第四章
第16話 闇夜とその出来事
「では、まず出勤したらこちらをご用意ください」
わたしが半泣きで昨晩の様子を訴えたというのに、まったくなかったことのように通常運転で淡々と業務を遂行する由利さん。
スマホがすっぽり入りそうなサコッシュを手渡してくる。
あろうことか、可愛いうさぎのキーホルダーまでついている。
「ゆ、由利さん! あの……」
子供扱いをされている暇はない。
思わず立ち上がりかけたわたしに、彼は虹色の飴玉の入った小さな小瓶を差し出し、言葉を続ける。
「念のためにお渡ししておきますが、もしもなにかあったときは自分でなんとかしようとしないでください。我々の仕事にはプロが存在します。心配せず、彼らにお任せください」
また、見て見ぬふりをしろと言いたいのだろう。
昨日の帰り道と同じように。
英介と並んで歩いた帰り道の途中で、わたしたちの家まで続く角を曲がった先に広がる道の先が真っ黒な闇で覆われていた。
『うららちゃん?』
何も見えていないのか、息を呑んだわたしの隣で英介は不思議そうな顔をしてこちらを眺めていた。
『え、英介』
『大丈夫だよ』
ぼくがいるから、と英介は笑う。
正確には長い前髪で表情は見えづらいんだけど、表情が柔らかくほころんだのが雰囲気でわかった。
想像したとおり、黒い影はわたしの家の向こう、英介の家から先を覆っていた。
『え、英介!』
『ん?』
『きょ、今日はうちに来ない?』
『えっ……』
夢我夢中だった。
由利さんの話したことを信じたわけではなかったけど、この光景を見たら信じるしかなかった。
『そ、そうしなよ! お礼になにかごちそう作るから』
どうしても、英介をこの黒い影の向こうへ行かせてはいけないと思った。
一歩足を踏み入れたら、もう二度と戻ってこられないような、そんなおどろおどろしい色を帯びた別空間に見えたのだから。
『残念だけど、今日は兄さんが帰ってるんだ』
『えっ?』
『そっくりそのまま返したいんだけど、ちゃんと帰らないとうるさいししつこいから』
英介のお兄さんは市内の大学に通う大学生だ。
夜な夜な遊び歩いていて全く家に帰ってきてないのだと英介が苦笑していたことがある。
だからほとんど今は一人暮らしのようなものなのだと。
『噂をすれば、ほら……』
英介の見せてくれたメッセージには夕食を待ちわびる彼の兄である
『今日は帰らないと』
『え、英介……』
『また連絡するよ』
英介がわたしの手を振り払って足を踏み入れたら先は漆黒の闇。
『えいっ……』
あわてて彼に向かって手を伸ばしたとき、ぱっと明かりがついたように世界の闇が晴れた。
『ん?』
何事もなかったようにこちらを向く英介と、汗でぐっしょりになったわたし。
彼の奥に見える景色は、いつもと変わらない普通の世界だった。
見間違いか。
いや、絶対そんなことはない。
思い出すだけでもぞっとするような、そんな時間だったのだ。
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