ニ 嫁入行列②

 一歩踏み出せば淀む事なく進む足取りは、強張りながらも鳥居の中を進んだ。全員が、境界の向こう側へと辿り着くと、またも、ギギ、ギギ――と唸った扉が閉められる。


 

 チリン。

 チリン。

 チリン。



 仕切られた世界へと足を踏み入れた瞬間、耳が痛い程の静けさが一行を襲った。先程までの稲穂を撫でる音や、微風の囁きが恋しくなる程の静寂。鈴音と行列の足音だけが、しじまを遮ぎるも、それでも空気がずんと重苦しかった。

 重みは、人にのし掛かる。稲の穂が垂れるように、皆の背が曲がり足並みが遅くなった。重石でも背負わされて歩かされているのかとすら見間違う程に背を曲げる。

 重みはじわじわと人を蝕んで、村長や村民達の額からは汗が滲んでいた。

 

 

 歩けば歩く程、蔵に近づけば、近づく程。何かの気配が人を押しつぶす。

 


 されど、花嫁だけは涼しい顔で背筋を伸ばしていた。

 村長の女房は、苦しげながらにも花嫁の顔を覗き込む。

 美しき百合は色褪せず凛として、瞬きの一つもなく。花嫁の顔は、蔵の前に立たされても直、眉一つ動かさなかった。


 見た目は至って、普通の蔵だ。

 土壁には漆が塗られ雨風にこそ晒されていたが、白い壁は陽に晒されて眩しいほど。

 真新しい訳ではない。なのに、汚れはとんと目立たない。


 それとは一転して、蔵の扉はどんよりと黒ずんだ木戸だった。黒い漆ではなく腐っていると見間違う程に、ずんぐりと黒い。蝶番や取手の金属までどんよりと黒ずんでいるものだから、冥府の扉へと踏み込まんばかりに村長は手を振るわせながらも恐る恐る扉に触れていた。

 

 扉には厳重な錠前が掛けられている。両手で抱える程の大きさは金庫程の厳重なそれを眼前にして、村長が懐から取り出したのは鍵の束だ。

 くろがね色の輪っかには、同じく黒ずんだ鍵が三つ。どれも同じ程度の大きさの似た様な形。其々には数『壱、弐、参』と字が当てはめられ、その一つ、壱の鍵を手に鍵穴へと差し込んだ。

 ガチャリ――と、弦つるが抜ける音と共に錠前が外れると、村長は錠前を大事そうに両手で抱えて、ゆっくりと地面に置いた。

 

 分厚い木戸は、境界の門よりも重々しい形で、ずずず――と鳴る。

 

 ほんの扉の向こう側が隙間から見えた、どんよりとした暗闇。少しづつ開かれる扉を前にして誰も彼もが生唾を飲み込んだ。


 今から、自分達は此処へと入るのか。

 互いが互いに恐怖の色を帯びた目を覗きあって、肌に感じる寒気を確認し合う。


「入るぞ」


 村長の呼びかけに、皆一様に恐れるも頷く。さっさと終わらせよう。そんな目線でもう一度互いに確認し合うと、最後に沈黙を貫いたままの花嫁を見た。


 何も感じていない様な――いや、何かを悟っている様な。一片の機微も見せないその顔は、今まさに目の前に広がろうとしている暗闇と同じぐらいにゾッと背筋を粟立たせた。


 村長が最初に踏み込む。もちろん、それで何か起こるわけでは無い。ただ物々しい感覚と悍ましい気配がこちら側を深淵から覗いているようで、そんな些細な事すらも恐怖の対象になっていた。次に村長の女房が続き、手を引かれた花嫁も何の躊躇もせずに中へと入っていった。

 他の者達は怯えながらも役回りを終わらせる為、後に続かないわけにもいかない。

 全員が中へと入るには狭かった。提灯で照らされた蔵の中は外の蔵の大きさから見ても狭すぎるぐらいだったが、よく見れば奥にはまだ扉がある。

 それも、入り口と同じく黒ずんでどっしりとした門だ。村長は急いた様子で二番目の扉の鍵を開け、皆を中へと促す。

 とりわけ、皆手荷物を抱えているものだから、何とか余裕がある状態で全員が入り切った。

 そうすると、村長は一番目の扉を閉めてしまった。しかもご丁寧に外側にかけてあった錠前を今度は内側からかけたのだ。

 その行為の意味を誰も問いただしたりはしない。

 ただ、これでいよいよ提灯の灯りだけが頼りになる。そんな不安だけが脳裏を埋め尽くしていた。


 薄明かりを頼りに村長はまた先頭へと戻ると、今度は参と書かれた鍵を手に、最後の扉へと向かった。

 


 最後の扉がそれまでと同様に重苦しい音を立て開かれる。

 いよいよ重苦しい暗闇。提灯の薄明かりに照らされたそこは、何もない広い空間だった。


「みんな、持ってきたものを並べてくれ」


 祭壇も何も無い。床こそ一面に古びた畳が敷かれているが、祀る神の偶像すら置かれてはいないそこは誰かを閉じ込めておく牢屋にも見える。

 蔵の中央。村長は一人一人にどこに何を並べるかを指示すると、最後に己の妻君を見た。並べた供物の真ん中は、ぽっかりと人一人分の隙間が空いている。相手を待つとでも言うように、目の前は屠蘇台に乗せられた屠蘇と盃が置かれて、その目の前に何を置くかは口にせずとも判然として事だろう。妻君は花嫁の手を引いてそこへと座らせた。


 花嫁は大人しく。それでいて毅然とした姿勢のまま暗闇の中を覗いてでもいるかのように、前だけを向いていた。


「では花嫁殿。七日の儀式、御頼み申し上げます」


 村長の言葉を最後に、花嫁は供物として一人、蔵の中へと残されたのだった。

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