四 屑

 白煙が舞うも、あっという間に空の中へと消えていく。

  

「神様方の御使やってる奴なんてね。身も心も捧げるほど主人に心酔するか、位を承る事に利用価値を見出せるほど性根が腐ってないとやってられないのさ」


 以前にも御使白狐こと松柏が、面倒だと宣っていた。松柏の気質から考えていても、あれは性根が腐っている方なのだろうと朧は浮かべる。


「雨黎さんは、松柏さんの事をよくご存知で?」


 話ついでに探ろうとしているのか、椿がさりげなく口を開く。


「昔は私も同じ差配を任されていただけさ。あっちは出世。私は信心を失った」


 諦めたような、更には嫌悪も混じったように、雨黎は深く、深く息を吐く。


「あれを探りたいなら無駄だね。私にも良くわからないから。解っていることと言ったら、あれが底なしの屑で糞野郎だって事ぐらい」

「屑……」


 とにかく、やたらめったら女に手を出すわ、施しとか言って子供相手に碌でもない仕事させるわ。とにかく心が無いのだと、雨黎はうんざりした顔を見せてまで力説する。

 しかし不可思議な話で、雨黎はそこまで嫌悪を述べているのにも関わらず縁は切れていない。


「何故今も松柏さんとの繋がりを?」

「簡単さ。動向が知れる程度に近くにいれば、探りやすい。それだけさね」 

  

 雨黎の言葉は椿の考えとは違ったが、警戒しているからこそ近くで動向を知る事に関しては頷けるものがあった。


「それにね。あれに気に入られると、どれだけ遠ざけても近づいてくるのさ。あれが離れる時は、利用価値を失った時か、興味が削がれた時だけ。だったら利用してやる程度に考えたほうが楽だよ」

 

 恐らく、雨黎は諦念の気もあるのだろう。利用と言いつつも永い年月が怠惰な付き合いを生んだ……のだろうか。椿には馴染みのない感情で、その年月とやらも今は理解し難い。椿の目線が何気なく、その『屑』と称された男とである夫へと向いた。どうにも避けたい話題なのだろう。姿勢こそ毅然と構えたままであったが、朧は雨黎から目を逸らし、椿とも目を合わせないようにしている。相当気まずいか、居心地が悪い様子だ。

 朧は以前話した己の過去以外を話したがらない傾向にある。椿に対しての恥もあるのだろうが、相当な悪事でも働いていたのやもしれない。


 椿も無理に蟻の巣を突くような真似はしない事にしているのか、すっと目線は雨黎へと戻っていた。その目線で、雨黎も何かを察してか朧へ何かを問いかけるよう事もなく、「それで、」と続けた。


「彼方からの仕事は、一つ。仔細は次の機会に話すと言っていたから、十日後ぐらいにまたきておくれ」

「もう仕事が?」

「妖ってのは、忠誠心でもないと適当だったり、愚図だったりが多いから元人間ってところは信用してるんだろう。そこのところは私も信用しているよ」


 そう言って、雨黎は婉然とした笑みを浮かべた。が、その笑みは一瞬で消える。


「まあ、妖なんてもんは信用こそすれど、契約でも交わさない限りは信頼はしない事だね」


 それが、この冥々なる化生けしょうのもの共と上手く生きるコツなのだと言って神妙に語った。

 その顔色に、高級遊女の印象は消え去る。彼女もまた、永く生きる人ならざる存在である事を明瞭にした。


「そういや、名前を訊いていなかったね」


 雨黎の目線が動く。その問いかけは、椿ではなく朧へと向けられていた。

 

「朧だ。こちらは妻の椿」


 朧と椿は、夫婦でもあるが主と眷属の関係だ。

 妖の目には力関係は明白に映る。力関係を誇示する事は重要とされ、不要な争いを避ける事も可能だ。

 曲がりなりにも『神』なるものに近しい存在であった朧。今も尚力は健在であり、そこらの妖とは一線を画く。


 だが、『朧』は神の名ではない。


「……あんたの事は多少は松柏から話を聴かされている。名を変えたって、あんたは人喰いの匂いが染み付いてるよ。それに、噂話でもこの界隈は箔になる」

「俺は、勝手に呼ばれていた名前が気に食わないだけだ」


 神とは都合の良い言葉である。

 崇拝の対象であれ、畏怖の対象であれ、そういった存在を『神』という言葉を使うのだ。

 八千矛神やちほこのかみという名もまた、は崇拝する上で必要であっただけ。朧にとっては、何の意味もないものだった。

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