、胡桃。このカレーパンってやつ、食べたことある?」

「めちゃくちゃ無難なもので悩んでたのね。でも、まあ……そっか。向こうの光景を思い出す限り、こういうのはなさそうだもんねー」


 鮮度の高い食材はあったものの、文明的にまだまだ香辛料は高価なものなんだろう。


 街中に馬車が走っていたくらいだから、なかなか遠方の国で採れるものを運送できないと思うし、気候的に香辛料が採れそうにはなかった。


 それなら、エマにとってカレーパンは、革命的な商品になりかねない。


「もう、仕方ないなー。私の分でカレーパンを一つ買うから、後で半分個しよう」

「……!! 胡桃、良い人!」


 なんだかんだでエルフ親子の手の上で、ゴロゴロと転がされているような気がした。


 まあ、自分の意思で転がっている分には、別にいいんだけどね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る