sui side
本格的に清水碧との活動が始まると、たくさんの試練が待ち構えていた。
振付師がまず、手本としてみせたダンスは身体的接触が多くかった。これを彼女と踊るのは新手の拷問ではないか。
それぞれの振り入れが終わり、いよいよ合わせることになる。曲入り前のスタンバイから第一関門があった。背中合わせになり、互いの右手と左手で恋人繋ぎをしなくてはいけない。
背中越しに彼女の体温と汗の湿度を感じる。彼女は何も思っていないのだろう。こんなに意識しているのはこのダンス室の中できっと私だけ。
「翠。手、ちょうだい。」
右耳に彼女の吐息がかかる。落ち着いた少し低い声に身体中が痺れるように熱くなる。
彼女はなんの躊躇いもなく私の名前を呼び捨てる。それがどんな効力を持つかも気付かずに。
どうかこの熱がバレませんように。
祈るように彼女の左手に手を伸ばす。小指が少し触れ合うと、逃がさないとばかりに彼女の手が絡みつく。
その瞬間イントロが流れ出す。ちゃんと踊れていただろうか。
ただただ、清水碧で頭がいっぱいだった。
2人で初めて客前に立つ。
碧は18歳の時から活動しているらしい。芸歴としては同じくらい。碧のファンは女性が多く、中にはガチ恋だろうなと思われる人もいた。こちらを睨みつける瞳がその証拠だ。安心してよ碧には手を出せないからと自嘲気味に笑いかけると、より一層その眉間にはシワが寄った。
碧のことを知るたびに心臓が絞られるようにときめいた。
幸い碧は鈍く、沙織さんに私から嫌われているのではないかと相談しているらしい。
好きにならないように素っ気なくしているのが功を奏した。
確実に芽生えてしまっている恋心に懊悩していると、SNSにあるDMが届いた。
内容は付き合ってくださいという珍しくともなんともないものだった。いつもは無視するようなものだったが、なんとなく気になって返信した。
何回かやり取りを続け、成り行きで相手指定のカフェで合うことになった。
季節のフルーツパフェとやらをつついていると、目の前に迷いもなく女が座った。
「げ。」
まさか、ファーストライブで睨みつけてきた女が来ると思っていなかった。多分今、私は苦虫を噛み潰したような顔のまま固まっているだろう。
「パフェとか食べるんですね」
素知らぬ顔をしてメニューを眺める女。
「あんたさぁー。碧のファンでしょ」
「だからなんですか」
「え、もしかして刺される?」
「碧ちゃんの悲しむようなことできません」
「ふーん。で、なに?」
「DMの通りですけど」
「私のこと好きなの?」
「別に。でも、碧ちゃんが手籠めにされるくらいなら」
「て、手籠めって……。」
こっちだって女なら誰でもいいというわけではないのだがと、彼女の傲慢さに呆れる。
「最近、隠せてないよ。碧ちゃんへの気持ち」
ドクンと脈打つ音が体内から響く。
「苦しいでしょ、届かないの。なんか自分のこと見てるみたいで」
否定しなきゃいけないのに、碧のこと好きなんかじゃないって。
「報われないの、辛いよね」
ファンのあんたと一緒にするなって言わなきゃいけないのに。
気付いたら頷いていた。
目の前の彼女はメンバーでも私のファンでもないからと自分に言い訳をして。
彼女はミツキという名前らしいが知ったからといって呼ぶことはなかった。
会うときも言葉を交わすことはなく、ただ欲望のままに触れ合うだけだからだ。
そんな日々が日常化していった。
新しい曲の振り入れに朝から苦戦していた。振り覚えは問題ないが、やけに碧との絡みが多い。
曲が大人っぽい仕上がりだからか、大人の一面を見せたいと振付師がやけに張り切った結果だ。練習が終わる頃には頭も身体も疲れ切っていた。
この後はミツキとホテルで落ち合う予定だ。早く、碧にあてられたこの情慾を彼女にぶつけなくてはとレッスン室を足早に立ち去る。
ホテルは入り組んだところにあり、何度も角を曲がる。あるビル影にホテルに向かっていたであろうミツキを見つけ、思いのままに口付ける。彼女は突然のことにびっくりしていたが、相手が誰だか分かると応えてくれた。
夢中で唇を重ねていると、なんの前触れもなく突き飛ばされた。ミツキは目を見開き、陸にあげられた魚のように口をパクパクさせている。どうやら私の背後に何かを見ているらしい。自然と振り返る。
最悪だ。
当惑した顔つきの碧が私のスマホを片手に立ち尽くしていた。ミツキは弾かれたようにして碧に縋り付き弁明をしている。碧はミツキの背中を撫で落ち着かせるように何かを話す。しばらくすると、ミツキはこの場を去っていった。それを私はなすすべもなく呆然と見ていることしかできなかった。
「翠。2人のことに口出しするつもりはないけど、場所は選ばないと。こうやって他人に見られちゃうでしょ。」
他人だなんて言わないで。
「……怒らないの。碧ちゃんのファンなんでしょ」
絞り出した声が情けない。
「びっくりはしたけど、ミツキちゃんと私はファンとアイドルだから。私がどうこう言うことないでしょ。」
碧はあの子の恋心をアイドルとファンという線引きで無かったことにしようとしているんだ。私の恋心は碧はどうやってなかったことにするんだろう。なんだか無性に彼女を困らせてやりたくなった。
「私が誑かしたの。あなたの恋は報われないよって、だから。見張ってて。じゃないと私、また、同じようなことするかも」
支離滅裂な私の言葉が碧に受け入れられるなんて思いもしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます