七 小さな聲②

 白い毛玉……もとい。白鼠は雲のように白くふんわりとした姿で、ぺこりと頭を下げた。

 朧の言う下手したてとやらを理解した行動なのか、それとも他意があるのか。思惑の知れない白鼠のお辞儀はしっかりと腰が曲がって実に丁寧なものだった。


 すうっと頭が上がり、とんがった薄桃の鼻先が正面に戻った白鼠。その瞳もまた、朧の瞳の色に似て赤味を帯びていた。鮮やかと言うよりは、燻んだ血の色を連想させる。

 その目が真っ直ぐに朧を捉えたかと思えば、二度、三度、髭を揺らして口を開いた。


貴殿きでんを一介の神鬼しんきとお見受け致します。是非とも、我々に手を貸して頂きたい」


 朧は目を細めて、それまでなかった威嚇を見せる。その矛先は、白鼠然り、怪しい気配を放つ祭壇然り、といった具合だろう。


「場合による」

 

 脅しにも似た目線に白鼠は一瞬身震いを見せるも、しゃっきりと背筋を伸ばして、どうぞお座り下さいと手を前に出した。

 すると、白には遠い灰色鼠達がそこかしこから現れて、ちゅう、ちゅう――と鳴きながら二枚の座布団を朧と椿の前に運んできた。ついでに熱いお茶も。

 誰もいないと感じた事が嘘のように、いつの間にやら辺りは小さな気配で埋め尽くされて、椿は目の前をわちゃわちゃと動く鼠達を目を輝かせて愛玩していた。

 殊更、ちゅう――とでも一声鳴けば、歓喜しそうなほどに。

 

 そんな椿を尻目に、朧は鬱陶しいと言わんばかりに顔を歪めて威圧的な目線を頭目とうもくであろう白鼠に送る。

 

「どうにも妙な気配があるな。厄介ごとであれば断るぞ」

「……実を言うと、お頼みしたいのはにございまして……」


 白鼠――雲水の口調がごにょごにょと誤魔化したように尻すぼみになっていくと、殊更に朧の威圧が増す。しかし、と、此処で帰られたくはないのか、雲水は「貴殿にもしかと有益な話の筈です」と強く言った。

 これには朧の眉がピクリと動く。


「貴殿の仰る通り、あの祭壇にはとある神器が祀られておりました。その神器を何者かに盗まれてしまいまして……」

「子供、ですよね」


 雲水が何者かと濁した瞬間、椿が口を挟む。これには雲水も目を丸くしたが、しどろもどろながらも「はい、そうです」と頷いた。

 

「神器は妖避けの祭壇に祀られて、箱自体もまじないがかけられていたのです。実を言うと、私も触れられません。なので、まず盗めるはずがないと油断しておりました。ですが、ほんの二刻ほど前。小さな気配……我々よりは大きいのですが、とんでもない速さで神器を引っ掴んで持って行ってしまったのです。恐らく……人間の……」


 まさか、こんな奥まった場所に人が入り込むなどとは思ってもみなかった。至らなさを痛感して、雲水の首は垂れ下がるばかりだ。

 

「俺は新参だが、常夜の道が木の根のように広がっている事ぐらい理解している。どうやって追うつもりだ?」

「それは調べさせましたので、どの道を使ったかはすでに把握しております」


 雲水の近くにいた何匹かいた鼠のうちの一匹が、ちゅう――と鳴いて、自慢毛に髭を小さく、ぴくぴくと揺らしている。


「そこまで情報があるならば、現世のどこの村かも検討もついているのだろう」

登離とうりという宿場町に滞在している様子でして」

「なぜ己で動かない」

「それは――」


 雲水は朧の真っ当なひと言を前に再び口を濁した。犯人が分かっていて、居場所も知り得ている。後は取り返すだけなのだ。

 追求されて言葉を止めてしまった雲水は一度は目を伏せたが、諦めたように息を吐くとゆっくりと頭を上げた。


「……お恥ずかしい話、私に大した力は有りません。姿も変じる事ができない弱者故、過去に主人が残した力で守られたこの家を出てしまえば何も出来ないのです。鼠達に追跡させるにも、この家に残された力を使わねばならないのです」


 家を出て仕舞えば自分はただの鼠同然。雲水は力無く項垂れて薄桃の鼻先を地面へと向けた。

 

「……椿、どうする?」


 朧は、視線を隣で大人しく座っていた椿へと向ける。


「まだ気になる部分はあるが、それを問い詰めたところで手を貸すかの結果が変わるとは思えん。どうするかはお前が決めれば良い」


 椿へと向ける朧の目線は、温和なものに戻っていた。朧は雲水に手を貸すかどうかを悩んですらいない様子……というよりも、どちらでも良いのだろう。まだが何かを訊いていない上に気になる事があるという。にも関わらず、朧が手を貸しても良いとも取れる発言をした事には意味があると椿は理解する。


 椿の中でも、雲水は正直に真実を語っているように見えた。項垂れるその姿が、到底演技に見えなかったのだ。だから――


「……手を貸してあげようと思うの」

「報酬の話を先にするか?」


 朧はギロリと雲水を見た。この家から出られない雲水が本当に有益なるものとやらを持っているかが、怪しいのだ。まあ所謂、只働きとやらが朧にとっては好ましく無いのもある。

 椿は朧を諌めると、雲水を見やった。


「雲水さん、言ったことに嘘偽りはありますか?」

「決してありません……もちろん、ただで助けて貰おうとも思っておりません!」


 妖というのは、情が薄い。義理人情なんて言葉は彼らの間では存在せず、血の繋がりでも無ければ個人間での情愛も各様によっては軽薄だ。無料奉仕なんてもってのほかで、何かしら利益でも無ければ寧ろ手を貸す側が怪しまれる。

 なので、雲水も小さな身体で必死に訴えた。あれは大事なもので、本来他人に触れさせてはいけないのだと。扱いによってはとても危険なものなのだと。


 その姿を見た椿は、小さく頷いた。


「では、雲水さん。お仕事お受けいたします」

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