第三章

第11話 コールセンターでのお仕事

「というわけで、ここが保留ボタンで、ここが転送ボタンです」


 1日目の『コールセンター』とはなんぞや?のお話とは別に、今日からはヘッドホンを装着して受電(お客さんから電話が入ったことをいうらしい)があったときにどうすればよいのかを学んでいた。


 コールセンターとは、ただ電話を受けるだけではなくお客さんから言われた内容をしっかりパソコンに打ち込んでいくようだ。


 聞きながら、そして話しながらその内容を入力していくだなんてずいぶんと高度な技である。


 たしかにわたしは入力することには自信があるけど、電話を使って聞くこと話すことにはまったくの初心者なのだ。


 と、思っていたのだけど、そんな人のためかしっかりとシステムも作り上げられているようである程度の項目は選択できるようになっているらしい。


 そのため、少しずつ話の主導権がこちらに向いてきたらこちらから選択肢に沿って質問をしていけばいいのだ。


 やってみないとわからないけど、すべてを入力すると思っていたときよりは幾分気が楽になったのは事実だ。


「春咲さんが受けられるのは初心者向けのものばかりなのでご安心ください」


「はぁ……」


 正面に座った由利さんが憂いを帯びた(ように見える)艶っぽい瞳をこちらに向ける。


 由利さんのご尊顔を前にしても、美声を耳にしても今日ばかりは反応できないのは間違いなくそれ以上の不安があるからだ。


(ああ、不安でしかない)


「ちゃんとすぐにヘルプも入れるよう手配済みですから」


「た、助かります……」


「あと、回答例はほとんどその中を見ていただけたら載っていますから」


 由利さんの用意してくれたかなり分厚いマニュアル本だ。


 果たしてこれを、パニックの状態で扱うことができるのか。疑問である。


「最初は落ち着いて確認いたします、と保留にしてくださればすぐにわたしも駆けつけますよ。このボタンを押したあと、ここを」


 ゆっくりと立ち上がった由利さんはわたしの隣に回り込み、前に置かれたパソコンの『保留』と書かれたボタンと『ベル』のイラストの書かれたマークを指して、『推してください』と続けた。


 ふんわりと良い香りがした。


「ひっ!」


「え?」


「い、いえ……」


 飛び上がってしまって申し訳ないけど、こんなイケメンが近くにやってきたら普通の反応である。


 いきなり問答無用で攻撃を仕掛けてくるのはやめて欲しい。


「く、クレームとか、ないんですか?」


 電話受付機能のついたパソコンのことをひと通り説明を受けたあと、一番恐れていたことを口にしてみる。


 クレームが一番怖い。


 昨日、帰ってからネットで調べてみたけど、クレームで永遠とお叱りにあったという女性職員のトラウマがつらつら書かれている記事をたまたま目にしてしまって怖くなった。


「大丈夫ですよ。クレームはクレーム対応係りの者が請け負っていますから」


「そ、そんな人たちもいるんですね」


 ずいぶんしっかりした防音機能なのだろう。


 あまりにもこの『文月の間』が静かだから他に人がいるのかと心配になっていたけど、他にも稼働しているグループはいるようだ。


 なんだか少し安心した。


「春咲さんのお仕事はお困りごとを聞いて、それを入力していただくお仕事です。お困り事によって、対応班も変わってきますので、トラブルの聞き取り間違いには気をつけていただきたいですが、わたしもついていますので安心してください」


 聞き間違えてそのあとの人たちに迷惑をかけてしまう未来しか想像できない。


「ジャンルはファンタジー小説。年齢層は子どもから大人まですべてです」


「小説について、ど、どんなお困り事があるんですか? 在庫の管理とか……」


 そんなに頻繁にくるものなのだろうか。


「そうですね」


 うーん、と珍しく表情を崩し、顎に手を載せた由利さんを眺めながらぺらりとめくったマニュアルの一文に目を疑った。


「へっ?」


「ああ、それは一番多いですね」


「えっ?」


 目の次は耳を疑うことになるなんて。


『主人公が物語から逃げました』


 そこにはそう書かれていた。


 

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