第36話 初めてのチュウ

 温室にはさまざまな植物が植えられていた。

 真っ赤なハートの花をつけた植物や、やけにトゲトゲしい葉っぱの植物だとか。

 いずれにしても変わった形をしたものが多い。

 それに、色も特徴的だ。鮮やかというか、原色が強いというか。


「うわ~、これキレイ」


 マイちゃんが指さすのは天井付近から垂れ下がるツル性の植物だ。

 緑と青の中間色、エメラルドグリーンをしており、なんとも美しい。

 その葉は透き通るほど薄く、太陽の光を浴びて淡く輝いているのだ。


「ほんと、マジキレイだな」


 足元のプレートを見ると『ヒスイカズラ』と書かれていた。

 なんでもフィリピンの一部にのみ生息するんだと。


「わ! こっちのもスゴイ」


 続いてマイちゃんが指さしたのは、巨大な赤い花だ。

 まるで牛の舌のような、赤に白の斑点模様の花びらが五枚。中央には口のようなポッカリ空いた円筒形の穴が一つ。

 驚くのはその大きさだ。一メートル近くあるだろうか、たったひとつの花なのに、いままで見たことがないほどの巨大さなのだ。


「デカ! これ本物?」


 マジモンスターなんだが。地球上にこんな花、存在するのかよ。

 近づいてプレートを見る。『ラフレシア』と書かれていた。

 あ、なんか聞いたことあるな。

 数年間のうち、わずか数日しか花を咲かせないんだっけ?

 しかも、その匂いは、たしか――


「クサ!」


 強烈な臭気が鼻を突いた。

 何かが腐ったような、凄まじい腐敗臭。


「どっかで何か死んでない?」


 茂みの中で小動物が腐っている。

 それぐらいの臭さだよ、コレ。


「え~、ちょっと怖いこと言わな……うわ! くさい!!」


 マイちゃんも時間差で臭さに気がついたようだ。

 さっきまで追い風だったからな。

 空調のイタズラか、ちょうど風向きが変わって、いまこちらに臭気が流れてきたのだ。


「隊長! 鼻がモゲそうです!!」

「撤退だ、撤退。下がって態勢を整えよう!」


 キャッキャ言いながら、二人でその場から離れる。

 気づけば自然と手をつないでいた。


「次はどこ行こうか?」

「バラ園がいい」


 温室の次はバラ園、その次はあじさいと、いろいろ見て回る。

 とにかく楽しい。こんな楽しいのは何年ぶりだろう。


「あ! ミノル君、あれ見て」

「おお~、噴水だ。外国の庭園て感じでオシャレだな~」


 手入れされた庭の真ん中には噴水があった。

 その噴水から噴き出す水は、高く上がったり下がったり細かく噴き出したりと、時間とともにさまざまな姿を見せていく。

 その様子をふたりでしばらく眺めていた。


「ねえ、ミノル君」

「ん? どうした?」


 マイちゃんは小さな声で俺の名を呼んだ。

 なんだろう? しっかり聞き取ろうとして、自然と距離が縮まる。


「えっと、うんと、あのね……」


 口ごもりながらマイちゃんは上目遣うわめづかいでこちらを見る。

 こ、これはもしや、チューの流れ!?


「……」

「……」


 お互いの沈黙。

 間違いない。チューだ。

 この雰囲気はチューに違いない。


「マイちゃん」


 マイちゃんの肩に手を置く。

 マイちゃんは少しピクンと肩を震わせたが、嫌がる素振りは見せない。

 むしろ、次に来るであろう行為に期待するような気配すらあった。


 キタコレ!!

 絶対にチューだ。


 よし、行く。

 グッと顔をよせる。


 だが、そのとき――

 背後に奇妙な気配を感じた。


 見られている?

 とっさに振り返る。

 しかし、誰もいない。

 おかしいな? 確かに感じたんだが。


 木の陰、花畑のうしろ、視線をさまよわせる。

 だが、それらしき人影を見つけることはできなかった。


「どうしたの?」


 とつぜんの俺の行動に、マイちゃんは不安げな表情を見せる。


「いや、なんか見られている気がして」


 スッゲー見られている気がしたんだが。

 チョー見られている気がしたんだが。

 でも、おかしなことに誰もいないんだよなあ。


 もしかして、このシュチエーションに動揺していたのか?

 それで見られているなんて勘違いを?


 イカン、イカン。

 いまはチューに集中だ。

 肩に手を置くところから、もう一度やり直すんだ。

 気を取り直して、マイちゃんと向かい合う。

 だが、むこうの方からベビーカーを押して近づいてくる若い夫婦が見えた。

 マイちゃんも、すぐにそれに気づいたようだ。


「あ、ほんとだ。人増えてきたみたい」


 そう言うと、マイちゃんは俺から少し距離をとった。

 手も繋げないほどの、まあまあの距離である。


 ぐあああ、しまった。千載一遇のチャンスを!!

 バカ! バカ!

 なにが見られているだ!!

 そんなあやふやなもので、このチャンスをフイにするなんて……。


 それから、繁華街に行ってゴハンを食べたり、ショッピングしたりした。

 だが、どうやってさっきの雰囲気を取り戻すかばかり考えていて、どんどんぎこちなくなっていった。


 マズイ。マズイ。

 これではいけない。

 だが考えても、どうにもならず、気づけば帰宅時間に。

 車を走らせ、マイちゃんの家のそばへと来てしまった。


「ミノル君。今日はありがと」


 車を止めると、マイちゃんがそう切りだした。


「うん……。こちらこそありがと」


 なんと言っていいのか分からない。

 気の利いたセリフが思いつかない。


「とっても楽しかった」

「うん、俺も」


 まさか、これで終わりってことないよな。

 そこまで致命的な失敗はしてないよな。


「誘ってもらって嬉しかった」

「う、うん」


 なんだろう。

 感謝の言葉ばかりだが、なぜだか不穏な空気を感じてしまう。


「ちょっと前に約束してから、どこに連れてってもらえるのかな~ってずっと楽しみにしてた」

「うん」


 これは過去形だからだ。

 ~だったけどみたいな否定の言葉が次にくるんじゃないかと、想像してしまうんだ。


「えっと、だから……」


 ゴクリ。

 だからに続く言葉をツバを飲みこんで待った。


「また連れていってもらってもいい?」


 マイちゃ~ん。

 ああ、よかった。もう最後かと思ったよ。


「もちろん。またどっかに行こう。一緒に!」


 気づけば、お互いの顔はかなり近づいていた。

 シートにつくマイちゃんの手に自分の手を重ねると、そのまま唇を重ねた。




――――――




「ただいま~」


 どうしよう。ニヤニヤが止まらない。

 さっきまで触れていたあの感触が、まだ唇に残っている。


「ああ、お帰り。ミノル」


 ダイニングチェアーに腰かけた母が、テレビから目を離し返事をした。


「あれ? ショーグンは?」


 ショーグンの姿がない。母だけだ。

 この時間は、だいたいテレビを見ているのに。


「え? アンタと一緒じゃなかったのかい?」


 母には今日出かけるとしか言っていない。

 誰と、どこへなんてのは伝えず、晩御飯までには帰るとだけ。


「いや、一緒じゃないよ。今日は俺一人だけで……」


 ショーグンと俺が一緒だと思っていたってことは、母が仕事から帰ったときには、もういなかったってことか?

 どうしたんだ? あいつ。

 さすがにちょっと心配になってきた。


「ショーグン」


 家の中、庭、秘密基地と声をかけて回る。

 しかし、ショーグンの返事も姿も、まるでなかった。


「ショーグン、ショーグン」


 大きな声で呼ぶ。

 だが、俺の声だけ空しく響くだけだ。

 行方不明?

 家出?

 それとも、まさか……誘拐?

 さまざまな思いが頭をよぎる。

 宇宙人のこと、SNSにショーグンをUPしたこと。

 どうしよう、どうしよう。もしかして俺は取り返しのつかないことをしてしまったのでは?


 ――が、そのとき別の可能性が浮かんだ。

 いや、待てよ。もしかして……。


 スマホを片手に、その可能性へと向かう。

 あたりはもう暗くなり始めていた。

 山の稜線が、沈む夕日に照らされ淡くふちどられている。

 足元はよく見えない。

 スマホのライトを照らしながら進む。


 やがて地面にできた裂け目へと到着した。

 そのふちに沿って歩く。


 いた。

 またしても、ミゾにスッポリはまったショーグンを発見した。


「おまえ、いつからそこに……」


 朝ごはんを食べたときはいた。だが、そこまでだ。

 俺が出発するときには、姿を見せなかった。

 まさか、その時からずっと?


 ショーグンは答えない。

 かわりに聞き返してきた。


「デートは楽しかったですか?」


 落ち着いたトーン、だがトゲのある言葉で。


「お、おう。おかげさまでな」


 べつに俺になんの落ち度もないが、後ろめたさみたいなのを感じるのはなぜだろうか。


「わたしも楽しかったですよ。アリが行ったり来たりする姿を何度も見ていましてね」

「……」


 言葉がない。

 俺がどうやってキスしようか頭を悩ませている間、ショーグンはアリの観察をしていたのか……。


「お昼は食べました?」

「あ、うん」


 中華だった。

 ひとつの丸テーブルを俺たち二人で使った。

 中華のテーブルは二段になっており、上は回転式。

 運ばれた料理を座ったまま自分の前へ移動させられる。

 俺たちはキャッキャキャッキャ言いながら、意味もなく回転させていた。


「さぞかし豪華なお昼ごはんだったんでしょうね? わたしは何も口にできませんでしたけどね」

「……」


 なんと言っていいのか、まるで分らない。


「ソースの味が口に残っていますか? わたしの口の中は、土の味でいっぱいですよ」


 スマンなショーグン。ソースじゃなくてキスの味だ。

 だが、そんなこと、言えるはずもない。


「機嫌直せよ、今日の晩飯はコロッケらしいぞ」


 それがなんとか絞り出した精一杯の言葉だった。



※現在、ラフレシアは日本にはありません。

 ホルマリンにつけられた標本があるのみです。

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