幽冥婚姻譚

第一幕 常闇の花嫁

一 嫁入行列①

 黄金色に輝く稲穂が地平一面を秋色に染めていた。

 稲穂の首は重く垂れ下がる。その重みは秋の気まぐれに吹く風に揺れて、ザアザア――という稲穂の声は何とも耳心地が良い。


 肥沃な大地の上で育った稲は、実に食べ応えがある事だろう。稲作だけではない。畑の野菜も、果樹園も、豊作だ。養蚕の糸はもっぱらに上等で、美しくも滑らかな糸が出来上がっていた。


 豊かな村。側から見れば、まずその言葉が浮かぶだろうか。

 だが村は輝く実りに溢れていたが、人は少々近寄り難いものがあった。

 

 この村では、独自の信仰がある。


 八千矛神やちほこのかみ

 豊穣を約束する神として、村は古くより崇め奉っていた。


 その信仰を守るが故か、村は排他的な側面が見える。余所者が入り込めば、村人の視線は立ちどころに集まった。監視でもしているかの様な睨め付ける視線に耐えきれず、足早に逃げる者すらあると言う。


 村は桃源郷すら思わせる程に彩り豊かであったが、陰湿で陰気な様が、その土地全てを覆っている様。ほら今も――

 

 

 ――ああ、今年も。何事もなく収穫出来る

 ――この豊穣を、神に感謝をせねば

 ――この村が豊かであり続けるのは、八千矛神やちほこのかみが、この土地に留まっていて下さるからだ。感謝をせねば

 ――ああ、そう言えば、今年はだったな

 ――可哀想だが、仕方がない

 ――ああ、仕方がない。


 


 ◆



 

 刀根田とねだむら。黄金色に染まった景色の中、畦道に嫁入行列が並んでいた。

 

 そろり、そろりとゆっくりと歩く中で、チリン――と、そよ風の中に鈴が鳴る。

 その鈴音は風が止み、稲が凪ぐとよく響いた。


 チリン。

 チリン。

 チリン。

 

 花嫁の帯に刺さった懐剣ふところけんの飾りの小さな鈴が、歩く度に揺れて静かに鳴る。

 綿帽子の下の顔は、咲いたばかりの百合の如く若々しくも美しい。あまり日に晒されていない透き通るような白い肌。目線は虚で儚げな姿ではあったが、目鼻をくっきりとさせた化粧のおかげか、俯いていても色打掛も相待って華々しくあった。

 幽玄の美が人の姿でしっとりとそぞろに歩いている様で、遠目で稲の刈り取り作業をしているもの達も腰を上げてその姿を一目見ると、思わず息を飲んだ。



 ――あれが、今年の花嫁か?

 ――ああ、山向こうの町の娘を買ってきたとか

 ――おいおい、そんな適当に見繕ってきた娘で大丈夫なのか?

 ――は、吾郎のところの息子と逃げちまったんだ。仕方がない


 

 チリン。

 チリン。

 チリン。


 

 嫁入り行列は、鈴を鳴らして村の端へと向かっていく。

 一番前を行くのは、この村の村長だ。その後ろ、花嫁の手を引くのは村長の妻。どちらも皺が出始めた年の頃。殊更に浮き出た皺を深くする程に、顔にはしっかりと緊張の面持ちが浮かんでいた。

 とても、花嫁を送り出す慶事の形相とは違う。

 花嫁の後ろに続く者達のも顔を固く強張らせ何かを恐れていた。十二人の最前列と最後尾こそ嫁入り提灯を手に灯をともしているが、他の者達の手には嫁入り道具は一つとして握られてはいない。

 それぞれが、今年とれた作物に米俵。養蚕業の末に出来上がった絹の織物。金の粒ばかりを乗せた盆。他にも、高価な漆の器や料理に三献の儀を模した屠蘇や盃といったものばかりだった。

 まるで、儀式の供物。


 そんな祝事とは思えぬ不穏が躙り寄る空気の中、花嫁だけが一人落ち着いていた。

 知らない土地、知らない風習。花嫁は一週間前に生まれた土地を離れ、刀根田とねだむらに辿り着いたばかりだった。

 それでも、花嫁は手を引かれるままに歩いた。

 己が、後ろに並ぶ供物の一つと知りながらも、彼女だけは悠然として感情など消え去ったかのようだった。




 進むは、村の端にある大蔵おおぐらだ。

 

 穀物庫の如く、小さな平屋程度の家ならばすっぽりと収まってしまいそうなほどに大きなそれ。

 ただの蔵。なのに妙に物々しく、山の息吹すら飲み込んでしまいそうな姿が、おどろおどろしい。しかも、その蔵はぐるりと一周、一間(二メートルぐらい)の高さもある垣根で覆われている。更には、その垣根を囲む柵。その背は大人の膝程度の高さ程度ではあったが、縄が張られて紙垂しでが等間隔に吊るされていた。

 桃源郷と呼ばれる村に似つかわしくない蔵は、遠くからでも薄っすらと異様な空気が漂う。子供も遊び半分で近付こうなどという考えは浮かばないだろう。それどころか、獣すらその建物を恐れているのか、足跡や糞といった獣の痕跡が一切見当たらなかった。

 

 

 花嫁行列が行く先を遮る垣根と塀。一行は唯一の出入り口である門の前で止まった。

 儀式の為に待ち構えていた門の見張りが、門を開けると。ギギ、ギ――と、重たい木戸がゆっくりと如何にもな声で鳴く。


 境目の向こう。何となく、寒々しい気配が漂う。

 蔵へは、朱色に塗りたくられた鳥居が道となって蔵まで続く。

 

 早く終われ。

 誰かの口から、そんな言葉が飛び出してしまいそうな程に張り詰めた空気。

 音は無い。気配は無い。なのに、塀を境界とした向こう側は漠然とした畏怖があった。


 その畏怖は敷地の中心にある蔵から放たれているようで、蔵の佇まいは物々しくもあり、近くで見ると、より禍々しい。

 


「鳥居を潜れ、道を外れてはいけない」


 

 村長の強張った声に、後に続く者達の緊張は増した。村長が踏み出すと、皆、異様な空気を恐れてはいたものの否応無しに門をくぐる。

 村長だけが毎年の神事の主祭であるため、顔は硬いが慣れた様子ではある。

 村民達も毎年の神事の役回りで中には慣れた者もいるが、村長同様に顔を強張らせ、恐怖の顔色が拭えない。それがまた恐怖を呼ぶ。慣れない者は神事で粗相が無いようにと、慣れた者の足取りを確認して前だけを見やるしかなかった。

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